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【小説】第1話『氷点下の挑戦(全14話)』
【注意】この小説はフィクションです。
登場人物は架空の人物であり、登場する場所や、小道具などは、実在したり、しなかったり、ユーモア小説としてお楽しみください。
(全14話)です。
本日、第1話〜第3話まで、公開されます。
明日、第4話〜9話まで、公開。
明後日、10話〜14話まで予定。
よろしく、お願いします。
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「5:09」夜が明けてきた。
狭いワンルームで、壁に向かった机とパソコンに向かい金城《かねしろ》星司《せいじ》が頭を掻きむしった。
「ええい」
次の瞬間、金城は、Backspaceキーを連打する。
大きなため息をつくと、一旦、心を整えるように、キーボードの上に、丸眼鏡を外して置いた。机の引き出しからヒアルロン酸の点眼薬を取り出して、点眼し、眉間を摘まんで、深く刻まれたシワを左右にのばした。
窓にはカーテンはない。開かれた網戸の半分は隣の新築マンションが陰を作り、風通しも悪ければ、日当たりも悪い。
金城の背中では、首も振らずに強風の古い羽根のある扇風機が回され、髪はその風で逆立っている。
「はあ、茹《ゆ》だった」
金城は、バランスボールから立ち上がり、ユニットバス裏のキッチンの蛇口を開き、レンチンも出来るプラスチックカップで、水を一気に飲んだ。
「もうじき、オレは夏に殺されるな」
脱水していたのだろう。水を飲んだ途端に、筋肉質の上肢にジャストフィットしたノースリーブに、ステテコ。金城の胸元に汗シミが出来るほど吹き出した。
「まったく、オレの脳ミソは、つまらん」
金城は、窓を挟んで机と、向い合せに、きっちりと畳まれた布団。それ以外の壁面は、天井まで届く本棚に囲まれている。もちろん、本棚に入りきらない「愛について」・「哲学」・「アメリカンジョーク辞典」は床に積み上げられ、なぜだか、その上に、飛行・着陸でもさせたように、ミニドローンがあったり、まるで本の作者に捧げるように、灘《なだ》の五郷《ごきょう》の銘酒《めいしゅ》の酒瓶《さかびん》とお猪口《ちょこ》。今すぐ、変身して街を守りに行くように、アメリカ映画のヒーローのマスクが置かれて、足元を埋めるように散らかっている。
それだけならまだいい。床の隙間、隙間に、校正原稿だろうか、文字と赤字がびっしりと書き込まれたA4の塔が三機立っている。差出人が文芸《ぶんげい》夏冬《なつふゆ》社からの封筒も未開封のものもちらほら見受けられる。
金城は、その一封、文芸夏冬社のぶ厚い封筒を取り上げた。その封筒には差し出しシールの他に、手書きの赤字マジックで大きく「ボツ! この作品は前作を超えていません!」とメッセージが添えられている。
さらに、タイミングよく担当編集者の高橋玲子からショートメールが入る。
玲子:「金城星司先生、引き籠ってないで、たまには外の空気でも吸って、気分転換もしてくださいね。応援してます!」
担当編集の玲子は、処女作以来ヒットに恵まれない長期スランプの金城を見捨てず応援してくれている。しかし、金城は、過去の成功と失敗。売れる作品と自分が満足できる作品の間で振り子がこの20年近く揺れている。若い頃は、次回作で巻き返す情熱もあったが、最近は、その自信も消えかかっている。
金城は、ボソッと、
「玲子《れいこ》のやつ、今でこそミリオンセラーメーカーなんて敏腕編集者なんて言われてるけど、誰がその始まりや思ってんねん」
と、悪態を付きながら、机の引き出しから艶のある木目と、セラミックが輝くレターオープナーを取り出し、開封した。
バサリと、10通ほどの手紙がこぼれ落ちた。
金城は、手紙の差出人を確かめた。男の差出人は皆無だ。おそらく、女の差出人であろうファンレターの宛名と住所は丁寧に、黒いマジックで塗りつぶされている。
「まったく、玲子のやつ、面白味がないやないか」
と、ぶつくさ言いながら、なぜだか、すでに開封されている一通のファンレターを開く。
「金城星司先生、初めまして、私は――――県に住む――――です。私、先生に恋しました。」
やはり、住所と名前は、どれを開いても、きっちりと塗りつぶされている。
「まったく、オレへのファンレターは国家機密を扱った公文書か」
金城は、次のレターにドキリと目を見開いた。
「金城先生、昔、谷崎潤一郎の『細雪』をどこかの古本屋で手放したことはないですか? 私が偶然買った本に、おそらく、勉強した書き込みや、先生のメッセージが書かれたしおりが挟んでいました。『この手紙を未来の読者に贈る』とありました。今度、仕事で西宮ガーデンズへ行きます。お会いできませんか?」
(確かに、貧乏して古い蔵書をまとめて叩き売ったことがある。まさか、その時、『細雪』に遊びのつもりで挟んだしおりのメッセージカードまで売っていたとは……)
やはり、住所と名前は、きっちり玲子が塗りつぶしている。西宮ガーデンズなら電車で一本、どこの誰だかわからないが、メッセージカードは記憶にある。面白い誘いだが、今回は無しだな。
(それより、まったく、玲子め。オレへのファンレターは国家機密を扱った公文書か)
と、呟いて、封筒に仕舞い。ユニットバスに立った。
風呂とトイレが一緒の狭いユニットバスだ。衣服を脱ぎ捨てた金城は、水を張らずに浴槽で汗をシャワーで流し、そのまま裸で鏡に向かった。
鏡に映る金城は、自分で言うのもなんだが、なかなかに渋い。現代《いま》風に言うと、いわゆるイケオジとでもいうのだろう。夜通し扇風機の風で、煽られた髪、どこかのカリスマ美容師にセットされたかと思うぐらいに無造作の味を出している。髭は、シャープな顎とスッと高い鼻筋をより精悍《せいかん》にしている。
「うーん」
金城は、青髭に見える頬をさすると、蛇口をひねり顔を濡らし、白陶器の器に、シュッシュと、ポンプ石鹸を垂らし入れ、水を少し加えて、刷毛で泡立て始めた。
泡を頬につけると、頭の中を流れるオリジナルのヒーローのテーマを鼻歌で歌いながら、アーティストクラブのカミソリで、器用に青髭を剃り上げる。
水で濡らした左手で、頬の泡を拭い去るように、人差し指と親指で拭い去る。そうしておいて、鏡に右に左に、自分を映して、キメ顔をする。
「うーん」
金城は、睨んでいるつもりはないが、どうしても、執筆すると睨むような顔になる。自然と、深く入った眉間の皺が気に入らない。
やはり、ここでも、目頭を押さえて、左右に引き伸ばしてみるが47歳の金城の長年の睨み皺は消えるものではない。
諦めて、顔の泡を洗い流し、髪を一応整えて、フェイスタオル一つで、身体を拭き、ユニットバスを出て、玄関口に立った。
扉の枠に引っ掛けられたハンガーには、エアコンすらない貧乏暮らしの金城には不釣り合いの、仕立て屋で作ったネイビーのオーダースーツが掛かっている。
「たまには、玲子の言う通り、外の空気を吸ってみるか。もしかしたら、新しいインスピレーションが得られるかもしれへんしなあ」
つづく