無理やり謝らされる弊害
利用者の中には、「○○さん、ちょっと…」と言っただけで「ごめんなさい」と謝る人がいます。また「ごめんなさい」と言ったあとすぐにしてはいけない同じことを繰り返してしまう人もいます。
「ごめんなさい」と言うセリフだけが独立しています。
アドラー心理学を基本とする子育てにおける親の育成プログラム、パセージのテキストにはこう書かれています。
「迷惑をかけた人がおればあやまるように提案してみるのもいいでしょう。」
実際の支援場面を見ていると、何か問題が発生したその瞬間、支援者は負の感情に支配されています。「何してるの?」「何でやったの?」「何度言えばわかるの」。その支援者の前で問題を起こしてしまった利用者は小さくなっています。支援者は最後にこう言います。「もう、早く謝りなさい」これは提案ではなく、命令です。
さらにパセージのテキストには、謝ることを提案できるのは、親子の関係が良いときで、親を仲間だと思っているときだけだと書かれています。これは親子関係だけでなく、支援者と利用者の関係においても同じです。負の感情に支配され、怖い顔をした支援者のことは仲間だと思うことはできません。
何かあったら謝るということを強要してきたため、「ごめんなさい」と言うことだけが独立してしまいました。「ごめんなさい」という言葉が意味を持っていません。
何か問題になることが起きたとき、迷惑をかけた相手がいるとき、謝らなくてよいというのではありません。まずは支援者が冷静になり、一緒に何がいけなかったのか考えることを支援します。そうすることで、自分から謝ろうという気持ちが出てくることがほとんどです。
事業所の巡回をしていると、突然、利用者につかまり、愚痴を聞かされました。「■■(支援者)が、謝れって言うんだよ。まぁさぁ、謝ったけどさ。」
問題が何だったのかはわかりません。解決したのではなく、ただ利用者と支援者の関係が悪くなっただけのようです。
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