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ある委員会への餞別

委員のみなさま

まず5・15デモに賛同の意思とコメントを寄せることが何らの負担にならないであろうことは知っています。だから反対するわけではないと言いました。

しかし「賛同とまでは言えない」のは、この委員会の目的は何であり、わたしたちの本旨は何であるかということを委員会を離れるにあたって問いたかったというに過ぎません。

わたしはこの何か月間かずっと「キレ」続けています。だから社会福祉委員を辞め、すべての委員会活動から身を引くところなのですが、それはどの委員会に参加しても同じ顔ぶれがおり、それぞれがあらゆる問題に首を突っ込んでいながら本気で問題を解決するつもりがないように見えること、「味方に足を引っ張られる」のに嫌気がさしていることが原因です。

さらに言うと僕はヤマトンチュです。日本男子です。先祖は桓武天皇で坂東平氏の末裔です。平和活動というとなんでもかんでも「反天皇制」だの「反靖国」だのを掲げていますが、僕はそのようなプロパガンダに与する気持ちは毛頭ありません。

天皇に対する忠誠も愛国心も特別持ち併せていない僕ですが、この身には桓武天皇から受け継いだ血が事実として流れていますし、政治的に統治している訳でもない天皇という存在に特別反対してはいません。さらに言えばわたしは民主主義者ではありませんし、(象徴)君主制に特別文句を持っていません。

欧米の走狗と成り下がっている為政者たち、国民や弱者を顧みることのない政府、正義のない政治に対する怒りは皆さんと共有しているつもりですが、出自も政治思想もそれぞれに違うのです。教団における合同問題を解決するためには一致できることでも、沖縄の基地問題、平和の問題については一致できないこともたくさんあるのだということに思いを向けてもらいたかっただけです。

そして、合同問題に専念して「一点突破」を諮るのでなければ、問題の解決すら殆ういのだという「危機意識」を持ってもらいたいだけです。

本当はこの間の旅でウチナンチュのみなさんとこんな話をしてみたかったです。ヤマト、ヤマトと恨みの的にされていますが、僕はヤマトンチュで天皇の子孫だと。だけどウチナアの皆さんが心理的に複雑骨折しているのと同じようにヤマトの心ある人々だって臥薪嘗胆の心で戦い続け、心理的疲労骨折を起こしているんだと。

そして神奈川には厚木があり横須賀があり、相模原があったんだと言いたかった。基地に苦しんでいるのだってあなた方だけじゃないと。だから連帯できるんだと。そんな話がしたかったのに誰も集めることができなかったから、僕にとってあの旅は「失敗」だったのです。

僕はもうすぐこの委員会を去ります。だからこの問題に対して今更賛成も反対もしません。しかしもう一度よく考えてください。わたしたちの目的は何なのか。本当に合同問題を解決する気はあるかと。

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皆さんが議論に乗ってくれるのを待とうかと思いましたが、後続の意見が出てこないのでまた書きます。

僕は今まで①②については地道に続けてきたと思います。新婚旅行で初めて沖縄の地を踏んだ2008年に間違えてウタキの聖域に足を踏み入れてしまってから、なんか申し訳ないことをしたという気持ちがずっとあったし。

ただ③④についてはうまくできなかったというのが正直な気持ちです。団体行動が苦手でうまく他人と連帯できたことのない自分の性格に起因するのが一番の理由ですが、沖縄戦の惨状に対する責任を考えるとヤマトの自分としてはウチナンチュウの人たちの怒り、悲しみ怨嗟の声を正面から受け止めるのが怖かった。

わたしは幼少時から自分では普通のことをしているつもりでも「生意気だ」とか言われることが多かったので、ただでさえ反感を買いやすい自分が、加害者として被害を受けた人々の前に進み出るなんて考えたくもなかった。

だから、すべての委員会から身を引こうと考えた時、この委員会だけには残りたいと思ったけど、社会委員会を辞めれば自動的にここからも退くことになってしまうので、今は、それに従おうと思います。

80年前にこの国に生を受けていたとしてもわたしには戦を止める力はなかったでしょう。男だったら戦地に赴いたと思う。だから、申し訳ないけど靖国は嫌いになれない。靖国の社頭に立ち桜を見上げると涙がこぼれてしまう。死んでこの庭で会おうと散っていった先人を憎むことは出来ないから。それがわたしの偽ることない本心です。

この委員会が⑤としてヤマトのことを思いながら沖縄のために戦うという意識を持っていただけるなら、これにすぐる喜びはありません。わたしがこの委員会を離れてもそれだけには関わり続けることができると思います。

✠ ✠ ✠

誤解されていると困るのですが、別に僕は国粋主義者でも天皇制賛美主義者でもありません。王家の禄を食んでいる訳でもなければ官位を持っている訳でもない以上、天皇家何するものぞと考えてはいます。しかし、事実として祖先が同じである以上いくらかのシンパシーを覚えるというだけのことです。

わたしは中学生の頃政治家を目指しておりましたから『ニコマコス倫理学』を読もうと考えてから哲学にはまるようになりました。アリストテレスは結局読破しませんでしたが、プラトンにはまり諸子百家を読みこなすことで自らの信念を作り上げました。

しかし今わたしには国政を云々しようなどという大それた望みはありません。街頭に立って讃美歌を歌った程度で国が動くと考えたこともありません。

この程度の議論にも加われず、教団を統一することもできず、教団議長の首を挿げ替えることもできない人間が、天皇制を廃止したり国政を平らかにすることができると考えたこともありません。

わたしは自らを修め「神の義」にとどまること、自らが招聘された教会を牧会して「神の国」となすべきこと以外になすべきことを知りません。ですから社会委員会などという欺瞞に満ちた委員会から撤退します。

この程度の議論に加われず、自らの信念を文字に表すことのできない人間が、国政に意見しようなどとは笑止。

まずは己を正し、自らの家を斉のえ、教会を神の国として見せよ。

僕の言いたいことはこれで全てです。

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