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どんなラララ(週記:2024/12/28)

「よいお年を」とは本気で思ってる。皆様に。そんなラララ。



ネットと「リアル」

 ヤバい。こんな大層な小見出しは付けるものではない。テーマ壮大すぎ。

 でもなんでインターネット上の交流に対して「会うこと」をリアルと表現するのか、以前から不思議ではあった。ネット上の交流は非現実アンリアルなのだろうか。そこの説明として考えられるのは「体面が多いからね」というものだ。――でも待って、それどっちのときのこと? 必ずしもネットがむき出しの感情や内情を扱うのに適したツールではないことを数十年の短い歴史でヒトは思い知ったのだし、ほっとくと家庭や学校また会社や地域社会でヒトが表面的な付き合いに終始することはネット時代以前からそうだったのだ。
 自分が本音を出すのにどっちの場がラクかで決めてもいいよね。どっちがそれをして安全かとかね。どっちでも本音で生きてるに越したことはないけど、どっちも虚飾や体面だと辛いからどっちかは素顔出せるほうがいいかもね。ああちがうな。どっちでも、取り繕ったり言葉飲み込んだり思いを隠したり、たまに本気で語り出したり同じキモチで隣にいたりするのがヒトだった。そういうジタバタを、「カワイイ」と言ってみる。たぶん現代は可愛げの時代よ。そんならあなたの可愛げがバレちゃう人生でよくない? そんなことを言えばオキラクだの考え足りてないだのウンコだのバカだの言われちゃうんだけど、バカって言ったやつがバカなんですぅー(←今もって意味が分からない超理論)。ともあれ「リアルする」から始まった一週間だった。


第二胃袋での反芻

 でも「リアル」やっぱいいよね。ごめんおれ山ちゃん自家製の梅干し食べちゃった。ファンに刺されたらどうしよう。でも美味しかったのー。

 あの人リアルであのまんまなんだよ。どのまんまだよ。いや全部。
 おれが一番好きなのは、この下の記事。忘れられない、大好きな記事。
 だから、ずっと会いたかった。

 この「僕の、グリン」は「ここまで見せてくれるのか」と感激したんですよね。アップするの勇気が要ったと思うからです。書くことは勇気が要る。これは別建てにしようと考えていたんだけど、ここに置いておくか。

 書くことは心を裸にする。原稿を読み返して心が裸になっているなら――さぞいたたまれないだろうが――あなたは何かを書いている。だがそのように書いている人は、実は、とても少ない。

 「そのような文章ばかりではない。目的は多々あるはずです。書くにせよ、読むにせよ」という反論には同意しても、私は「それでも」と言う。

 人は作家の心をのぞく期待感で、ページをめくるものだ。服を一枚一枚脱がせるように。丁寧に合わせたひと揃い、磨かれた靴、姿見に映る完璧な装いは、それでも「脱がせたくさせるために」あるのだ。それを忘れたとき、服は肌を隠すだけの布である、と思う。それで充分な機能であり役割でも、それを不満と書く私。だって読むのも大好きなのだ。脱がせて、いいすか。


奥さん、大晦日に「呪怨 劇場版」流すんですってよ(東京MX)

 パートナーから教えてもらった。「呪怨」はホラーであり人がバンバン死ぬ映画である。何でもお坊さん集団がワイプで(多分ワイプで)キャイキャイ観て、登場人物が死ぬたびに「即読経、即供養」するらしい。ウォッチパーティからのその流れも見慣れたけどやっぱし素敵。マニアが「呪怨はビデオ版が至高」っていつも言うけどうっせえよ。VHS貞子が2025年問題で危機だからジャパニーズホラーは呪怨だのみなんだよ。「呪怨2 劇場版」の主演は酒井法子様だぞ。オトナの事情でココに書けない(ダメ、絶対。)色々があった人だぞ。で、のりピーがラストああなって、それを目撃して呆然とするカメオ出演小学生は「女王の教室」の松川尚瑠輝君だぞ。もう33歳だぞ。ああマニアうっせえ。劇場版(1)主演は奥菜恵さんで(長いので略)。


