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映画「アングリー・スクワッド」

誰も手を出せないそのターゲットの脱税額は10億円。「それ正攻法で払わせられんの?」――謹厳な税務署員に協力を申し出たのは天才詐欺師だった。

最高の元日にしてくれた映画。

ロマンス通りの映画館、池袋シネマ・ロサ。

ロマンス通り(ロマンスなし)から見ると、ホントに映画館なのかって思う。ゲーセンじゃんか
バカみてえな赤い看板。つかマジ、TAITO。あそこ左折したら絶対ゾンビ出る。リロードしとこう

 正月休みにやんなきゃと思っていたことがみっつあった。
 ① 腕立て伏せをする
 ② ココイチデビュー
 ③ 「アングリースクワッド」を観る

 腕立て伏せはまあ、20回の数セットでいい。やれば満足。肩コリひどいんすよ。元日にやれば続けようという気になるでしょうそうでしょう。ココイチは未開拓だったのだが HAYAさんがスープカレーあるって言うから。映画は去年から行かなきゃと思ってて時間なかったから、ここぞと。①クリア。②さすがに元日にやってなかった。いいと思うよ正月休もうぜ。マックも休めよビッグマック2個食っちゃったじゃん。③はこれから書きますって。そうだな「名前を忘れたままのあの日の鼓動」聴き終わったら。


 おれいつも公開中の映画を見逃しちゃって、ディスク買うと満足してそれはそれで観ないとかあって。今回の映画も「そろそろ行くかあ」と思ったら映画館少なくて池袋くんだりまで行くはめになり。池袋行っても東武も休みでクランツ買えねえじゃねーか。今でも東武行くと「あーよく迷子になってギャン泣きしてた子ね。大きくなって」って言われるんだけどさ。いやそこは嘘だけどさ。だって店員いくつだよ。プラザトキワかよ。プラザトキワだってそんな高齢者働かせてねえよ。えっと、映画の話ね。どうしてもこの映画だけは観たかったんだよねえ。どうして? どうしてもだよ。


「笑って顔を上げれるか?」

 でも、予告のみでは「詐欺師のやつ」程度の認識しかなかった。2024をギャング映画で〆て2025年は詐欺師の映画で始めんのかって言われるよなあと思いつつ、出掛けたわけですね。予告で内野聖陽が頭からワインぶっかけられてて「バカ小澤征悦やめとけ」って思いますよね。「きのう何食べた?」でのケンジ役はまんま漫画のケンジでキュートさしかなかったけど(ありがたかったです)、ゲイの役をやろうが今回の「疲れた公務員」をやろうが内野聖陽は内野聖陽なのであって。現場の緊張感を思うと胃が痛くなりそう。

「庶民が平和に生きるコツ、知ってますか。怒りをもたないことです……」
(ドボドボドボ)
「笑って顔を上げれるか?」

平和に生きるコツは内野聖陽にワインをかけたりしないことだと思うの

 おれ、人間が人間に赤ワインかける映画、「疑惑」以来だよ。怖えー。内野聖陽のメガネに赤ワインが溜まってて「小澤逃げて!」ってなる。
 でもさ。その小澤征悦と内野聖陽がすごくいい。小澤征悦の憎らしさ、内野聖陽の秘めた怒り。これは観客がカタルシスを得る映画だから、快哉を叫べるように終幕する。それは誰でも予期することだが、その一点に向けて熱を上げて行くプロセスで、画面を支え観客の心を逃がさないために俳優の力量が重要だ。観始める前は「タダじゃ済まねえぞ感」を含め「なぜ内野聖陽なのか」と思っていたけど、それは「何たべ」のケンジ役も「なぜ内野聖陽なのか」と思っていたのであって、幕が上がれば「なぜ」なんて吹き飛ぶ。こっちはそれを観たいのであって、物語世界に没入して楽しんでいた。そして岡田将生。岡田将生演じる人物は、序盤とても薄っぺらなヤツに見える。その印象が劇中で大きく揺らぐことはない――詐欺師は薄っぺらなものだ――が、おれ泣いたんだよね。愛しくて。「詐欺師がつけなかった嘘」で。岡田将生は演技を大きく変えることはしていない。ずっと魅力的な笑顔をもった油断ならない人物であり続けるのだが、一片の誠実さ、情熱が、染み入って来る。背景がその「つけなかった嘘」によって伝わって来るのだ。騙し合いにはやはり驚かされる、息もつかせない展開はハラハラし通しにさせてくれるが、見事だなと思ったのは、このつかみどころのない人物をとてつもなく魅力的にした、そうした作劇であった。例えばどうして刑務所での面会の帰りに、バイクの人物の顔が映らないのか。――そうした違和感を覚えたら、忘れずにいた方がいい。この監督はとても丁寧な作り手だと思う。難解にさせないところは親切でさえあり、しかしキッチリ騙してくれる。まったくなあ、しっかり騙されたぜ。ありがと。


「詐欺師がつけなかった嘘」と「動き出した時間」

 時間は動き出す。登場人物たちの止まっていた時間は予期したように、しかし思っていたよりずっと幸福に動き始める。良い映画を作りましたねえ。

「シナリオ」なんて買ったの初めてかも。下のはパンフ。カタカナ表記なしのデザインいいねえ

 おれは詐欺師に会ったことがある。詐欺に遭ったのではなく、詐欺師に会ったのだ。詐欺師として三流以下だったので、こちらも裏をかくのは難しいことではなかったのだが――三流以下の詐欺師なんてコソ泥でしかない――詐欺グループの末端に会う時でも、頭は常時フル回転していなければならなかった。クルマから降りる、事務所に入る、その先の展開は読めず、その瞬間瞬間で何ができるかが試される。そして全てが終わった後は、あの日々は何だったのかと思う。この映画でも人々は失ったものを抱えて生きて行く。死んだ者は帰らないし、慰めなどない――もしあるとすれば、嘘に隠した本音を見破ってくれる人との出会いだけだろう。ああ楽しかった!

 末筆ではありますが、本年もよろしくお願い致します。皆様に。すき。

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