なぜ、いま地理なのか?~高校「地理総合」必修化を目前に控えて
2022年4月、高等学校における地理がおよそ50年振りに必修化する。
・・・と言っても、多くの方から「え?むしろ地理って必修じゃなかったの?」というリアクションを頂くので、いま、改めて「地理総合」に求められる意義を考えてみたい。
地理ってどんなイメージ?
そもそも、「地理」と聞いて何を思い浮かべるだろう?
リンゴといえば青森、ミカンといえば和歌山、自動車といえば愛知?日本アルプスといえば、飛驒、木曽、赤石…?
私にとっての中高時代の地理は「覚えれば成績は取れるけど面白みのない暗記科目」だった。
平板で百科事典みたい、人間の姿が見えない暗記科目。そんな地名物産地理という悪評が、長らく「地理嫌い派」の中心にあった。
しかし私は、幸いにも大学時代のフィールドワークと旅によって、人間の在り様には地理が底流していることを学び、そして地理学に惹かれた。この辺の話は以下に詳しく書いた。
先が見通せない世の中に
日本中が経済成長に沸いた1950年代〜1970年代初頭の高度成長期、誰もが希望で溢れていた。
しかし、バブル崩壊以降の30年間は、どうだっただろう。
カルト宗教によるテロ事件に、気候変動と相次ぐ大規模な自然災害、過信が生んだ原発事故、未だ出口の見えないウイルス。日本は人口減少期・超高齢社会に突入し、賃金はほとんど上がらず、国際的な立ち位置は弱くなってきていると認めざるを得ない。
新書大賞2021に輝いた『人新世の「資本論」』の著者、斎藤幸平氏は以下のように述べている。
もう、多くの人が気付いているはずだ。このままじゃいけないと。
でも、いまの豊かさをそう簡単には手放せない。どうしたらいいか分からない。だから、なんとなく言っておこう。SDGsって・・・。
「SDGsウォッシュ」という言葉まで生まれ、従来の価値観からのパラダイム・シフトが起きているとは、まだまだ言い難い。
だからこそ、地理総合には国際理解・国際協力、防災、持続可能な地域づくりなど、先を見通しづらい時代に考えるべきテーマが中心に据えられている。
「コンテンツ(内容)」としての面白さだけじゃない。
世の中を俯瞰して、新しい世界を構想し、創り出すための「コンピテンシー(武器としての思考力)」を身につけることも、地理総合に求められている。
木を見て、森も見る
たとえば、以下は「回転寿司のエビ」を消費する背景で何が起きているか?というのを構造的に考えた図である。
もちろん、「マングローブ林が破壊されちゃうから、回転寿司のエビは食べちゃダメだ!」と早計に結論づけることはできない。人の心は理性だけで抑えつけられるワケではないし、もしエビを食べなくなったら、養殖業者の人たちは職を失うことにつながるかもしれない。
世界各地で起きている諸課題を克服するためには、「良かれと思った昨日の解決策が、今日の新たな問題を生む」ような局所的な解決ではなく、自然・社会・経済をシステムとして捉えた構造的な解決策が求められる。
これらには、消費者や生産者といったミクロな視点から、地球規模のマクロな視点までを含む。まさに、「木を見て森も見る」ということである。
「回転寿司のエビ」というテーマであれば、近年注目されているシルボフィッシャリーが打開策になるかもしれない。シルボフィッシャリーは造林と養殖を両立する技術で、マングローブを破壊するエビ養殖問題の「同時解決」を実現するポテンシャルを有している。
システム全体を俯瞰するという姿勢は、地理の授業だけでなく、意思決定を迫られるビジネスマンや経営者、そして日常生活でも応用可能である。
たとえば、いつもガミガミ怒っているオカンがいたとする。「なんで、この人はガミガミ言ってくるんだろう・・・」と、オカンをガミガミさせるシステムに想いを馳せることで、本質的な問題解決につながる・・・かも・・・しれない。
学びをドライブする「当事者意識」
2020年、日本財団が実施した調査の中で「自分で国や社会を変えられると思う」と回答した日本人の18歳は、他国と比較しても極めて低い18.3%だった。大きな衝撃とともに、我が国の教育界に課題を突きつけた。
上記の課題を解決する手がかりになるのが「OECD Learning Compass 2030」だろう。
コンパスの中でも学習者たる生徒に求められているのが、「生徒エージェンシー」という概念である。ちなみに、エージェンシーに該当する日本語訳は存在しないが、文部科学省は「主体的に行動して、行動し、責任をもって社会変革を実現していくという意思や姿勢」と定義している。横浜創英・工藤勇一校長らは「当事者意識」と簡潔な言葉で説明している。
たとえば、以下のような人口ピラミッドを授業で扱うとき、どんなアプロ―チがあるだろう。単に、「エチオピアは発展途上国だから多産多死型だよ~」というだけでは、超少子高齢国家の日本の生徒たちにとっては「へぇ~・・・」と、遠い出来事でで終わってしまうだろう。
キャリア教育を専門とする筑波大学の藤田晃之教授は、以下のように示唆を与えている。
いつも目の前で生徒を見ているからこそ、教科と生徒との接点を見出し、学びへのワクワク感や切実性をデザインできる。これこそ、教師に求められる職人業だと思う。
OECD Education 2030を日本に広く紹介している文部科学省の白井俊氏は、エージェンシーを「文脈的で非直線的、多面的、AIによる代替が困難なもの」としている。
言うまでもなく、エージェンシーは地理の授業のみならず、全ての教育活動で目指していくものである。
しかし、地理総合は世の中の「リアル」を扱い、生徒と社会をつなぐ教科だからこそ、エージェンシーとの親和性も高いはずである。地理の授業から、「自分で国や社会を変えられる」と胸を張って言える18歳を増やしたい。
自己の在り方、生き方を問う
地理総合は、地図・GIS(地理情報システム)、グローバル、防災、ESDなどをキーワードにして、これらを地理的な見方や考え方で分析・構想することが期待されている。
地理の学びを通して大切にしたいことは、生徒自身が人生のハンドルを自分でコントロールして生きるための「キッカケ」づくりである。
授業が、せっかく広く知られるようになったSDGsをファッションで終わらせず、アクションを通してパッションに火を灯し、ミッションにつなげられるような機会でありたい。
そして、先行き不透明ないま、未来を創る生徒たちが「どう在りたいか?」「どう生きたいか?」と自問自答する、そんなキャリア教育としての場でもありたい。
教師に求められる姿勢や能力は、大きく様変わりした。地理教師は地理教師らしく、広い世界と教室をつなげるハブ空港として、その役割を全うできたらいい。
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