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僕が僕であるために

僕が僕であるために
作詞:尾崎豊 作曲:尾崎豊
心すれちがう悲しい生き様に ため息もらしていた
だけど この目に映る この街で僕はずっと 生きてゆかなければ
人を傷つける事に目を伏せるけど 優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

別れ際にもう一度 君に確かめておきたいよ
こんなに愛していた
誰がいけないとゆう訳でもないけど
人は皆わがままだ
慣れあいの様に暮しても 君を傷つけてばかりさ
こんなに君を好きだけど 明日さえ教えてやれないから

君が君であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
君は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」なんて随分面倒な生き方だなと以前は思っていた。
ただ尾崎の真っ直ぐな言葉とシャウトを聞くと、胸が熱くなるような、目から熱い水が零れてしまうような、そんな気持ちになったのも事実だ。

「人を傷つける事に目を伏せるけど優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく」なんて聞くと昨今のキャンセルカルチャーが頭に過る。人に傷つけられることは許せないと言い募り、ルサンチマンを解消しようと強者に立ち向かうのも、人としてある意味では仕方ないのかもしれないけど、そんなもの決して正当化出来るもんじゃない。

鬱憤を晴らすことが正義であるかのように勘違いされるようになったのは何時からなのだろう。

「誰がいけないとゆう訳でもないけど 人は皆わがままだ
慣れあいの様に暮しても 君を傷つけてばかりさ」
ヤマアラシのジレンマではないが、人はただ隣に存在するだけでも誰かを傷つける。今日のパンもない人の隣で鰻やステーキを食べて喜ぶならそれだけでもう十分。だから傷つけられたことなど罪に問えることではないし、人を傷つけることが罪ならば、我らは何もしない方が良い。

勿論、富の配分の不公平や理不尽な苦しみを経験する人を救うことのできる何かがこの世には必要だけれども、それはハラスメント狩りとは全く違う何かであるべきだろう。

正しいことが何なのか漸くわかり始めるのが50の坂を超えてからだとは、この歌を聴いているとき、歌っている時には想像もしなかったけれど、それを一生解らなくてもいいなどと思ったことはなかった。

漸く勝ち続けることが出来そうな未来が見えてきた僕は、既に以前の僕と同じじゃないような気もしているけど。

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