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30年、ふたり。結婚を求める家事審判

 仙台市太白たいはく区に79歳の男性パートナーと暮らす小浜耕治さん(61)が、婚姻届を受理しなかった役所の判断をめぐって、仙台家庭裁判所に家事審判を申し立てたというニュースを知った。費用捻出のためクラウドファンディングを活用するようだ。……で、寄付しました。

 

「あれ同性婚の裁判やってなかったっけ」と思った方のために

 今回は裁判ではなく「家事審判」、役所が同性カップルの婚姻届を受理しなかったことについて裁判官に「役所窓口の不受理が正しいかどうか」審判を求めるものです。仙台家裁は裁判官判断(審判)により役所に婚姻届を受理させることができます。裁判所命令があれば、役所は受理できるのです。

「結局、金っすか」と「いつもの腐し」が頭によぎった方のために
 
小浜耕治さん(61)とパートナーの方(79)が集めようとしている金額50万円は、私には「おお、きっとギリギリだなあ」という感覚です。

小浜さんと弁護団(画像はCALL4のサイトから)

 小浜さんたちは50万円を「謝礼と交通費」に充てます。民法や憲法の専門家の話を聞いて意見書を提出しようとしている。裁判所に申立人として出頭するだけでなく、この行動で確かな意味を残そうとしている。
 61歳79歳という年齢と、彼らの住まいがある太白区が市街地から離れていることを考えても、交通費は必要です。私は若いときに仙台市太白区に住み仙台市宮城野区にあった職場まで自転車で通う暮らしをしていたのでよく分かるのですが、太白区は決して交通の便がよい立地とは言えません。「なぜ自己資金でやらないのか」という疑問に対して私の考えを言えば、高齢者にそれほど余裕はないし、これからお金が大切なふたりです。
 そしてお金の支援は、「支援者の可視化」です。賛同する人がこれだけいると示すことが、社会にこれら発信を無視できなくさせるのです。

ってゆーかさ、「結局、金かよ」って裁判費用や弁護士費用が高いこと、お金がない人は自分の権利も守れないという現実に対して言うことじゃない?
(※ この弁護団の先生方は無償だと聞いてますし、CALL4 もそうです)

おれはお金なくて家族の権利を守れなかったことあるから、そう思うけどね

このクラウドファンディングに参加しました

 私は申立人の小浜さんと同じゲイですが、いっさい面識などありません。しかし「自分が申し立てるより効率的なので」今回協力しようかなと考えました。彼らは私の代わりにこれをやってくれているのです。自分で同じことをやろうとすればやはり50万円くらいの出費をしなければならないだろう。しかし小浜さんが私の代わりに少額の出資で請け負ってくれる。弁護士に会い、どこが現実的な落としどころか話し合い、家庭裁判所に審判を申し立て……という時間も体力も根気も要することを、多くのゲイのためにやってくれるのです。私が同じことをしようと思えば、何日も仕事を休まなければならない。職場でカミングアウトしている私でも遠慮してしまう。ましてや職場でカミングアウトしていないゲイはできない。だからこそ、小浜さんの行動がありがたいし、出資する価値があるのです。

 ぶっちゃけ、おれ自分のためにさえ50万円出せないもん。世間は勝手に「本売れてるんでしょ」と思ってて、時々わけわかんねー絡まれ方するんだけど、じゃあ通帳見せようかって。51歳でコレで、日々の仕事やめられると思うかって。でも今回はこれが自分のためだと分かってるから出すのさ。

自分でできない人は、頑張ってる誰かを支援すればいいんだと思う 

 そして51歳の私と比べても、彼らには時間がない。彼らは「ふたり」でいられる間に、伴侶として制度を問いかけられる間に、「ふたり」でいる間でしかできないことをしようとしている。それが彼ら自身のためだけではないことは明らかです。彼らはゲイのために選択肢を増やすことを、人生の目的においているわけです。金額で悩んでいましたが、3万円にしました。いま通勤用のバッグがボロボロで買い替えを考えていたんだけど、それを気にしなければいいだけのこと。おれ、ボロいバッグ使っててもカッコいいし。むしろ男っぷりが上がるくらいのもんだし。

おれの代わりにやってくれてありがとう

 61歳と79歳のカップルが、残された時間で未来を作ろうとしている。タクシーくらい乗って欲しい。後部座席で手をつないで、多くの支援者が後ろにいることを感じながら、広瀬川をふたり眺めてほしい。

 こうして書いてきたけど、おれはこれを読んでくれてる人に「寄付してほしい」とお願いしているわけではない。これはただのご報告。どちらかというと「効率を考えたときに寄付は悪くない」という話をしたかったのです。

でも周囲のレズビアンやゲイに、お知らせいただけましたら嬉しいです 

明日は福岡高裁の判決。

 こちらは訴訟。リンク先に7分36秒の動画があって、これまでの判決で裁判所が示した「社会的に(同性カップルの婚姻について)承認が得られているとは認めがたい」という言葉に、首をかしげる。法務省が承認すればいいことなのだ。そして法の教育的側面ということがある。自ら国民にこう生きよと示さない司法が、国民のせいにするなんておかしいのだ。何をかいわんや、なのである。法の下の平等という話をさ、誰任せだよ。
 ちなみに、重箱の隅をつつくようで嫌だけど、動画の中で弁護士が語る「みんなが経験すべき人生のイベント」が「結婚」を指しての言葉なら、妙なことを言ったものだと思う。これは「誰でも選択肢があるべきだ」というだけの話で、私には必要だという、それだけだ。福岡高裁がんばれ。

 

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