【こんな時節】音楽に代表されるアートの価値・尊さを描いた映画を見る【だからこそ】
やっと文章を書く気になりました。
正直今更自分がごちゃごちゃ言うのもアレなくらい、先の見えない状況で思考もがんじがらめ、毎日人の悪意が目について気が滅入るよね。
何か最初の頃は『テレワーク中の流し見に最適!サブスクで見れるアホ映画特集!』とか書こうと思ってたんだけど、なんか仕事サボる事推奨してるみたいだなって思ってやめて。笑
そうこうしてるうちにかなりダウナーモード入って何もやる気起きなくなってました。よくないね!
音楽って1番最初に"生きていくうえで必要のないもの"として切り捨てる論理が蔓延ったし、もちろん命あってこそ、もしくはそういう事を言う人達の思考的なロジック自体は理解出来るよ。
でもどうだろう、むしろそういう意味では逆じゃないかなって思う。"人間が人間らしく"生きていく為には。というか"人間が人間たる所以は"って考えていくうちにこういう記事を書く意味はあるなって思った。
というわけでここに書く映画たちは自分の人生のベスト映画たちなんで、もしかすると個人的な見方が行きすぎてるとこもあるかも。それでもこの気持ちを、呪詛(?)を、書き連ねる事でまた心の整理をしたいので、お付き合いください。
シング・ストリート 未来へのうた
2016年公開。監督脚本製作、ジョン・カーニーの半自伝的なエピソードを交えた音楽青春映画。
ジョン・カーニー監督も含めて、もう既に世間的にもめちゃくちゃ評判は良いし、俺の友達のバンドマンにも勧めたらめちゃくちゃどハマりしてみんなサントラ聴きまくってたから、誰もがフラットにグッとくるポイントがいっぱい入ってる映画なんだと思う。
・普遍的な青春の構造+音楽の生まれる瞬間の尊さ
舞台はアイルランドのダブリン、要は田舎町で抑圧的な教育をする男子校に通いながら、複雑な家庭環境に悩む。そんな中で音楽(と女の子?笑)を通して、理想とする何者かになろうともがくが〜ってもうベタベタのベタなんだけど、それでいてすごく丁寧に普遍的青春の舞台立てがされてる。
ただこの映画の何が特別って、その構造の中に"音楽が生まれる瞬間"や"曲に詩が乗る瞬間"要は初めて音を出したり、何かを作り出した時のハッピーな瞬間がめちゃくちゃ美しく挟み込まれてるとこ。
自分の声初めて録音した時とか、初めてギター触った時の"うお!"ってアガる感じ、思い出すよね。
ってのもジョン・カーニーって監督は元々The Framesってバンドのベーシストで、バンドのライブ映像、PVを撮ったりしたとこからキャリアが始まってる人みたい。音楽を奏でる時のトキメキが分かる人って事なんだろうね。素晴らしい。
中盤、両親の関係も崩壊寸前、家族で唯一の理解者である兄貴とも喧嘩して、想い人の女性は街を離れるっていう最悪の状況の中で「Drive It Like You Stole It」という曲のMVを撮る展開。
ここで今までで一番ゴージャスな50's調の映像がおそらく”妄想のMV”として出てくるんだけど、ここの素晴らしさったらホントに言葉にできない。言葉にしてるけど。笑
曲調の明るさも相まって、いかに辛い現実からのせめてもの逃避なのかって事がより伝わってくるし、何よりこういう「喪失感・欠落感」みたいなものが音楽や創作物を作る1番の原動力になるんだっていう。泣くよね。素晴らしいシーン。この曲を含めてこのシーンが1番好きって人が多いのもうなずける。
他にもほぼ全曲にMVを撮るシーンがついてて「バンド=MVっしょ!」っていう80'sMTV感覚最高!とか、主人公を音楽的に導きつつ、ダメ人間・負け犬としての生き様を体現したジャック・レイナーの兄貴役が良すぎる!とか色々あるけど、ほんとに広い意味での青春映画の傑作だから
80's ブリティッシュロックサウンドがめっちゃ嫌いな人以外はおすすめです。笑
SRサイタマノラッパー
2008年公開。監督脚本、入江悠。
埼玉県の郊外の町を舞台に、ラッパーを夢見る青年たちの鬱屈した日々を描いた音楽映画。シングストリートと同じような舞台立て。笑
ちょっと前に大ヒットしてた「22年目の告白 -私が殺人犯です」とかこの間も「AI崩壊」とか撮ってて、今ホットで著名な映画監督としての地位も確立してる入江悠監督。完全自主製作の低予算映画だから、こういうの見慣れてない人がどう思うか俺にはちょっとわかんないし、
いわゆる"フリースタイルダンジョン”以降的な日本語ラップリテラシー(これについての良し悪しは置いておいて笑)すらまだ一般的じゃない2008年の映画なんで、もしかすると”微妙”とか”つまんねー”とか”きつい”って人がいるかもしれないけど
知らねーっす!!
