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ごめん、そのビラはもらえない

 駅前で選挙のチラシをもらった。お疲れ様デスと党名も確認せず受け取って、ズンズン歩きながらざっと目を通す。でも、ああこのチラシは持ち帰りたくねえわ、と思って引き返した。

 「すみませんこれはもらっても家で捨てちゃうだけなんでお返しします」
 「どうしてですか。理由を聞かせていただきたいんですが」
 まあ、そう聞かれれば言いたいことはあるよね。じゃ、ひと言だけ。
 
 「ゲイなんですよ、おれ。同性婚に反対するんでしょ? もらえない」

 トランス排除と同性婚反対を、そのチラシは謳っていた。


 同年代くらいの女性。おれより頭一個分くらい小さい。傍目にモメてるように見えたら自分が不利になる。おれはちゃんと人を殴りそうなタイプに見えるのだ。路上で議論したくなかった。そもそも帰りたい。おなかすいた。でもその運動家はなぜか「言っちゃダメなこと」をおっかぶせて来る。

 「でも、私たちはそういう人たちを差別してないんですよ」

 は? クスリでもやってんのか。


 その女性が続けて行なったのは以下の主張だった。

・「私たち」はトランスジェンダーやゲイを差別していない
・教員ではなく外部の団体が入り込んで過激な教育を行なうのを阻止する
・女性用の風呂やトイレがトランスの存在で危険になっているのを阻止する
・パートナーシップ制で同じ権利が得られるはずだから同性婚はいらない
・私の息子もゲイだけど、結婚はいらないと言っている
・異性愛者にもご縁がなくて結婚できない人はいる。ゲイに結婚機会がないのはそれと同じ


 主張を受け、こちらからも質問させていただいた。カッコ内は回答。

・「過激な性教育」の、その内容を知ってる?(NO。でも過激と聞いた)
・学校が「性教育」を行なえなくなった経緯を知ってる? (NO)
・純潔教育を進めたい当時の与党が性教育バッシングをしたのは? (NO)
・トランス関連の法制化が始まったのはいつ頃からか知ってる? (NO)
・トランスの存在が知られる前から同様の事件は起きてましたね? (YES)
・トランス関連の法制化が開始された後、事件は増加した? (分からない)
・そう、あそこの交番の警官も知らない。比較研究が必要ですよね  (YES)

 分かってる。通り過ぎてもいいんだろう。でもおれ、それができない。


 50歳以上なら誰でも知っていることがありますよね。それは「トランスジェンダー」なんて言葉すら聞いたことがない、誰も存在を知らない前時代から、女装して女性用トイレに侵入する犯罪者はいた、ということなんです。多分それは歴史をみればトイレが男女別になったときからずっと続いている。トランス女性が可視化され、法制化が進み、彼女たちが何かの権利を得たあと、どれくらい同様の犯罪が増加したのかという客観的なデータがなければ、到底女性用トイレで起こる犯罪とトランス女性の間に因果関係を前提することはできない。そうですよね。仮に今後トランス女性からわずかな権利を取り上げても、女性用トイレは危険であり続ける。同性愛者から同性婚の機会を取り上げても、女性用トイレは危険であり続ける。何十年も時代を遅らせて禍根を残し、それでも女性用トイレは安全になどならない。差別。あなたたちはそれを「区別」と呼びたいでしょうが、それを何と呼ぶにせよ、実のない話なんです。後世で検証されるのは、知力を尽くさずパニックを起こして他者を傷つけた集団がいたこと、マジョリティがマイノリティの権利について範囲を規定したこと、そうした恥ずべき歴史があったことです。残るのは、マジョリティがマイノリティの権利を制限する社会です。今回だけ例外だと考えてますか。性的少数者だけに適用される特別措置だと?

