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"死"と向き合う

みなさん、お久しぶりです。
健康診断は受けていますか?私も毎年受けていますが、先月、健康診断を受けてきました。


1. 精密検査

今年の健康診断で、胸部X線に引っかかり、精密検査を受けることになりました。
去年は特に問題がなかったのですが、今年は精密検査となり、正直なところ不安でいっぱいでした。


結論から言いますと、特に問題はありませんでした。


ただし、精密検査のおかげで、検査対象とは全く異なる場所に肺嚢胞が見つかりました。精密検査がなければ発見できなかったかもしれません。


この肺嚢胞は、おそらく過去に喫煙していたことが原因かと思いますが、経過観察を続け、大きくならなければ特に問題はないとのことでした。


精密検査の結果を待っている間、そして再検査の結果を受け取るまで、心配でたまりませんでした。


歳を重ねると、健康は努力で維持するものだと痛感します。

2. もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日やろうとしていることをしたいと思うだろうか

スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学でのスピーチをご存知でしょうか?

正直なところ、最初に見たときは「いいスピーチだな」くらいにしか思っていませんでした。
しかし今回のことで、彼の言葉が心に響いた自分がいました。


彼のスピーチの中に、「もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日やろうとしていることをしたいと思うだろうか」というフレーズがあります。


10代や20代の頃は、人生が永遠に続くように感じていました。
皆さんも同じように感じていたのではないでしょうか。明日も明後日も、同じ日常が続くと思っていたのです。
30代、40代であっても普段から "死" を意識して、向き合うことは数少ないでしょう。
意外と50代、60代でも "死" を意識していることは少ないのです。

3. "死" を意識するむずかしさ

"死" は普段は意識しないものですが、ふとした瞬間に目の前に現れることがあります。そのとき、自分の人生について深く考えさせられます。


それは、知っている誰かの "死" かもしれませんし、近しい人の "死" かもしれません。


今、自分が取り組んでいることや他人の期待は "死" の前ではなにも意味をもたなくなります。

"死" の前では人生の棚卸しが行われます。


いまの自分がやっている仕事っていつまでやりたいんだっけ?
なんでやってるんだっけ?なにがしたかったんだっけ?
一日の多くの時間を投下して得たいものってなんだっけ?という難解な問いが "死" の前では現れます。

「もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日やろうとしていることをしたいと思うだろうか」


誰かの期待に応えることも大切ですが、自分の時間以上に他人の期待が大切なことがあるでしょうか?
これまでわたしはスキルや経験を身に着けていくことが大事だと考えて仕事に取り組んできましたし、それはこれからも変わらないでしょう。
スキルや経験は、個人や事業にプラスをもたらす上で必要なものです。

しかし、人生は有限ですし、人生には必ず終わりがあります。
どんなことをやっていても、後悔もあるでしょう。
それは一度きりだからです。

若い人も、お年寄りも、普段から "死" を意識することは極めて困難です。
それは目に見えないものですし、健康なときはなにも感じないからです。
しかし、命の時間は着実に減っていきます。


自分の人生、自分の時間に、どこまで真面目に日々向き合えるかが大切なんだなとそう感じさせられた最近です。


それでは。

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