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男は全員強くなければいけないのか — ドイツの防犯対策から思うこと

ドイツのある都市の防犯サービス

私の彼女がドイツに留学しています。学期初めのオリエンテーションで配られた資料のうちの一つが以下の深夜の安全保護サービスの案内です。

大学と市による深夜の安全保護サービスの案内

大学と大学がある市が深夜エスコートサービス・安全のための深夜タクシーサービスを提供していて、とても安心だと思ったのですが、一つ気になったのが、このサービスを利用できるのが女性に限定されていることです。この案内を読んで以下のようなメッセージが送られているような印象を受けました。(何故かまず英語が頭の中に浮かんだのでそのまま書きます。)

All men have to be muscular and masculine. Muscular men can fight and masculine men will not be attacked from the first place. Therefore, no man needs to be protected.
全ての男性は強く、男らしくなければならない。強い男は戦えるし、男らしい男はそもそも襲われない。だから男性は保護される必要がない。

私が案内から受けた印象

上の文はあくまで私が受けた印象であってどこかに書かれていた訳ではもちろんありません。

私の思うところと論点整理

「大学と市が提供する深夜エスコートサービス・安全のための深夜タクシーサービス」と毎回言うのは長く、また他の安全・防犯のための施策も引っ括めて議論したいので、ここでは「安全保護」と呼ぶことにします。
私が思うことは、全体として女性の方が力が弱く攻撃されやすいので、安全保護において女性を男性より優先するのは分かるが、男性が保護から完全に排除されることが正当かということです。

ここで犯罪から身を守ることにおいて、女性が男性より不利であるとされる点は二つ挙げられると思います。

  • 物理的な防御:体力

  • 襲われにくさ:認識・見た目

ここでは防犯についてこの二点について、それからこれらと絡めて性別に対する社会認識について考えたいと思います。また、男女以外の性、トランスジェンダーについては論点が多岐に渡ってしまう為、ここでは議論しません。

防犯上女性が男性より不利である点

物理的な防御:体力

全体として生物学的に男性は女性より力・スタミナがあるというのは誰もが納得することだと思います。しかしこれは全体的な傾向であって、女性より体力がない男性も多くいます。これらの男性は安全保護から排除されるべきでしょうか?

また、体力の有無と有事に防御できるかと言うのも別問題だと思います。体力があっても恐怖心・咄嗟の出来事で抵抗できるとは限らず、これは性別に依りません。男性は体力があるから戦えるので女性より有利と主張するのは、物理的に抵抗できなかったレイプ被害者に対してなぜ抵抗しなかったのかと問うのと本質的に同じです。

体力面から考えると男性が安全保護から排除されるのは正当化できないと言えるでしょう。また、この観点からすると女性が優先される自体も疑問符が付きます。なぜなら必ずしも男性が自分を防御しやすいとは限らないからです。

そもそもの襲われにくさ:認識・見た目

通常、女性の方が力が弱いという認識はほぼ全ての人類が持っているので、犯罪者の視点からすると男性を襲うよりも女性を襲う方が”成功”する確率が高いので女性の方がターゲットとして”魅力的”であり、そもそも女性の方が襲われやすいというのは容易に想像できます。また心理面を考えると見た目でも男性の方が強そうに見えることが多いので、犯罪のターゲットになりにくい傾向があるでしょう。性犯罪に関しても女性の被害の方が男性の被害より圧倒的に多いです。(男性も性犯罪の被害者になることはあり得ますし、私の記憶が正しければ例えばアメリカでは被害者の内 1/5 程が男性です)

これこそが安全保護において女性が優先されるべき理由だと思います。ちなみに女性が全体として優先されるというのは、例えばタクシーサービスにおいて女性用の台数を多くする、リソースが足りない時に女性に先にサービスを提供する等が考えられます。

安全保護で女性が優先されることについて

以上二点から、安全保護で女性が優先されるべきではあるけれど、男性が保護から完全排除されることは正当化できないというのが私の考えです。

性別に対する社会認識

上で防犯について具体的な話をしましたが、ここで私が案内から受けた印象と性別に対する社会認識について考えたいと思います。

私が案内から受けた「全ての男性は強く、男らしくなければならない」というメッセージが含まれているという印象はあくまで私が感じたものであり、大学・市担当者がそれを意図したか、そのような思想を持っているかは定かではありません。このようなメッセージを感じさせる施策を行なったことについては大学と市に改善の余地があるかもしれませんが、不確実なことについて、ここで大学と市を批判することはしません。しかし社会には「全ての男性は強く、男らしくなければならない」という考えが残っていると思われます。

男性は皆強く、男らしくなければならず、女性は皆女らしく、男性に守ってもらわなければならないのでしょうか?性別による役割分担を他人に押し付けることは個人の権利の侵害であることが社会に認識されて久しいですが、男性個人がfemine / neutral / masculineであるか、女性個人がmasculine / neutral / femineであるか自分で決め、他人や社会から自分がどうあるかを押し付けられたり期待されたりしないことも個人の権利に含まれると考えます。
男性個人が自ら伝統的な男性像に沿った自分を演出すること、女性個人が自ら伝統的な女性像に沿った自分を演出すること、自分のパートナーにそのような人を選びたいと考えることは自由ですが、それは強制されるべきではないです。

体力的な強さについても同様です。全男性が女性より強くなければならないのでしょうか?傾向として男性の方が女性より力が強いのは明らかですが、女性より体力がない男性も多くいます。体力があることはいいことですが、女性より強いことは社会から強制されるべきものでしょうか?力がない男性が犯罪の被害に遭ったらそれは自己責任でしょうか?

まとめ

防犯対策について女性が男性より優先されるべきだが男性が保護から排除されるべきではないという点について、体力面と認識・見た目の面から議論しました。また「全ての男性は女性より強くあり、男らしくあるべき」という社会認識について私の考えを述べました。

社会認識についての私の考えについては論理的なサポートが出来ず、自分の考えを述べるに留まってしまったので今後思考が整理できたら別のNoteに書きたいと思います。



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