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おれが磯辺巻きを好きだから

 黄粉もち、辛味もち、雑煮、磯辺巻。まあその順ですね。いや、そりゃ雑煮は旨いですね、格別に好きではある。でもそんな枠外に磯辺巻があるんですよ。焼けた餅をアチッて言いながらサッと醤油にくぐらせて、海苔巻いてねえ。巻くときに海苔にバター塗っといて、溶けたバターで手をベタベタにしながら食うのもいいですね。あんな旨いもんがなんであるかなあ。
 おやつ。おやつでいいですね。雑煮は食事でしょう? 磯辺巻をひとつふたつ頬張って、ちょっと小腹を満たすのがいいんですよ。潮みたいな香りが焼いた餅と醤油の香ばしさに混ざって、幸せなんだよなあ。

 数年前にね、25年ぶりくらいに親友に電話して。高校からの仲なんだけど、ずっと疎遠だったんですよね。半年くらい一緒に住んでたような仲なのに。それが25年ぶりに電話したら、一瞬で時が戻って、翌朝にはクルマ飛ばして会いに行ってた。親友の実家で、ご両親もいて。高校時代の続きみたいに、おばさん次々に食べるもの出してくれて、久しぶりに磯辺巻も食べた。
うめえなって。当たり前すよ、親友の家で育てたもち米をいてんだから。そんなの、うまいに決まってる。最高に決まってるんだ。

 それでね、今日ね、正月のためにいた餅をさ、送ってくれたんですよその親友が。切って、たくさん。この量を切るのだって大変なのに、海苔も入ってて。後は大根とか白菜とか。嬉しくなっちゃってね、電話して。自分の工房を大掃除してた親友に、いまいいかって時間取らせて、話し込んで。おれが磯辺巻を好きだから、焼き海苔まで入れてくれたんだなって言ったら、「それはたまたまだ」って言うんだ。あるモン入れとけって家族で話したんだって。だからおれ「それは聞かなかったことにするわ」って。嬉しがらせる嘘なんかいくらついてもいいのに、そんなとこもさ、変わらない。おれも何でも嬉しくて、そこも変わらない。51歳ですよ、でもそういうのは、同じで。

 17の頃だった。家族が絶望に侵食されておかしくなっていく、自分も夢なんてアタマ振り絞っても出て来なくて、教師に夢だの希望だの聞かれるのが地獄で。その話になると失語みたいになってて、そんなもんねえよって。新聞配達の給料はそのまま全部すぐ家計に消える、未来なんかない日々。眠気でフラフラしながら体育の授業に出て、ハードルを蹴り飛ばしちゃって自分もスッ転んで。あーあおれみっともないなと思ってたら、そこで爆笑しながら「JACジャパンアクションクラブみたいだったよ!」って言って来たのがその親友だった。それがまともに口をきいた最初だった。それで仲良くなったんだよなあ。どんな話でも動じなくて、何でも聞いてくれた。ゲイバレ後も完全に同じ。今でも、おれに良いことがあれば本気で喜んでくれる。

 なんかおれ、生きちゃったなあ。それでよかったな。おれは。

 だからおれは、本音では生きたいんなら、生きたほうがいいよって思う。死にたいと思っている人も、その状況は変わるかもよって思う。もちろんそれは約束されたことじゃないんだけど――生きてみないと、それさえ分からないからねえ。

 「なんか欲しいもんないの」って訊けば「ないなあ」って言うからお返しに困ってる。「酒?」「あるし」「東京の何かとか」「別になあ」みたいな会話を毎回繰り返して。ジンでも送るかな。困りながら、本当に何もいらないんだろうなっていうのも、分かってる。さてさてどうしようかなあ。


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