![佐久間遠征01-2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/19344346/rectangle_large_type_2_74fcf17952e928f0050d74a7220e9f5a.jpeg?width=1200)
シリーズ整理 No.006/事故的移住と事故ることのないクルマ生活と、日々の暮らしの豊さについて(都会と田舎のそれぞれ)
東京都心から長野県に引っ越して一番良かったことは、クルマの運転への苦手意識が解消されたこと。
今や笑い話だが、僕は運転免許を取得するのに3回も教習所に通い直したほどの運転ダメダメ君だった。
なんとか取得したあとも、消極的なペーパードライバー生活。
しかし人間、いざ必要に迫られる状況になればだいたいなんでもこなせるようになるもので。
クルマ社会の中山間地域にまさか移り住んだらば、自然と運転に慣れてしまった。
(さすがにまだ首都高は走れないと思うけど)
そんなこんなで。
「外国語を習得しようと思ったら、身ひとつで現地に行って長期間生活すればいい」みたいな話。
すごく信憑性あるように思える。
クルマに慣れてどんどん広がる行動範囲。
先週末、友人に会いに往復500kmオーバー、静岡県浜松市の山間部までひとりでハンドルを握ってきた事実は人生においてひとつの大事件だった。
━━ここまで前置き。
昨年の4月から、地域おこし協力隊という奇妙奇天烈な仕事をしている。
委嘱を受けて約1年半たつけれど、この仕事がまたなんだかよくわからない仕事で。
本当によくわからない。
どういう仕事か、という説明がとても難しい。
単に転勤で地方に来ているような立場とは明確に違う何かがある。
気に入ってるか気に入ってないかで言っちゃうとね。
あえて本音をぶちかますとね。
あんまり気に入ってないよね。
(ここはもう、どうにもこうにも納得できなくて仕方ない点)
とても楽しいし、やりがいあるけどね。
でも、自分が就きたくても就けなかった「ええカイシャ」で「ええシゴト」をしている人から、地域おこし協力隊の立場や実績について本気で羨ましがられたり褒められたりすることがある。
そういうときには、ちょっと優越感というワガママっぷり。
うーん、わからない。わからない。
じゃあ変わってくれよ!と、当然、そう思う。
そして、当然、それは無理な話である。
━━いったん休憩。
都会生まれ都会育ちから突然、地方に来た。
田舎暮らしに憧れてきたわけでは全くない。
価値観の衝突や葛藤はまだ大きい。
なんだかんだ言って30代である。
豊かな暮らしや人生とは、いったいどんなものかと、ちょっと真剣に考えたりする。
生活の豊かさでいえばいま住んで、日々接している佐久地域の人々は相当豊かに思える。
物質的な財産の有無ではない、生きることへのどこか豊かさを感じる。
これもうまく説明できないが、そう感じる。
(宗教的な思想には興味がない)
東京で大手企業・有名企業・花形業界に勤めて、一見豊かそうな人々はたくさんいるけども。
直接のその声や、人づての噂を聞き、また、愚痴や怒りの並ぶTwitterなどを見ると、高収入高待遇であろうと、本当に豊かかどうかは疑わしい。
ちょとしたビジネスマナーで後輩にキレたり、そんなのいちいちツラそうだな。
(象徴としての)大都会の会社員・組織人の給料とは我慢への対価なのか。
ここのあたりはもっと研究していきたい。
競争にかなわないから脱東京したようなところが大きいけど、まあ結局、現状でやってるのはまた競争だという現実もある。
━━関係なくはないが中心の話題がそれてしまった。
よくわからない仕事をしている。
だもんで、いろんなモノ・コト・ハナシを見て・聞いて・知れば光が見出せるのではないかと考えている。
それは人に会って刺激を受けることもモチロンのこと。
━━慎重に!小出しに!
昨年夏から今年春にかけて、初めて芝居やダンスで生の舞台に立った。
立て続けに3つも。
その日、その時間、その瞬間は一度しか訪れないことをあらためて、いや初めて、実感した。
それで舞台表現に目覚めたかというとそれは少し違って。
行きたいところには行けるときに行かなくては!
会いたい人には会えるときに会わなくては!
という心境になった。
やれるときにやらねば感。
これ逃すともう一生チャンス訪れないよね、みたいな。
やっぱり、年、とったんだろうか。
妙に忙しくなってしまう原因のひとつはこれ。
間違いない。
それでなんだか居場所がフワフワ安定しない日々が続き、姿を消したような感じになり迷惑をかけている方面や方々も少なくないと実感しています。
本当にすみません。
━━あと少し、のはず。
なにかヒントを見つけたいと思う。
答えを見つけてしまうとつまらないと思う。
たくさんの、あらゆる事象のなかに共通点を見出せればと思う。
その上でようやく、違いや良し悪しをすくい取れると思う。
大学時代の同期仲間が同じ仕事をしている。
きっと珍しいことだ。
きっとよくわからなさを抱えているに違いない。
互いの任期が終了する前に、現地で会わねば!
というのが遠路はるばるの、旅の理由。
共有できたし、発見できた。
会話のなかで「この仕事に就いていること、私たちはもっと誇っていいと思う」という言葉を聞けたことがうれしかった。
そうだと思う、本当に。
そういったことを抜きにしても、知らない土地で単純に息抜きができた。
案内ありがとう。
そしてもうひとり、新潟にいるのだ。
同じ仕事をしている、大学時代の同期仲間が。
秋に、会いに行くぞ!
━━もう順番はめちゃくちゃ!
お盆前には大学時代の友人らと大分県へ男のバカ旅に行った。
とても楽しかった。
笑いすぎた。
だがお互い仕事の話になるとシビアだった。
ここでも、豊かさとは、と考えた。
そして、旅行中の感情で以前とは明確に違うところがあった。
東京住まいのころは、地方や農村部に行くと、その景色の異世界感に興奮した。
いまや田畑や山林は日常にそこにある。
地方の鉄道駅独特の、少し(少しではない場合も多い)寂れた感じからも旅の非日常感を得られた。
いまは、まあこんなもんだよね、という感じ。
だからといって旅が退屈というわけじゃなし、無感動というわけじゃなし。
むしろ山の聳えかたにとさまざまあるなあと、そんな観点が芽生えて。
という、殴り書き!
このあたりで締めましょう。
今回はわりに書きたいことをすんなり書けたぞ!
(この文章は、2017年8月23日に石田諒個人のFacebookタイムラインに投稿したものです。)