 いいえ、これは始まりなんです。これが蟻の一穴なんです。日本はこれからいよいよ希望もなく鬱屈した時代を迎える。女性でありこれから高齢者になるあなたは、弱者が「自己責任」と権利を制限される社会で、自分だけは守られると本当に思うんですか。社会的弱者が団結しなければならない大切なときに、あなたは致命的な分断を行なおうとしている。真っ先にシス‐ヘテロ女性が弱者を切り捨てて見せる。あなたが作ろうとしているのはシス‐ヘテロ女性が被差別の経験を忘れ、マイノリティとしてのプライドもなくし、差別を行なう側に回った構図です。インパクトでかすぎる。なんでするの。

 息子さんは20代、それとも30代? 50代の私たちはそれくらいの世代に人生を想像しきれるものではないと知っている。20代で必要ないと感じていたものが、50代になって価値あるものと知ることなど、いくらでもあるでしょう。彼が愛した人が、結婚を重視する人かもしれない。しかし選択肢は自分の母親が関わっていた運動によって消えている。あなたの4人のお子さんのうち、3人には人生を十全と生きるための選択肢があるのに、1人にはなくてよいと考える理由は何ですか? そしておれがここにいる。おれもあなたの運動で人生の大きなチャンスを逃すひとりです。「出会いがなくて結婚できないこと」と「選択肢が奪われていること」が同一の体験だと考えているとおれの前であなたは言ったけれど、それがどれだけおれの存在を踏みにじっているか分かりますか。機会を逸することと機会が奪われていることが本当に同じ経験だと思うんですか。さすがにブチ切れますよ。いま見回してみて下さい、この群衆を。この中にどれだけゲイがいるか、あなたは想像できない。だから、おれチラシを返しに引き返したんです。あなたが排除しようとしたゲイが実在の人間だと感じてもらうためにです。

 前の時代よりゲイに親切にしてやっていると思っているでしょう。だから同性婚に反対しても「それだけ」だから許されるはずだと考えているでしょう。でも今までは政治の俎上に同性婚は上がらなかった。政治的にヘテロがゲイの権利を云々するのは初めてなんですよ。歴史上初めて、政治的にヘテロがゲイから権利を奪うことになる。その局面でヘテロがどう判断するかをおれは見てる。結果次第では歴史上の汚点になるし対立が明らかになる。おれは、あなたが面と向かっておれとパートナーに結婚は不要だと言ったこの瞬間を生涯忘れない。恨まないと思いますか。許すと思いますか。許さないですよ。ゲイの母親は日本に何百万人もいるけど、我が子に選択肢がなくていいと考える親がいるもんか。息子がそう言ったから何なんすか。あなたが息子の人生に何を願うかだろ。息子のせいにするなよ。

 女性用トイレの話をしましょうか。もし犯罪者が入りにくいトイレが作れるとしたらどうですか。現在はあなたたち女性は犯罪者を判別し自力で追い出すしかないと思っている。いざとなったら取っ組み合うしかない、その前に殺されるかもしれない、そんな日々をいつまで続けるんですか。コストをかけて安全を作ればいいのです。おれなら女性用トイレは人通りが多い場所に設置し、壁はピンクに塗らない、そもそもドアを作らない。入口から見て死角がなくパウダースペースに立つ人と個室の扉が外から見える造りが安全です。犯罪者の侵入を防ぐならトイレは汚れていてはダメ、薄暗くてもダメ、蛍光灯が切れかかっているなんて最悪。常に目が行き届いていることを意識させることが重要です。トイレの入口には常時撮影しているカメラがある、個室には緊急用ブザーがある、押したら3分以内に人が来る施設でなければならない。それだけでどれほど犯罪者にとってストレスになるか。安全は作るものなんですよ。そのために考え抜くんです、頭を使って。あなたがやろうとしているのは思考停止しての悪手です。それも最悪なやつです。

 性犯罪者の心理を想像したことがありますか。女性用トイレが女性の恥部と秘部が晒される秘密の場所だと犯罪者は空想し、窃視願望と一体感を求めて女装での侵入を試みる。女性は非力で悲劇的で美しい、と彼らは空想している。そして最も無力になるのがその場所だと思っている。彼らは男性も使用するコンビニのトイレでは性的興奮を得にくいはずです。さっきあなたは「歌舞伎町のジェンダーレストイレも廃止になったでしょ」とそこに何かの意味があるかのように言ったけれど、性犯罪者の歪んだ夢や空想が意味をなさなくなるのはジェンダーレスなトイレです。性犯罪者こそ「女性専用の」トイレを求めているんです。女性しか入れない場所だ、ここで女性の「秘密」が暴かれるんだという空想が彼らの性的ファンタジーを支えている。シス女性がトイレをシス女性「専用」と言い、ひたすら怯えるだけの弱者としてふるまうことが、どれだけ彼らを興奮させるか分かりませんか。無害なトランス女性まで怖がってるような態度は、自分が獲物だというアピールでしかない。そういうことを考えたことがありますか。なぜ考えないんですか。
 どんな場所なら安心できる? どんな場所なら勝機があると思える? 