・日本的な社会と日本語ラップの相容れなさ
話としては、埼玉県の田舎町っていわゆる”ヒップホップ的”なものからかなりかけ離れたような街でそういうカルチャーに憧れてかぶれてしまった若者のあまりにも滑稽な日常を、ほんとに容赦ない切り取り方でで淡々と見せられるって感じ。
中盤、ライブする機会を探す中で謎に市役所の会議室みたいなところで、役所の人を前にライブをしないといけないって地獄のシーンとラストの焼肉屋でラップするシーンなんか顕著で、要は分かりやすく日本語ラップの元々持ってる辻褄の合わなさ、イケてなさをデフォルメして見せる映画なんだけど、言うまでもなく痛々しくて見てられないくらい強烈。
このイケてなさ、イナタさみたいなのを主人公達に徹底的に突きつけていく役で元?AV女優のみひろが引退したAV女優役で出てくるんだけど笑 そうやってどんどん「社会」とか「現実」みたいなものに主人公達のフィールドが削られていく中で客観的に見たらもうラップする理由がないじゃんってところまで行っちゃうと。
そこでさっき挙げた焼肉屋みたいな飲み屋でのラストシーンが来るわけ。
友達も失って、自分たちを取り繕う為のまやかしも失って、格好つけることも言い訳する事もできなくなった主人公が、それでもラップをするシーン。
ここが定点カメラのワンカット長回しで撮られて、周りの目線がすごく苦しいし辛い。
でも何も取り繕えなくなったからこそ、やっとラップする理由が出来たというか。全てを無くしたからこそ、そんな自分をやっとありのままにラップする。スタート地点に立って、人に笑われてバカにされようとも、どんなにイケてなくてもこれが自分だ!って堂々と宣言するような、言葉にするのも野暮だけど、ほんとにすさまじい感動が詰まってる名シーン。
俺はこの映画何度も見直して勇気もらってます。というかやっぱ序盤は自分が音楽好きになり始めた頃の日々を重ねちゃうよね。それでいてラストは今の自分にもこだまするっていうか。ガツンと来る。
映画としての出来はともかく、この映画を最後まで見てなんとも思わないミュージシャンとは
根本的に話合わねえなとは思います。笑
まあつまんないと思っても俺に文句言わないでね。
桐島、部活やめるってよ
2012年公開。監督脚本、吉田大八。
今まで挙げた二作とは少し毛色が違う作品だけど、これももう言うまでもなくめちゃくちゃ評価されてて、かつ語り尽くされてる映画だから、自分で挙げておいて何からピックアップすればいいのやら。
端的に言うと、”学校的閉鎖環境の同調圧力”の中を色んな登場人物がすったもんだする青春群像劇って感じでしょうか。
ただここまで”学校的同調圧力”をリアルに描いた映画ってそんなに多くないというか見たことないし、そこがすごくリアルだからこそ、この地獄の中で光るモノの価値がより鮮鋭になってるなって事で今回は入れてみた。
・日本人的な同調圧力の残酷な構造とそこでの唯一の救い
話を要約すると、「イケてる」「イケてない」的なものが秩序になってる世界(学校)で、突然その秩序の頂点にいた人物(桐島)が理由もなく”降りた”(部活やめた)ことで、秩序が崩壊して、その秩序こそが世界の全てだと思ってる人達はどんどんめちゃくちゃになっていくんだけど、最初からその秩序の底辺にいた”イケてない”人達には全く関係のない話なんで、この構造を浮き彫りにする存在としての”強者”にも見えてくる~みたいな事。
これは一面的な見方だけどね。
