見出し画像

1985年 日芸の屋上で

本日オフ。帯状疱疹ワクチン1回目。副反応がどうなるか分からないので家で安静にしていた。仕事部屋で何をしようか考えていると、もう使っていない引き伸ばし機の台板上に山と積まれた物が、ズレて傾いてきて危険な状態だった。それらを直すことにした。

ネガシートの予備やら何やらに挟まれて紙袋があった。中を見るとマウントされたポジ用の富士フィルムの台紙が入っている。見ていくと1980年代の大学時代、課題のために撮ってマウント仕上げをしたポジの不採用カットのようだった。

真面目にペンタックスやニコンで撮影したカットの他に、こんな日常写真が紛れている。これはたぶん古いレンジファインダー機のレオタックスで撮ったものだ。同級生に岐阜の写真館の跡取り息子のKがいた。彼は古いカメラをたくさん持っていて、レオタックスを1台私に譲ってくれた。古いカメラに凝りだした頃だ。

カラーバランスが崩れているのはポジの劣化のせいではない。レオタックスのシャッター精度が正確ではなく露出オーバーだった。レンズも古いので最初からこの写りだ。他の当時の最新のカメラで撮った写真は色合いを保っている。ポジやネガの保存は下手に密封して「ビネガーシンドローム」になるよりも、湿気とホコリにさえ気をつければ、何十年でも長持ちする。これは当時のフィルムと自分の名誉のためにも書いておきたい。

さて懐かしい写真だ。写っている内容と前後から推測すると、1985年の9月頃だと思う。私は日本大学芸術学部写真学科の2年生。同級生たちが写っている。

昔の芸術学部の一般教養の講義をする本棟(正式名称不明)の屋上だ。1年生の時は体育の授業があり、ここで柔軟体操などをした。この時は2年生。私を含めた5人が学食のランチを持ち込んで食事をしている。学食からここまでは結構な距離だ。みんな手に手にトレイを持って上がって行ったのだろうか。あれ?食事は4人分だ。1人は食べなかったのかな。

しかしこの写真を撮ったことは良く覚えている。大学の長い夏休みが終わって再会し、「屋上で食わねえ?」「いいねー」「やっちゃおうぜ」というノリだった。天気が良かった。なんとビールも飲んでいる。平日だったと思うが、たまたまこの5人はその日の講義が早く終わったのだろう。ハタチになっていたかどうかは微妙な所だが、当時は今より鷹揚だった。酒も煙草も大学入学と同時に黙認されており、普通に居酒屋に行っていた。

黄緑色のトレイに学食の定食。以前に「久しぶりの江古田」で書いたが、当時の江古田には安くて美味しい飲食店が多くあり、学食の意味はあまりなかった。外に出るのが面倒な時、人恋しくて誰かに会いたい時、そんな時しか利用しなかったと思う。トレイにはオムレツとコロッケかフライだろうか。全員が同じメニューだ。

H(後述する)が持っているのはキリンビール。この頃はいちいち「ラガー」なんて言わない。普通のビールか生ビールかだ。手にしているのは1リットル缶だな。それと500mlも1本置いてある。学食の湯呑茶碗に注いで酒盛りをしたわけだ。

人物解説

特に掲載許可は取っていないが、40年近く前の写真だし良いだろう。解説するうえで念のために苗字のイニシャルにしておこう。以前の投稿とも重複するが、歳を取ると同じ話を何度でもするのだ。(開き直った)

左から

A。札幌出身。入学当初から、使い込んだF3に20mmを付けて持ち歩いていた。独特の感性。以前にも書いたが、彼は今も母校で技術員として働いている。皆の連絡先になっていて、アシスタントの募集でも彼には世話になった。写真展も多く開催。さまざまな賞も受賞していて、写真家として知る人ぞ知る存在だ。

H。東京出身。とてもセンスが良く、私は「ああー東京の人だなあ」と最初に思った。いつもスケボーを手放さず少年のようだった。オリンパスを愛用していた。今ではスケートボードやスノーボード関連の写真集を多く出版。その道の第一人者になっているようだ。Webサイトを見るとスポンサーも多く、職業写真家としても眩しくて私などは直視できない(笑)。この写真もいい笑顔だな。

N。千葉出身。昔は矢沢永吉のファンで大きなバイクに乗り、唯我独尊バリバリタイプ。だが情に厚い男で私は信頼していた。学生時代の愛機はキヤノン旧F-1。卒業後は某スポーツ新聞社の写真部に入社。58歳の今でも最前線で活躍していて、ネット上で名前を見ることが出来る。

M。群馬出身。西武池袋線の桜台駅近くに住んでいた。駅の跨線橋の窓から「おーい!M~」と呼ぶと、アパートの窓がガラッと開いて彼が顔を出した。愛機はキヤノン。押し入れに引き伸ばし機を置いていたが、線路が近いために終電が行かないとブレてしまってプリントが出来ない。モノクロが上手い奴だったが今ごろどこでどうしているか。

そして私。3年生になると、この4人のうちのHとNとMと私で、頭文字を取って「H-MAN」というグループを作って写真展をした。このAは札幌出身のAではなく、わたくし朝日のAである。しかしその後はスケボーのHが路線の違いから脱退し、残った3人で写真集団「FRONT LINE」を結成。写真展や冊子の発行をしていたのだった。札幌出身のAは友達は大切にするが活動は独りだった。

写真を見ると手前に私のカメラが見える。ペンタックスLXグリップ付きだ。1984年の夏に豊島園でバイトをして買ったLX。レンズはMシリーズのようだが何だろう。レンズもフードも少し大柄だが分からない。メモホルダーにはフィルムの蓋ではなく、白い紙を入れて「PX」とマジックで書いてある。コダックのプラスXだ。撮影しているカメラはISO100のリバーサルだから、感度をほぼ合わせてLXのメーターを使ったと思われる。

そんな1985年の初秋(推測)。
38年前。ハタチの我々であった。


電子書籍

「カメラと写真」


Instagram
 
@ryoichi_asahi02

@ryoichi_asahi 旧アカウント
(現在、私がログイン制限中のためコメントにお返事が出来ません)


いいなと思ったら応援しよう!