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地理旅#16 「南アフリカ編②~早く、遠くへ」(2024.8)
1.世界最恐都市の真実
「マザーシティ」を後にして、次に向かったのは世界最恐と名高いヨハネスブルク。ネットには、犯罪発生率が150%とも、Uberから降りてホテルまでのわずか10歩で襲われたとも囁かれている。現実と冗談が入り混じるかのような、この街の噂はどこか寒々しい響きを持っていた。
荒廃したビル群がかつての繁栄を物語る一方で、その一部はギャングが牛耳る場所となっている。中心に位置するヒルブロウ地区は、かつて白人のビジネス街だったが、アパルトヘイトの終焉とともに無職のアフリカ系住民やギャングが流入し、今や住民の9割が他のアフリカ諸国からの移民や難民で占められ、正式な統計すら存在しない状況だ。
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行政は不法滞在の外国人のために公共サービスを凍結し、街の一部は見捨てられたままだ。貧困と犯罪が日常的であり、ヨハネスブルクが「世界最恐」と称される理由の一つがここにある。
最恐の象徴とも言えるポンテ・タワーは、かつては超高級マンションとして誇り高くそびえ立っていたが、時代の流れがそれを許さず、ギャングが占拠する地となり、麻薬や売春、殺人が絶えない場所と化していた。54階建てのこの塔は「世界一高層のスラム」と呼ばれ、90年代後半にはマンション全体を刑務所にする構想さえあったという。
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行政サービスがストップしたことで、エレベーターもゴミ収集も止まり、タワーの内側14階までゴミや死体が積もるという惨状は、言葉を失うほどだ。「コア」と呼ばれる内側から空を仰ぐと、見たこともない異様な光景が広がっていた。
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見たこともない光景。
しかし現在、ポンテ・タワーはかつての闇を脱し、安全な場所へと生まれ変わった。厳重な警備のゲートで守られ、周囲の環境から隔絶されたこのタワーには、スーパーやレストラン、美容院や託児所などがあり、数年にわたる浄化作業の末、今では4,000人以上が暮らしている。過去のトラウマに耐えきれず去っていった者もいれば、それを乗り越えて今もここに住む者もいる。
ヒルブロウ地区は、たしかに危険に思える場所だが、全てがそうではない。この地区に住む人々も日常を営み、子どもたちが遊ぶ姿も見られる。街のイメージを改善しようと、ガイドツアーも開催されている。
日中なら、外資系企業や大学が集まるエリアでは徒歩での移動も可能だ。しかし、素人がその安全性を判断するのは難しく、現地に精通したガイドなしでは、安全か危険かを見極めることはできないだろう。
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(ローズバンク地区)
2.Pride of SOWETO
ヨハネスブルク郊外にある南アフリカ最大級のタウンシップ・ソウェトも、歴史と共に生きる場所である。かつて金鉱山があったことで労働者が集まり、ネルソン・マンデラもこの地に住んでいた。現在の人口は86万人とも300万人ともいわれ、その統計の振れ幅さえも、この街の複雑さを物語っている。
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ガイドツアーで案内してくれたのはソウェト生まれのリンダ。歴史学を修め、ソウェトへの想い入れが人一倍強いナイスガイだ。彼は、1976年にアフリカ系学生がアフリカーンス語教育に反発して起こした抗議デモで、13歳のヘクター・ピーターソンを含む約500名の学生が命を落とした悲劇を語ってくれた。この出来事は、アパルトヘイトへの反発を世界に広げ、ソウェトの名を一躍知らしめた。
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南アフリカ人たちは、ブラックジョークを口にし、アパルトヘイト時代の話をどこか飄々と語る。彼らの言葉には、痛みを背負いながらも、今を生きる強さが宿っている。いまの南アフリカが、思想的にはリベラルであることを物語っているのかもしれない。
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3.ウブントゥの精神
タウンシップの街角では、毎週炊き出しを行っている団体や、ラコステと学校を建設するプロジェクト、ダンスで子どもたちをエンパワーする素敵な方々…たくさんの人に出逢った。その多くは決して自分たちに余裕があるようには見えなかったが、他者とともに生きることを決めた彼らの目には、希望が宿っていた。
リンダは、その根底に”ウブントゥ(Ubuntu)”の精神があると教えてくれた。ウブントゥとは、アフリカに古くから伝わる「絆」や「人とのつながり」を大切にする哲学だ。「あなたがいるから私がいる」という相互依存的な考え方に基づいている。
日本もかつては「和」を重んじる国だった。しかし、ホフステードの調査(Hofstede, G.)によれば、戦後の日本はアジアの中でも最も急速に個人主義へとシフトした国とされている。
ウブントゥの「人は他者との関わりの中で生きている」という信念は、そんな個人主義や西洋化に対する一つのアンチテーゼのように感じられた。
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4.「早く行く」のは何のため?
