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どんなラララ(週記:2024/12/21)

酸いも甘いもかみ分けて、胃の中で混ぜ合わせている皆さんこんばんは。「清濁併せ吞む」と言うとき「清」はないもんだぜ。そんなラララ。



茹ですぎたパスタ(量の場合は正義、時間の場合に悪)

 日曜の正午に地獄の釜みてえになってる鍋にパスタを投入して、時々アップする詩(みたいなの)を書いていた。どうにも言葉が収まらない。……

 我に返ったのは茹で時間9分のところを16分茹でてしまった後だった。

 キッチンタイマーあるけど使ったことないんすよね。味見も面倒がる人間がさ、タイマーをセットするか。しねえよ。
 つーかよぉ、なんで茹ですぎるとあんなに不味いの。何とかなんねーの? うちのネコ型ロボット使えねえ。「ペペロンチーノ~!」しか言わねーし。21世紀だよなあ今? ここら辺ちがうのかよ? 全国的にそうだよなあ?

 あ大丈夫です。全部食べましたから。


 おれの問題は大体「どこでもドア」だけで解決する。ジャイアン化は試したが、買った覚えのないものが増えただけで、人生の問題の多くは何も改善しなかった。それより「どこでもドア」だ。オイのび太、俺様によこせよ。


Androphilia

 男性愛:アンドロフィリアとは男性を恋愛的性愛的に指向することで、私はこれに当てはまる。あるいは私はゲイだという言い方もできるが、これは私が体感/自認している性別が男性であることを前提している。ゲイと自称するとき私はマイノリティであるが、男性愛者だと告げれば人口の約半数と同じ立場のように響く。いずれにしても私は自分のセクシュアリティについて今も緊張しながら書いている。これはおそらく多くの人にとって意外な事実ではないだろうか?――おれ、めちゃめちゃ遠慮しながら書いてんすよね。まずプログラム「RYOJI」を起動して、仕事モード入らなきゃできないんすよ。うんこ。


プライモーディアルポーチ愛

 この記事で「んあぁんっ……」って変な声でた(イヌ派)。

 なぜかサバトラ(だっけ?)に多い気がする、この腹部のたわみ(プライモーディアルポーチ)。跳躍など大きな運動を助ける、皮のゆとり。僕にもあります。目つきいいなあ。「あ、げんちゃん来た」という確認行動。


マガジンにご登録いただきました

 KP61様が運営されているマガジン「BASAHIN MULI」に「セルフカットを始めた理由」という記事を登録していただきました。

 「数年前に(差別発言があって)床屋が嫌になった」という内容でした。note を始めて間もなく書いたもので、マジョリティでもある自分が何を表現すべきかずっと考えているなと、読み返して分かりました。でもこのころはまだ「一歩踏み出す」という感覚(躊躇)があって、「あるいは踏み外しかねない」と、アップに緊張した覚えがあります。よく言われる「誰もがマイノリティである」という言葉は「誰もがマジョリティでもある」を含意するはずなのに、そこは微妙に触れられない社会であるから、でしょうか。
 また、段々文章の語調がルードに。心に近いところで言葉を作らなきゃと思ったのでした。「当てたら100円やるよ」という結びが自分では気に入ってます。おかげさまで色々思い出しました。古い記事を、本当にありがとうございます。


マガジンにご登録いただきました

 KP61様が運営されているマガジン「ラーメン・乾麺・カップ麺」に「何名様ですか」という記事をご登録いただきました。

 記事は「パートナーから深刻な電話で呼び出されて、ふたりで生きる日々に思いをはせつつ食事する」という暗い内容であり、且つ食しているのもお店屋さんの「うどん/そば」なので、マガジンに合うだろうかと心配になり恐縮もしたのですが、非常に嬉しかったのです。人は様々な状況下で(つらい日でも)生きようとして食べる。その多くの人の営みに並べていただいた幸福感がありました。ありがとうございました。


記事をご紹介いただきました

 たよろよろ図書館 DATABASE 様が、「24条『両性』問題の、別の問題」という記事をご紹介下さいました。

 同性婚をめぐる対立のなかで、「24条」に「両性」とある意味、そう書かれなければならなかった歴史が軽視されているようで、何とか女性の尊厳と暮らしを守ろうとした文言を同性婚反対のために曲解するなと腹立たしくなったので書きました。もちろん変な理屈に利用する人は一部であって、多くの人はこの条項の意義を歴史と共に胸に刻んでいるのでしょうが。たよろよろ図書館 DATABASE 様、ご紹介ありがとうございました。