こういう同調圧力イジメみたいなの、日本人ほど好きな人達いないと思うし、まさに”何か”が崩壊した今にピッタリの作品かも。よく「バブル崩壊」に例える人もいるけど、まさしくそういう社会的な秩序、価値観の崩壊のメタファーとしても優れてるし、(しかも割と何でも置き換え可能。俺らに引き寄せるならアンダーグラウンドシーンの同調圧力とかでも普通に余裕で当てはまるなって思う笑)
アメリカの青春映画とかでよくある”ギークやナードがジョックスに反撃!”みたいな話じゃなくて、ジョックス側、要はマジョリティー側から読み解くって話にしてるのもすごく面白い。皆が色んな所から入り込めるのはこの設定のおかげだと思う。
ナード、イケてない代表として出てくるのは『ヲタク代表の映画部』と『”強くない"野球部キャプテン』と『文化系代表としての吹奏楽部キャプテン』の3者なんだけど、どの場面も素晴らしい。
特に映画部の部長と吹奏楽部の部長が失恋を経て、しっかり芸術や物作りに向かっていくって、さっきシング・ストリートで話した"クリエイトするってのは喪失感を埋める事"って部分もちゃんと描かれてるし、ラストにジョックス代表として東出くん演じる役と神木くん演じる映画部部長の会話があるんだけど、ここがとにかくホントに素晴らしい。
東出くん『将来は映画監督ですか?女優と結婚ですか?(映画なんか撮ってなんか意味あるの?)』
神木くん「それは無理かも。でもこれやってると、自分の好きな映画たちとちょっとでも繋がった気がするから」
意訳だけどさ。これ以上に美しい会話、この地球上に存在するか?笑
多分みんな思ってる事だよね。コレに尽きる。
”好きなものがあること”がこのきつい世の中を生き永らえる上で希望の灯火って事じゃん。
俺の人生感に物凄く影響を与えた映画かもしれない。
あの…半端じゃなく話それるけど
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。
って深夜アニメ、殘念ながらこんな状況だから3期の放送がこの間から延期になってるんだけどさ。
このアニメ俺めっちゃ好きで。
この手のラブコメアニメ、歳とってから積極的には見なくなってたはずなのに、なんで好きなんだろうって思ったら
”学校的同調圧力から来るイジメと、細かい空気の読み合いで綱渡り的にしか構築できない人間関係”みたいな桐島的題材が話の根幹にあるからだなって今気がついた。
もちろん桐島が到達してるリアルみたいなものとはリアリティーラインが全然違うけど。笑
はっきり言って主人公とかさっきの話で言う”ギーク・ナード”側の人間の行き着いた先ってキャラだけど、卑屈な奴ってよりなんか途中から誰に対しても上から目線のただの失礼な人みたいな感じだし。笑 ジョックス側の金髪優等生君も上から目線の見透かしたような事ばっか言う奴だし、こんなのばっか周りにいたら俺は精神崩壊するね。
ただ、主要キャラ3人の恋愛未満、友情ごっこ的人間関係の欺瞞を暴く事のみが行動の目的としか思えないヒロインの姉「雪ノ下陽乃」の狂人(暇人)っぷりが、行動のパターンも含めて”ヒース・レジャー版のジョーカー”みたいでウケる。
主人公を異常に気に入って執着するのもバットマンとジョーカーみたいだし。そういえば一期って主人公が罪を被って全体を丸く収めるってオチだったわけで、それってめっちゃダークナイトの終わり方みたいじゃん。
バットマン気取りか。
終わり。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?