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2024.9.4-9.10短歌ってなんだったんだ日記


2024.9.4/水、コンシューマーは歌集再版の夢を見るか?

起きる。昨日のあまり言うべきではないがどうしても言いたくて言ってしまったポストにリプライがついていて、早めの応答とそのうえでの見解を述べるべきだな、と思って飛び起きてポストを重ねる。文月悠光さん、ありがとうございます。さすがに生き延びてきた作家は大人だ……、などと思いつつ。

以下、9月4日の葛藤。

歌集再版について、①自力ではなく短歌ブームの延長で話が来ているだけでは、という自分の価値および時勢に対する問題と、②ビジネスに乗っかってしまうために色々と言いにくいことが出てきてしまうのでは、という問題と(まともに仕事にしようという人間なら当該のポストはそもそもしないが、こちらとしてはそういう本音や吐露を大事にしている)、が他者にも想像しうるいくらか一般的な問題としてあることに加えて(文月さんのリプライを経てそう思っています)、それとは別に③一度明確に短歌の場から離れてしまっている、という、完全にこちらの都合の問題があって、ややこしい。
自分の活動が切れていなければ、もう少し自分事として受け止められるんだが、完全にサボっていたのにそういう話が来るとなると、①の問題が強調される感じがある。第一歌集の性質上②の本音や吐露を大事にしている、という点も無視はできない。話が来たんだからさっさと出せばいいじゃん、というのは頭ではわかるんだが、それだと短歌から離れる前の自分となんにも変わってないんだよな。
そういう感情とか理屈とは別に、歌集を再版したら、その延長で今の仕事を辞めるか、短歌を辞めるか、あるいは別の何か大切なものを失うか、そういうのがあるんじゃないかという予感があって、まぁ、たぶんそうなるし、そういうふうに動いてしまう可能性が高いな、という感じで、やはり慎重にならざるを得ない次第。大げさなことを言っているように見えるかもしれないけれど、本(歌集?)を出す、ってそのくらいのことなのでは?と思います。

9月4日の葛藤、以上。

裏文學界の裏大歌会の文字起こし作業を本格的に開始。1首ぶんの文字起こしで、基本的なところはツールで文字起こししているけど、それでも修正に1時間半から2時間くらいはかかっていて、これはかなり時間を要する作業だな、と思う。文學界の大歌会のほうは5時間くらいやってたらしく、こちらの倍なので、まじでお疲れさまでした、の気持ち。文字起こし自体、個人的に嫌いな作業ではないが、時間をたくさん取られるのが痛いな、と思う。途中でラーメンをつくって食ったり、中原昌也のことを思い出して近況を調べたりする。

昨日のポストについて、普通にに怒られるタイプのポストだと思いながら投下したけど、文月さんのリプライで丸く収まった感じがあり、とてもありがたかった、と改めて思う。心境として落ち着きを得ました。文月さんから重ねてリプライをもらい、更に感謝。
と同時に、結局、自分自身の問題として回収してしまったために、本格的に再版する理由がなくなったな、という所感は残る。

移動。井口可奈個展「やがてすべてのきみを追い越す」@River Coffee & Gallery。とりあえず、井口と軽くコミュニケーションをとりつつ、展示されている短歌をバーッと見たうえで、ノンカフェインコーヒーとクッキーを注文(コーヒー300円、ノンカフェコーヒー350円とかで安くてびっくりした)して席へ。50首のペーパーも無料で貰えるので精読しつつ、昨日おれの友人がなぜか井口のxのスペースを聴いていて褒めていたのでそれを井口に伝達しつつ、パソコンを開いて11月の北海道帰省の飛行機を予約しつつ、たまたま来ていた外国人とコミュニケーションをとる井口を遠めに確認しつつ過ごす。

井口の短歌を実はしっかりまとめて読んだことがなかったんだが、今回の連作については「ないこと・なかったこと」の歌がかなり多いな、という印象。

じゃんけんで負ければなかったことになる存在みたいにひとを思ってた

井口可奈「やがてすべてのきみを追い越す」

一首単位だと、パッと見た感じはこの歌が良いなー、という印象。負ければいないものとなる、という軽すぎる他者把握である種残酷な感じもするが、「思ってた」の「て」のところの字余りがその不在感へのぎりぎりの抵抗だよな、みたいなことを思う。

定型は成形を必要とするわたしのほくろを消すのはちがう?

同上

短歌における作者って何だろう、というコンセプトの個展にあって、こういう歌もちょっと面白いな、と思った(歌会だったら「定型」と「成形」が音・意味的に近すぎて、やりすぎてるなー、と思う気がするが)。

このへんで既に日記長すぎワロタ。文字起こしをしまくっていた影響だと思う。

移動。井口とネタ合わせ。腹ごしらえにおにぎりだけ食う。鏡のあるところで、最終的な動きを含めてネタの確認を行っていく。ネタの流れ自体はお互いにほぼ覚えており、あとはミスが出るか出ないかくらいのところまでは仕上がってる。ネタとして面白いのかどうかはわからん。次はなんらかの客前でやる方向で話が進む。

解散からの帰路。近所のコンビニでサラダを買って帰宅。サラダを食う。普段身体を使わないということもあって、そこそこに疲れている。漫才の練習は疲れる。前も書いたかもしれないけれど、漫才の練習は、振り付けのあるカラオケっぽいような感じがしている(歌ではなくてセリフだけれど)。ある程度慣れてくるとそういうニュアンスで楽しいは楽しい。

ネタ見せを伴う歌会が井口から告知。9月12日(木)の夜。やるぞ。

寝る。

2024.9.5/木、無気力労働日

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