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【実家の話】記憶その4 - 熱湯でシンクが鳴る音を初めて聞いたのは、それなりに大人になってからだったな。

 小学校の途中まで、いや、卒業までそうだったか。土曜日は午前授業の日だった。
 もっと昔は「半ドン」なんて呼んでいたらしいけれど、自分らの時代には特に通称はなくて「午前授業」と普通にそう呼んでいた。
 そんなわけで土曜日は学校から家に帰ってお昼を食べた。

 わが家には朝食の習慣が無いと書いたが、昼食のとりかたもおそらく少し変わっていた。
 家族が揃って昼食をとることは決して無い。それぞれが好きな時間に、個別に何かを食べるのが普通だった。と、いうのは今になって思い返せばのことで。実際は母や祖母や、一応の父が昼ごはんを食べている姿をほとんど見たことがない。

 何をどうやって食べていたのかすら、僕は知らないしわからない。
 ごくたまに、休日に友達の家でお昼をご馳走になったりすると、家族全員が食卓を囲んで同じタイミングで同じ物を食べているのが異様なことに思えた。

 僕の昼ごはんはだいたい、母がつくってくれるインスタントラーメンかカップ麺だった。インスタントラーメンはサッポロ一番、チャルメラ、中華三昧あたり。カップ麺のときはなんだったろう、エースコックのスーパーカップ1.5倍とか赤いきつねとか、そのあたりが多かったと思う。
 チキンラーメンは苦手だったが母はそんなこと関係なしにローテーションに組み込んでいた。チキンラーメンが出た日はほとんど手をつけず、台所にあるお菓子に手を出した。

 逆に一平ちゃんの夜店の焼きそばのときはものすごくテンションが上がった。焼きそばなんてお祭りのときに食べられるか食べられないかの代物なので、ご馳走にありついた気分だった。
 一平ちゃんの湯切りをするのはいつも、庭の梅の木のとなりの、祖母が雑草を抜いては積んでつくった山の上だった。熱湯ですぐ枯れるようにここで捨ててくれ、と祖母から言われてからずっとそうしていた。飲みきれなかったラーメンスープもいつもそこに捨てた。

 いつの年だったか、日清が出したカップスパゲッティの『Spa王』のたらこを初めて食べた。自分でお湯を沸かして調理するようになっていたから、つまりはそのくらいの時期だったと思う。
 ひと口食べて麺を噛みしめた瞬間に衝撃が走った。

 世の中にこんなに美味しい食べ物があるのかと、全身が痺れた。鳥肌も立っていたと思う。本当に美味しかった、シーズニングと書いてあるピンク色の袋に入った粉、つまりはたらこ。
 食べ終えるのが惜しいくらい、ありえないくらいに美味だった。母親に頼んで、昼は必ずSpa王のたらこにしてもらった。それ以外の選択肢など考えられなかった。

 のちに僕は、Spa王たらこの塩気の味をさらに奥深く楽しむ手法を開発した。
 それは、祖母がいつも近所の酒屋で僕のために買ってきてくれていたビンのリアルゴールドとのコラボレーションメニューだった。
 まずはふつうにSpa王たらこを調理する、シーズニングは慎重に、均等に麺にまぶす。
 冷蔵庫でよく冷やしたリアルゴールドを少しだけ口に含んで少し間をおき、飲み込む。
 口の中に甘い炭酸飲料の風味が残った状態で、Spa王たらこの麺をすすり込む。
 いったん甘さで下地を整えた口内に、その逆位相の味覚つまりは塩気を叩き込む。
 これが、たらこの旨みをより感じるために編み出した独学の究極技だった。

 ひと口ごとにその美味しさに舞い上がった。食べ終えてしまうのがあんなに惜しい料理を人生であれ以降、口にしたことがない。決して大袈裟な物言いじゃない。
 勘違いしないで欲しいのは、僕が実家で満足に食事を与えられていなかったとかそういうんじゃないこと。昼食に関してうちはそれが普通だったという、それだけのこと。

 ちなみに、日清Spa王たらこは熱湯を注いで1分で食べることができる画期的な商品だった。(湯切りはもちろん庭のいつもの場所)
 わが家にはキッチンタイマーなんていうハイカラなものは無く、あるのはピンク色の3分砂時計だった。これで1分は計れない、几帳面な僕は目覚まし時計を台所に持ち込んで、お湯を注いで蓋をしたら秒針と睨めっこ。正確に時間を測った。熱湯5分の赤いきつねも同じく。

 この性格はいまだに変わらない、どんなカップ麺も正確に時間を測ってつくっている。
 リアルゴールドはほとんど缶入りになってしまったが、いまもで一番好きなエナジードリンクとして愛飲している。

(つづく)

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