きっとSNOWBOARDは一生死ぬまで好きで好きで大好きなんだろうな
こんにちは。
大阪市都島区で完全自費の整骨院の院長しています。
HPのブログでは、治療や施術、トレーニングについて書いているので、そちらも見てほしいです。
今日は自分が好きなことについて書いていきます。
スノーボード
全日本ウィンタースポーツ専門学校へ高校卒業して入学
勉強が嫌いな子やったので大学進学は考えていませんでした。
高3の合同説明会でどこに行こうかと考えていると、
全日本ウィンタースポーツ専門学校
略してJWSCがありました。
ちょうどその頃スノボにハマっていたので深く考えぬまま入学を決めました。
これが人生の転機でした。
場所は新潟県の妙高
自分の高校から行くのはたった一人。自分だけです。
学生寮に入って学生の食堂
周りには郵便局と夜7時に閉まるヤマザキショップのみ
大阪市で生まれ育ち、徹マンをする暮らしをしていた自分にとって、生き方そのものが変わる暮らしです。
きっと心のどこかで望んでいたのでしょう。
家族と離れ離れで暮らすこともこの時は少しも苦では無かったです。
新しい環境での生活のワクワクの方が上回ってましたね^^
そしていざ入学式を迎えて感じたこと、
・・・女の子すくなっ!・・・
自分は高校が普通科の高校ですが工業化もある高校で女の子の数が少ない高校に通っていました。
しかも、普通科は女の子が少ないので男子オンリーのクラスと女の子が半数いるクラスと別れていました。
自分は三年間男子オンリークラスです。
ふふっ
またか
まぁいい、とにかく新しい生活に胸躍るスノーボード漬けの始まったのでした。
18歳から21歳のスノボちゃんからスノーボードに意識が変化していった時
一年生
大阪から入学を決めて新潟県へ
今後一生書くことが無い住所 中頸城郡
新潟市へ行くよりも、長野市の方が近い 妙高高原
東京へは長野駅から新幹線で行けるが、大阪へは特急しかない JR
セブンイレブンまでは徒歩で40分
朝と晩ご飯が出る男子寮
そこで初めて食べました 納豆
大阪ではスーパーへ行っても目に入らなかった食べ物です。
今となっては普通においしいです。
四月に入学しまだまだ滑れる環境に驚く
同級生のレベルの高さに驚く。
四月の時点ですでにハーフパイプのリップ越え
自分は入ったことないです。
オーリーも出来ませんでした。
月山という所への合宿へいくもみんなと班分けで一番下のクラスです。
世の中の広さを改めて感じました。
そんな自分が少しでも上手くなるためにはと考えたのが、
学校の皆勤賞でした。
とにかく、休まない。毎日行く。これだけでした。
劇的に上手くなる事もありませんし、
学校へ行くのは当たり前なのですが、高校時代の甘えが出ない様にとにかく、学校へいきましたね。
オフシーズンの授業でもトレーニングです。
この時自分はスクワットが出来ませんでした。
一回すら出来なかったです。
そこからのスタートです。
二年生
三年生
篭り時代
じぶんはもう随分なおじさんの年になってきましたが、スノーボードが大好きです。
これだけはきっと変わらずに過ごしていくのでしょうね。