記事をご紹介いただきました

 青山 風游ふゆ に、「ただ君をかわいいと思うことに」という記事をご紹介いただきました。

 うちの母は決して息子を「愚息」などと言わない人でした。教師に対しても「うちの子なんてダメ」系のことは一切言わず、むしろ「やればできる子です」と言うので、教師たちは「謙虚にふるまって好感をもたれる術さえ知らない非常識な親」と思ったかもしれません。しかし母自身は親から他人と比較されて育った少女でした。だからこその闘いであったわけです。とてもありがたいですし、自分はその思いに背かず生きて行きたいです。自他を卑下せず。ご紹介ありがとうございました。そして、いつも猫ちゃんの画像をありがとうございます。それだけではなく、こちらも青山さんの記事で癒されております。「闇夜の電車」、詩のことは分からないんですけど、ラスト一行でウッと声が出ました。その一行が全てを現実にする。キラッと。これからも読ませて下さい。


マガジンにご登録いただきました

 月のしずく 様が運営なさっているマガジン「創造と想像 (creation & imagination)」に記事を登録していただきました。「song #04」というタイトルで、詩の習作です。

 これは驚天動地の一歩手前くらいには驚きました。内容的にマスターベーションの詩であり(だと思います。Tシャツも脱いでますので)、「嫌がられるのではないか/終わりが潔くないと思われるのではないか」という、そのどちらもを危惧していたのです。そして「詩」という形。自分は書きたがりではあるけれども何が詩かも分からず、おそるおそる出しているので、基本的に全くご評価いただけると思っていないのですね。ですから本当に驚きました。ありがとうございました。感謝しております。


 いま三点リーダの打ち方が急に分からなくなったので震えている……(←手が思い出した)。こんなことってあるのか。思い当たる理由としては、今日は15時間くらい書いているということ。遅筆なんである。


「song #04」について尚も(考える材料なしで)考え続ける

 自明な行為とされるものがあって、ただ自明とされるだけにとても乱暴に語られてしまいがちで、気持ちとか、目的とか、意味は人の数だけあるだろうと予測できるにも関わらず、その「人の数だけあるかもしれない」ことさえ実感できなくなっているものがある。そのひとつであるマスターベーションを「セルフ・プレジャー」と言い換えることを提唱していたのは村瀬幸浩氏だが、おれにはそれが万人にとって喜びであるとは到底思えなくて、自分の感覚では「セルフ・メンテナンス」がしっくり来る。メンテナンス感ならあるから。だが「メンテナンス」では「プレジャー」の部分が遠ざかる。それも重要な意味であるはずなのに。相手がいる性行為より下位に貶められてきたのであれば尚更、プレジャー面で再評価することは必要なのに。
 自分は性(心で生きる/心を生かす)の講師なので、常に(と言ってよいくらい)性を考えているし語る。その観点からは、「song #04」は本質的な語りに近づけたような気もする。言いたかったことは割と書けた気がする。アロセクシュアル面とか。だがそれが平均的な実感であるとはとても言えない。実感/実際が語られることがそもそも少ないからだ。……とか業のように考えている時点でプレジャーは遠ざかる。村瀬先生たすけてくらさい。


La Preziosa は長いトマトだって

 カットトマト缶は丸っこい酸味の強いトマトじゃないかと疑い、いつもホールトマト缶を飼っていたのだが、カルディのおねいさんに「これはカットもホールも同じ(甘味の強い)長いトマトですよ」と教わった。何十年もホール買ってたよ……でもありがと……

La Preziosa。発音の仕方は、まだ知らない

絵本「アンチレイシスト・ベビー」

 ふと思い出して読み直し画像も撮影したのだが(職場に置いてある)、これを絵本にする意味がよく分からない。子どもには難しいのだ。大人にはもう少し情報が欲しいのだ。絵を見せながら大人がそのココロを語り聞かせる以外にないのだが……まあそれでいいのか……うん。

「誰もが幼い頃から、レイシストか、アンチレイシストか、そのどちらかになるように教え込まれて育ちます。どちらでもない、中立の立場というのはありません。」

 まあ、ここまでキッパリ言い切ってくれる本もそんなにないわけよ。おれは自分が一方の当事者である係争が起きたとき「どちらにも味方しない」とさも気のきいたことを言うような口ぶりで言った第三者に「どちらにも味方しないということは、どちらからも恨まれることで、おれに恨まれる方が厄介っすよ(ハート)」と言ったことがある。――ちょっと、いやかなりちがうけど、まあいずれにしても中立ってないのですよ。人生の事柄の多くで。

「アンチレイシスト・ベビーは、生まれつきそうなのではありません。しつけられてなるのです。アンチレイシスト・ベビーは、社会を変えていく人になるよう育てられるのです。」

これから大事なことを言います

 これは土曜日までの一週間で書かれました。日付が(日曜に)変わってからアップされたという事実があっても、土曜日までの週記であることを疑ってはなりません。よろしいですね。今週もありがとうございました。よい日曜をお過ごしになられますように。

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