 あなたたちの多くは性犯罪者を突き動かす衝動が、性欲だと考えている。そして性欲とは射精欲だと考えている。警察はそのように発表するしメディアもそう報道するからです。でも警察構文って知ってますか。「性欲をもてあまし犯行に及んだ」というやつです。おそらく自己顕示欲に駆られた性犯罪者たちは他の多くの重要な自白をしていますが、それは調書に記録されない。警察官は犯罪心理学者じゃないし、定型的な文書を下書きして、清書させるんです。それが、犯行理由が「性欲をもてあまし」ばかりになる理由です。もちろん彼らの仕事としてはそれで済むしボーナスも支給されるけれども、防犯のための重要なヒントは不明になっていく。でもおかしいと思いませんか。なぜ性犯罪者は女装するのか。

 だって単にレイプが目的だったら女装なんて目立つことをしなくても侵入しやすいトイレなんて山ほどある。犯罪で最も重要なのはうまく逃げることで、女装なんて目立つことをするのは論外です。トイレ盗撮のAVを制作していた会社は女性スタッフを使いトイレにカメラを設置させていた、それが当然です。あそこを歩いているサラリーマンを御覧なさい。ありふれた男性ですが、彼が女装したところで女性には見えない。つまり、性犯罪者は単に侵入を見とがめられないためだけに女装するのではない。目的はレイプだけではない。少なくともそれは唯一の目的ではない。それが唯一最大の目的ならヒールなんか履かない。

 女装する性犯罪者は女性用トイレで自分をかよわい女性だと空想し、女性の非力さを体験したいのかもしれない。「女性専用の」空間で女装がバレて通報逮捕される不安と恐怖を、性暴力に怯える女性の心理に重ねる。自分を非力な存在と感じて、被害者との一体感を得るのかもしれない。彼らがその瞬間、自分を女性視することは彼らにとって重要だと思います。その場が「決して男性が入れない、女性専用の場」であることが、彼らの性的妄想には重要な要素だからです。とても独善的な思考回路です、彼らは夢の中に生きている。だから彼らはその場所で絶対に自分以外の男性に出会いたくないはずです。彼らはおそらくトランス女性を蔑視しています。彼女たちを男性と見なし、偽物だと考えて憎んでいる。性犯罪者は決してトランス女性に「シス女性のためにある」便座に座って欲しくないでしょう。そして女装する性犯罪者にとって、トランス女性は脅威でもある。トランス女性は「シス男性の女装」を自分とは全く異なるものとして敏感に察知する。正体を見破られる恐怖がある。女装しない性犯罪者も、トランス女性を警戒する。女性ホルモンを投与して腕力が落ちているとしても、トランス女性を恐れる。彼女たちが暴力を受ける痛みと共に生きてきた人たちだから。

 「トランス女性が女性用トイレを使えば女装した性犯罪者が来る」という皆さんの想像と、「トランス女性が出入りする女性用トイレを性犯罪者は忌避するはずだ」というおれの想像。どちらが確からしいと感じますか。トランスジェンダーの存在を人々が知るはるかに以前から性犯罪者たちは女装して女性用トイレに侵入していた、その歴史的事実を考え併せたとき、デマに踊らされる愚行を思いみることができるんじゃないですか。トランス女性を排除しシス女性だけの空間を作ることが、性犯罪者の利益と一致する点を考えてみて下さい。ご自分が何をしているのか本当に分かっているつもりですか。ジェンダーレストイレは、今も選択肢のひとつだと思います。空間デザインによっては、シス女性にとっても安全な場となり得ていたはずです。