年の瀬の職場での会話(対ボス)

「えっコンビーフってビーフなんすか?」
「ビーフって商品名に入ってるからねえ」
「でもシーチキンはチキンじゃないじゃないですか」
「ははは」
「チンパンジーはパンジーじゃないじゃないですか」
「どうしたの」

おやつくれた。ホクホク

クリスマスケーキ代だけでもね

 毎年クリスマス前に、小さな子がいる同僚ふたりにお年玉を渡している。ずっと3000円だったけど物価高が止まらないので今年からは5000円にしようと思った。「ケーキが買えること」を基準に額が決まったという始まりだった。それしかできなくても、今年もできたことにホッとする。万が一にもケーキがないクリスマスになったらどうしようという不安が消せるのだ。サンタとかじゃないよ。サンタ協会みたいの調べたらさ、サンタって資格に「既婚者」要件があるんだよ。長い間サンタのイメージって単身者だったなあ。孤独はとてつもなく無限なのに愛はあまりにも有限だと人生を知った人。そう言えばマンガの「スカイハイ」でヤクザがサンタクロースになろうとする話があっただろう。バス事故の。彼はサンタクロースだったと思うねえ。


マガジンに追加していただきました

 KP61様が運営されているマガジン「BREAK THE BORDER」に「作ろうとしているひとたちがすき。②」を追加していただきました。

 このマガジンは isa さんのカッコいい記事が追加されたというような折に知って、憧れて。どういう人が越えるべき「境界」をタイトルにするのか、とKP61さんという「非クリエイターを名乗る人」を意識した機会でもあったわけでした。おれは泥臭い熱の塊で、文章は長く重く。でも書きたいという思いを、受け止めていただけたのだと感じています。必死にそこに立っていたいと願う者には、こうして逃げ場をなくしていただくことが何よりありがたいのです。常日頃そんなことは避けているのに、人生で初めて自分の文章を「拙文」と書きそうになりました。たぶん、「もっといいものを書いて応えなきゃ」と思ったせいです。おれ、いま謙虚です。


マガジンに追加していただきました

 KP61様が運営されているマガジン「上映・配信・放送・VHS・LD・VHD」に「その土曜日、7時58分」を追加していただきました。ありがとうございます。

 「その土曜日、7時58分」という映画タイトルそのままの記事。まだ始めて日が浅く、誰に向けて何を発信すればいいのか迷いながらの時期。特に「誰に向けて」ということはほとんどなかった。あの頃は距離が遠すぎたかもしれない、今は近すぎるかもしれない。それは見方による。


賞味期限とは何なのか

 〇〇ハムの焼豚が冷蔵庫の奥から出て来て、賞味期限が2024年2月って書いてあるから見なかったことにして食べたのだが、ただ美味しかった。心配なのは、その肉塊を丸々ひとつ食べたことによる塩分摂取量のみ。


日付変更線(これが表示されるときは RYOJI が塩分過多です)


ラーメン(ナルト入ってない系)

 もう正月休みに入るだろうし病院行っておくかと出かけたら、午後からの診察までに一時間あって、時間を潰さなくてはならなくなった。朝昼とメシ食ってなかったから食事しとこうと思い立つ。あまりごはん屋さんがないエリアで、目についたのは松屋と「らあめん花月嵐」だけ。じゃ花月で。

嵐げんこつらあめん(中太麺/醤油)+ ぶためし

 うまかった。インド系の店員さんの笑顔も最高。ただ年の瀬だから感傷的になってるだけかもしれないけど、どうせなら町中華のシンプルなラーメンが食いたかった気もする。がなるテレビを横目に古い週刊誌とかめくりながら、ふと「あれ、ここの旨いじゃん」と気づいたりしたかった。スープの濃さとか背脂の量とか決めたくない。麺も数種類を用意しておくことにコストかけなくていい。こっちはナルトをどのタイミングで食うかだけ気にしていたいんだ。
 ……とまあ、「そんな日もある」と言いたいだけの。