アパルトヘイトが終わった今も、南アフリカは依然として経済格差に苦しんでいる。日々の暮らしの中で、その格差は深く刻まれ、埋めるにはまだ時間がかかる。学校では、制服が平等の象徴となり、すべての子どもたちが同じスタートラインに立てるよう努力が続けられている。
多様な文化や背景を持つ南アフリカを訪れると、日本で語られる「多様性」という言葉が実は非常に狭い範囲で使われていることに気づかされる。日本での過度な平等主義や横並び主義が、ブラック校則の廃止や制服の是非をめぐる議論を生んでいることを考えると、いかに中庸が重要であるかを再認識させられる。
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Fast alone, Far together.
早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け。
この言葉を初めて耳にしたとき、その美しさがどこか胸に響いた。しかし、実際には現実味を感じることはなかった。けれど、実際にアパルトヘイトの歴史を背負いながらも未来を描いてきた南アフリカの人々を目の当たりにすると、「遠くへ行く」という言葉の意味が一層重く感じられる。タウンシップを訪れた際に、ふと疑問が浮かんだ。
「早く行って、一体何を手に入れたいのだろう?」
その問いに、誰かを出し抜いて勝者になるためのゲームなのか・・・という思いが頭をよぎる。
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ちなみに、このアフリカの諺を引用したアル・ゴア元アメリカ副大統領は、ノーベル平和賞授賞式典の演説でこう締めくくった。
私たちも遠くへ行かなければなりません、それも早く。
いまも、衣食住レベルで経済的に苦しんでいる人々がいる。僕たちは、個々の善意だけでは解決できない地球規模の問題に直面している。だからこそ、もう一度「人間の精神性の勝利」を収める必要があるのだ。それも早く。
5.越境・辺境・逆境
来年から、勤務校の生徒たちは毎年24時間以上かけて南アフリカを訪れることになる。彼らは物理的にも心理的にも「越境」し、レインボーネーションと呼ばれる南アフリカに飛び込む。そこで生徒たちは圧倒的マイノリティとして「辺境」に立たされ、コンフォートゾーンから飛び出し、自分自身の在り方を揺さぶられる「逆境」を体験するだろう。
「日本に生まれてよかった」などという陳腐な感想で終わらせたくはない。もっと深く、魂を揺さぶられる瞬間と向き合って欲しい。僕たちは、「名誉白人」や「エコノミック・アニマル」と揶揄されながらも先達が築いた、経済的恩恵の上に立っている。
だからこそ、狭い視野にとらわれることなく、地球規模で物事を考え、そして足元をしっかりと見つめながら行動し、未来を創り出す人を輩出する責任がある。僕たちは、何がしたいのか、何ができるのか、そして何をすべきなのか・・・。自分に問い続けなければならない。
最後に、レインボーネーションの実現を信じ続けたネルソン・マンデラの言葉を胸に刻みたい。
Education is the most powerful weapon we can use to change the world.
教育は、世界を変えるために使うことができる最強の武器である