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「未熟」と「完熟」

今年は、自分の年齢の半分以下の人と一緒に仕事をする機会がたくさんあります。私の法人では、若い支援者の育成に力を入れています。また、地域連携の場面では、外部機関の担当者が新卒の職員に変わりました。自分の娘と同じぐらいの若者との仕事です。若者たちに、私はどんなふうに見えているのでしょうか。

私は、障がいのある人が利用する社会福祉法人を経営しています。専門機関の長が集まる会議でのことです。ある事業所の長が交代になり、あいさつがありました。その人は、それまで「副」を務めていました。あいさつは、一般的な定型文句でした。しかし、そのあいさつの中で気になった言葉がありました。あいさつの中で「まだまだ未熟者でありますが…」という一節がありました。「未熟者」という言葉が気になりました。

若者たちとの仕事

私の法人に、昨年、新卒で雇用した女性支援者がいます。この女性は全く違う分野から福祉に入って来てくれました。彼女は、美術系のことを学んできました。彼女のセンスで利用者の皆さんの表現力をふくらませられるのではにかと思っています。彼女から美術系のことを学び、私から福祉専門職のことを伝える時間を増やすようにしています。

私は、地域連携の一環として地域の福祉団体と協働する事業を行っています。その事務局に新卒の男性が加わりました。彼は機動力が良いです。Zoom会議の最後に「次回までに調べておいて欲しい」と伝えると、1時間後にはその回答が届きました。また、学生時代の経験から、いろいろな発言があります。ただし、粗削りです。その発言をどうやって提案に変えていくのかが私たち経験者の役割だと思います。

未熟と完熟

若い人たちとのやり取りの中で、若い人たちは私をどんなふうに見ているのだろうか、そんなことを考えていました。その日、午前中は若い人を含む会議がありました。午後からは専門職の長が集まる会議でした。そこで「未熟者」という言葉を耳にしました。その表現は謙遜しての表現だと思います。しかし、本当にその集まりで「未熟者」になれたらそれは素晴らしいことだと思います。

また、長いこと同じ仕事をしている私は、「完熟」なのだと思います。 

たとえば、未熟な果物は、調理方法一つでどんな料理にも化けることができます。いくつもの持ち味をかもしだします。

しかし、完熟してしまうと素材の味やくせが強すぎて、そのものの味でしか勝負ができなくなります。その味が、好まれているときは重宝されます。しかし、新しい味が出てくれば簡単にあきられてしまいます。

完熟としての生き方

完熟は、完熟なりに完熟の持ち味を最大限に引き出せるような工夫をしていかなければいけません。完熟の中には、より完熟さを増すためにその味を濃くしていく生き方もあります。「匠」です。また、新しいものを取り入れて新鮮さを失わない工夫もあります。私は、後者です。このnoteを始めたのもそこにつながります。

また、「初心に戻ったつもりで」というあいさつもあります。それはたぶん「つもり」で終わっています。「完熟」から「未熟」になり多くを学ぶ方法もあれば、若い人たちの中に飛び込んで新しいものを学ぶ方法もあります。いつもでも「新鮮な完熟者」でありたいです。

連続投稿1000日まで、あと26日。

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