そのまま散歩

 何となくそのまま、再び電車に乗って人がごった返す街へ。年の瀬と感じるために東京を歩く。若いころ知人以下から「なんかお前って主役みたいに歩いてんのな」と言われたのを思い出す。その短いフレーズに嫌味を込められる才能。一人で歩いてるときにおれが主役じゃなくて誰が主役なんだよ。どっから見てたんだよ気持ちわりい。あいつはおれを笑いたかったのだろう。人生にプロットがないと、ああなる。――ふと、ひとり歩く老人に目が止まったのは、彼が心を見つめながらも微笑んでいたからだ。彼には幸福な記憶あるいは予定があるのだ。ここは道を譲って背中を見送るシーンだ。


 ユーハイムの「クランツ」が売り切れだった。悄然として帰宅。


(ゲイは見ない方がいいかも)石橋貴明の HOMO MAN

 自分用資料として。90年代なんてまだまだ地獄みたいのあったんだけど、ガキは知らねえよな。いまは寛容な(=罪を咎めだてない)気持ちに(おれが)なれる良い時代ですね。これはまだ全然マイルドなやつ。この時代を懐古的に尊ぶ人々のため再びコレで笑えるチャンスを考えてみるに、「完全にパワーバランスが同じになる」その後に(ブラックジョークとして笑えるようになるかもしれない)可能性があると思う。完全な過去としてね。でも、まだダメだ。おれがムカつくから。――あっゴメン寛容じゃなかったすね。

 ちなみにバットマンは昏睡状態にあるときにレイプされ「ダミアン」と名付けられた実子がいるのだが(後にロビンとなる)、昔からゲイじゃないかと噂されている。どっちでもいいじゃねえか。大富豪&ヒーローな時点でくそマイノリティだろ。あとな、おれは「忖度の結果」こうなんじゃねえぞ。

【解説:おれがアホ設定なのは忖度の結果じゃないという主張について】
 アメコミヒーローのマイノリティ設定はしばしば「過剰なポリコレへの忖度」と揶揄/警戒される。「ダニエル・クレイグ後、007は女性か黒人か」という「騒動」もこれと同じ。ヒーローが「常に白人男性で性別違和がなく異性愛者だった」歴史こそ長き忖度の事実、遺物である。おまけにサンタとか既婚者限定だよ。書かなかったけど「子アリ要件」もあるんすよねえ。

 すべての子どもたちに、ヒーローになれる夢を。それが芸術の役割だ。


仕事納めの日の失態

 ボスに「年末の挨拶って面倒じゃないすか」と話していた。「本年も大変お世話になりました、新年もよろしくお願い致します、よいお年を、って長えんすよ。めんどくせえ」とか好き放題言ったあとで、ふと気づいて、「えっこの後どうすんのよボスへの挨拶」と冷や汗。いよいよ終業時間、困っているおれにボス苦笑。えっと、さっきのはなかったことに……なります?

これで何とか。お好きな方をどうぞ。でも「絵柄はどちらでも特にこだわりはない」そうです

誰が踏んだんだろ

 パートナーと電話中、おれはベッドに入ることがある。それで幸福度が増す。いつものようにそうしつつゲラゲラ笑っていると、掛布団を誰かが踏んだ。そのまま話し続けて数分後、思い出したようにその件を話す。何かが布団を踏んだ、と。彼は「怖いこと言うなよ!」と叫んだが、おれは平気だった。まずおれには霊感がない。そして、幸福に笑いこけるおれの布団をそっと踏みに来るなんて、おれのことが好きでたまらない誰かである。目星はついてるけど当たってるかな。ちがってたら誰か拗ねるな。愛してくれた者たちについて思う。みんな大好きだ、今も。今朝の出来事。

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