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禁句:私のときは食べてくれるよ…/食事介助②
利用者の食事介助をしているときのことです。食事は食べなきゃいけない、という強い思いから、支援者が一方的な支援をしてしまうことがあります。昨日のnoteには、支援者が権力者になってしまうということについて書きました。支援者が権力者になってしまう背景には、支援者同士の会話が原因になっていることがあります。
以前の私は、食事介助のとき、権力者になっていました。私は、障がいのある人が利用する社会福祉法人を経営しています。今は理事長です。しかし、仕事を始めたころは直接支援にあたる支援者でした。そのころの話です。
私が権力者だったころ
利用者の中には、進んで食事をしない人がいます。偏食だったり、環境の変化で食事が進みません。また中には、食事が進まない理由がまったくわからない利用者もいます。食事が進まない理由はさまざまです。しかし、昔の私は、理由を問わず、食事は食べなければいけない物であり、食べさせることができない支援者は一人前ではないと思っていました。
この仕事に就いたばかりのころ、大きな施設で研修をさせていただきました。その施設では、支援者が二人がかりで利用者の食事介助をしていました。支援者の一人が利用者のほほを押え、利用者が口を少し開けた瞬間にもう一人の支援者がスプーンで口に食べ物を入れていました。スゴ技でした。研修から戻った私は、「いいなぁ、大きい施設は、支援者がたくさんいて」とうらやましく思ったものでした。
私が勤めていたのは小規模作業所です。支援者が2~3人しかいませんでした。私は、しかたなく一人で利用者の口の中にスプーンを押し込んでいました。
このように口の中に無理やりスプーンを押し込む行為は虐待です。してはいけないかかわりです。しかし、当時の私にはそんな意識がありませんでした。ただ、利用者に完食させることが「できる支援者」だと思い込んでいました。
まちがった「できる支援者」
このようなまちがった考えは、支援者同士の会話が発端となることがあります。今でもこのようなまちがった「できる支援者」を作ってしまう風潮があります。気をつけなければいけません。
支援者同士の会話で、ある支援者が「〇〇さん(利用者)、食が進まなくて…」と悩みを口にしたとします。そこに別の支援者が「えっ、そうなの。私のときは完食するよ。」と言います。そう言われてしまうと、最初に悩みを口にした支援者は、利用者が食事をしないのは自分が未熟だからだ、と思うようになることがあります。そうするとその支援者は、少し無理をしてでも利用者に食事をさせようとします。それがやがてスプーンで口を開けさせる行為につながります。
この「私のときは…」という発言は利用者が興奮する、利用者が仕事をしない、利用者が泣く、いろいろな場面で耳にします。「私のときは大丈夫」と言われてしまうと、言われた支援者は自分を責めます。しかし「私のときは大丈夫」の裏には危険があります。もしかしたら利用者は、その支援者に逆らえない、支援者が利用者を支配している、そういうことがあります。
私たちは、何があっても力に頼らない支援を心がけなければいけません。直接支援にあたる支援者の記録を読むと、工夫に満ちた食事介助を試していることがわかります。明日は、力に頼らない食事介助のことを書きます。