 あなたは彼らとちがって空想しない。夢の中で生きているわけでもない。空間で、その構造で、防犯を考えるのです。彼らが被害者を物色するために鏡の前に立ってチャンスをうかがうなら、彼の身体で隠れるような小さな鏡が設置されたトイレは危険です。映り込んだ彼の全身が他の人にも一見して分かる大きな鏡こそ彼らにとってストレスになる。いたたまれなくさせるのです。もちろん灯りは強く多方向からのものがいい。個室の扉は内開きがいいと思いますか、外開きがいいと思いますか。それも防犯上の着眼として重要かもしれない。犯罪が起こりにくい個室は広い、それとも狭い? なぜご自分が即座に答えられないのか不思議に思いませんか。何十年も女性として危険と共に生きてきて、お子さんもいるのに。鏡越しに物色していた犯罪者が被害者が個室に入りかけるタイミングで襲い掛かるのであれば、鏡と個室の距離はどれほど離れていれば攻撃が成立しにくいでしょうか。彼はそのとき走る、あるいは歩調を早めて対象に近づく。その急進的な動きや靴音を伝える床材がいいし、鏡は多いほどいい。被害者が攻撃され自由を奪われる前に防犯ブザーを押すには、個室はどのような造りであるべきでしょうか。いま挙げたことをこれまで考えたことがないなら、それはなぜでしょうか。

 考えてみて、「今まで社会は何もして来なかったんだ」と思いませんか。真に頭がいい人たちはどこに行ったんでしょうか。なぜ専門家たちは女性用トイレを安全にするために知力を尽くさないのでしょうね。あなたが応援している政治家には、トランス女性を排除する以外のアイディアがない――それは、このチラシに明らかです。彼らは同性婚の機運に反対する理由を探していて、トランス女性攻撃を思いついただけです。デマに乗るし利用する。

 なぜトイレには安全基準がないのでしょうか。建物や地盤の脆弱性は科学的に検証されるのに、性犯罪が物理的に起こりにくいトイレが研究されないのはなぜでしょうか。運を天に任せるしかない恐怖心から、トランスジェンダーがいなければ世界は安全だったと妄想して怒りをたぎらせるのは認知の歪みと合理化以外の何物でもないし、欺瞞であり、トランス女性に対するひどい暴力です。なぜ侮辱するんですか。トランス女性を排除すれば安全になるなんてあり得ない。侮辱より有効なことができると思いませんか。物理的に犯罪者を排除し、犯行をできなくさせ、心理的にも追い詰める――そここそ知力を使う意味があるポイントじゃないでしょうか。
 差別より安全なトイレを造るほうが、よほど誇りに思えるはずですよ。

 いま考えてみて下さい。それは本当に必要な排除なのかと。トランス女性を女性用トイレから追い出せば女性用トイレが安全になるなんて、バカげた空想です。50代以上の日本人なら、トランスジェンダーが出て来る前から女装した性犯罪者が女性用トイレにたえず侵入していた事実を知っている。それなのに、口をつぐんでいる。事実を語らない。なぜですか。トランス女性を女性用トイレから排除しても何にもならないことが分かっているのに、なぜそれを若い人たちに教えてあげないんですか。デマに踊らされ、しなくていい排除を行なって責められ、自分の身代わりに犠牲者を男性用トイレに追いやった罪悪感に苛まれるのは若い人たちです。現代に日本で魔女狩りが起きたことを歴史に残して、人は尚も愚かだったと証明して、女性用トイレはこれからも変わらず危険であり続ける。
 こんなことに、何の意味があるんですか。マイナスばかりですよね。


 ――他の話はともかく、女性用トイレを環境から安全な場にできるという話は、彼女の関心を刺激したようだった。防犯のためのライトは赤じゃなく青、副交感神経に働き、プルキニエ現象がもたらす効果も期待できる――そんなことだってヒントになる、何でもヒントにする、トランス女性を排除する最大の愚行を避けてもできる取り組みはあるはずだ。いくらでもあるはずだ。その取り組みは「誰も女性の安全のためにコストをかけない」という思い込みから脱却して初めて、想像が可能となる。シスジェンダー女性がもつ最大の不信は「何もしてくれない」社会に対するものだ。本心ではトランス女性を恐れているのではない、憎む必要もない、誰か弱者を排除したいわけでもなかったはずだ。もっと強大でわけのわからない現実を直視するのがつらいから、イメージだけの弱者に八つ当たりしている。もし既に女性用トイレが「誰が紛れ込んでも安全だと思えるほど」事実安全だったら、安心を感じられていたなら、シス女性はトランス女性を憎まなくてもよかったのだ――その点から片時も目を離してはならない。放置され続けた危険、かえりみられなかった不安が、この分断を許したのだ。
 誰が国民を分断しようとした?


 30分、このために帰宅が遅れた。疲れ切った。パートナーに電話でこの話をすると、極めて現実的な彼は「話を聞けてよかったと何度も言っていた彼女はその30分で新しい考え方を知ったかもしれないけど、事務所に戻って同胞と話す10分で元に戻るぞ」と言う。「でもサガなんだよ」とおれは返す。

 「なんだって?」
 「それでもおれは『 RYOJI 』だってこと。変われない」
 「……」
 「彼女の息子、ゲイだしさ」

 通り過ぎることができない。

 しかしいつまで自分は信念をもち続けられるだろう――そのことも思う。実際に同性婚が遠ざかっても、この自分でいられるだろうか。ある種の人々は「お前は絶望を知らない」と若い日のおれを笑った。それに対しては「絶望を知った上でこれをすると決めた」と言える。しかし自分も確実に老いている。日々老いている。真に失意のどん底に落ちたとき、おれは何を思うのか。自分の後悔を待ち構えながら、「まだだ」と自分を支えている。


 息子が結婚は要らないと言っていた、か……確かに心を挫かれる。でも。

 「ゲイだけど」元気だ。
 「ゲイだけど」有能だ。
 「ゲイだけど」弱者じゃない。
 「ゲイだけど」悩んでなどいない。
 「ゲイだけど」わがままじゃない。
 「ゲイだけど」わきまえている。
 「ゲイだけど」明るく他者を不快にさせない。
 「ゲイだけど」活動家なんかじゃない(=バランス感覚がある)……

 カミングアウトしたら、そんなマッチョなことを言いたくなる。考えてみれば、そうだろうなと分かることだ。他のことでも誰でも、「弱点」を晒した後は、「でもね、」と言いたくなる。それはカミングアウトにまつわる真実のひとつで、まだ語られていないことだ。言い換えれば、「結婚なんて要らない」と若いゲイに言わせるのは簡単なことなのだ。エキセントリックに見られたくない人に、秀でてわきまえた前向きな発言をさせることは。

 まだまだそんな社会だ。「ゲイだけど」の先を言わせてしまう社会。

 でも人が思うのは「ゲイカミングアウトなんかできる人なのだから、何でも気後れせず本心だけを言うだろう」ということなのだ。「強い人」だと、彼が自分の息子であることも忘れて思うのだ。それはカミングアウトが引き寄せがちな目くらましだ。セクシュアリティのカミングアウトがまだ特別なことの証だ。――だから、親は両面を見ていなければならない。「カミングアウトできる強さ」と、「おそらくそれが精一杯であろうこと」の両面を。

 親なら息子に必要なことを言ってやれ。その子は活動家じゃない。だからおれほど多弁じゃない。世の中を動かせるとも思っていない。タイミングも「お前なんて家族じゃない」と言われるかどうかの局面を切り抜けたばかりだ――そんな息子は親に何を言うと思う?
 「ゲイだけど惨めじゃない」、それだけだ。

 でもそれは、ゲイであることが負だという意識に裏打ちされていればこそ「言いたくなる/言わせてしまう」言葉だ、そうじゃないか。自己肯定感の塊みたいな人間はそんなこと言わねえよ。アレも欲しいコレも欲しいって言えるよ。人の一生に選択肢がなくていいわけないだろが。絶対ないだろが。そんな虚勢も消えるまで、こんにゃろって、抱きしめていてやれって。 

 おれがゲイの子をもつ親ならカミングアウトに何と返していただろう?
 「今まで心配させまいとしてきたなら、これからは少しくらい甘えろ。お前はおれの息子だからそんなに出来た人間のはずがない。親をナメるな」
 と言っただろうか。こんなとき「ヘテロに生まれたかった」と思う。

 残念ながらおれには親になる機会がなかった。だから若いゲイのため、せめて愚痴と弱音ばかりのポンコツでいてやりたい。元気でも明るくもなく有能でもないが、楽しくやってるし、何人か親友もできたぞ、と実証するために。好き放題言って書いて、甘やかされてるよ、と言うために。

 弱音も当たり前に吐けるようになって初めて、「弱者」卒業なんだよ。

 それを誰もが分かるまで、あとどれくらい時間が必要なんだろう。


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