【歴史】ジーンズの歴史
『私のたったひとつの後悔は、ジーンズを発明できなかったこと...』
世界的なファッションデザイナー、イヴ・サンローランが最後に発した言葉です。
今日はそんなジーンズの歴史について一緒に学んでいきましょう。
そもそもジーンズとは?
現代では、ジーンズと言えばデニム生地で作られたパンツを指します。
今ジーンズと呼ばれているものは、元々"ウエストハイ・オーヴァーオールズ"と名付けられ、その後1950年代頃から若者を中心に"ジーンズ"と呼ばれるようになったのです。
日本ではGパンと呼ぶことも多いですが、
その由来は諸説あり...
"Government Issue(米兵)が履いていたパンツ"を略した『G.I. パンツ』から由来した説や、"JEANS(ジーンズ)"のJEANをGの響きにあててGパンとした説などがあるそうです。
ちなみにデニムは" サージ・デ・ニーム"、『(フランスの)ニーム地方の綾織』が語源で、デ・ニームの部分が短縮されてdenimとなったそうです。昔は、フランスに所縁のある生地だったのですね。
西部開拓時代
では、ジーンズの誕生前に遡ってみましょう。ジーンズの歴史を語る上で欠かせない出来事があります。
"GOLD RUSH(ゴールドラッシュ"です。
1848年ごろにアメリカ・カリフォルニアで、大工の男性がアメリカン川周辺で砂金を見つけた噂がたちまち広がり、全米や海外から一攫千金を求めて30万人もの人々がカリフォルニアに集まった社会現象です。
その当時カリフォルニアはまだ未開拓の地でしたが、この現象をきっかけに爆発的に人口が増加し、急速に街として発展していきます。
ジーンズ誕生
そんな未開のカリフォルニアの地で、毎日ハードな肉体労働をする労働者は大きな悩みを抱えていました。それは、作業着がすぐに破れてしまうことです。
ある日、リーノという町で小さな仕立て屋を営むヤコブ・デービスに1件の依頼が入ります。その内容は、『滅多に破れないとびきり頑丈なパンツを作って欲しい』というものでした。ヤコブは分厚いキャンバス生地を苦労しながら縫い上げ、どうにか1本のパンツを縫い上げました。そして、思いつきでその辺に転がっていた馬具用の銅製リベットをサービス程度に、負荷のかかりやすいポケット口などに打ち込み補強して男に渡しました。
これが全く破れないということで町中で噂になり、男たちにたちまち大ヒット。製作の依頼が殺到します。
この大ヒットをうけて、類似品が世に出回ることを危惧したヤコブは"このリベット付きのパンツ"の特許を取ろうと思いたちますが、その資金がありませんでした。
そこですぐにキャンバス生地の仕入れ元で、すでに成功者として名が通っていた輸入商のリーバイ・ストラウスに手紙を書き、権利を折半するという形で特許申請を依頼します。そしてその特許が1873年におり、この瞬間製品としてのジーンズがこの世に誕生します。
このひょんな思いつきが、今や世界で欠かせない洋服になっているなんて当時のヤコブは思いもしないでしょう。
もうすでにお気づきの方も多いと思いますが、
このリーバイス・ストラウスが運営する会社が、のちのジーンズの代名詞ブランド『Levi's』となっていき、
そしてヤコブ・デービスの子孫がのちにワークウェアブランド"BEN DAVIS"を立ち上げます。
今も現代に残る両ブランドはこういった歴史の流れから誕生したのですね。
なぜジーンズは青くなったのか?
発売当時のジーンズは無加工のキャンバス生地、つまり生成色が主流でした。
今ではそれが信じられないくらい青いデニム生地のジーンズが普及しています。その潮目が大きく変わったきっかけは2つあるとされています。
1つ目の理由は、皆様もご存知の通り、デニムは植物の藍(インディゴ)から抽出される染料で染めた糸を使って織りあげた生地です。
今では化学的に作られた合成インディゴが普及していますが、天然由来のインディゴ染料には虫や爬虫類が嫌う成分が含まれているそうです。つまり当時、荒野に潜む毒蛇や毒虫から身を守ることができると考えられていました。
もう一つの理由は、生成色の生地に比べて、デニムの方が汚れが目立たず、ジャブジャブ洗いやすいという点が労働者にとってありがたかったからです。
こういった理由から青いジーンズが定番になっていったのですね。
これは推測ですが、力仕事に従事する労働者のことをアメリカでは"ブルーカラー"と青で表現することがありますが、それはジーンズの青からきているのも当たらずとも遠からずかもしれません。
ジーンズ、西部から東部へ
では、西部特有のワークウェアであったジーンズはどのようにしてアメリカ全域に広がっていったのでしょうか?
そのきっかけは2つあるとされています。
一つは1930年代のデュードランチの流行。
もう一つは1939年に始まる第二次世界大戦です。
デュードランチ
デュードランチとは"観光牧場"のことで、西部のカウボーイの生活や大自然を体験してもらうというものです。
1929年に始まった世界恐慌により牛肉の値段がガクッと落ちていて、西部の牧場にとって死活問題でした。なので副業としてこの事業にかなり力を入れていたというのが流行の背景にあります。
このデュードランチは、映画で登場するカウボーイや彼らの生活に興味のあった東部の富裕層に人気を博します。せっかく西部に来ているのだから!ということで、観光者は滞在中ウエスタンシャツにジーンズ、そしてテンガロンハットにウエスタンブーツ姿で滞在を楽しむようになります。今でいうコスプレのような感覚だったのかもしれません。
こういったきっかけで、東部の人々に西部のワークウェアであるジーンズが認知されていきました。
第二次世界大戦
1939年、ドイツ軍のポーランド侵攻によって勃発した第二次世界大戦。
この大戦において、リーバイス社は衣料品における軍需産業の対象となったのです。つまり、ジーンズを軍に納入することになります。
頑丈さや汚れが目立たないという理由ももちろんありましたが、主原料がコットン(綿)ということが決め手だったと言われています。現在でもアメリカはコットンの世界的産地です。アメリカ国内で原料を賄え、大量生産が可能でした。
現在、ヴィンテージフリーク達の間で熱狂的な人気を誇る"大戦モデル"はこうした背景から誕生します。
こうして西部のジーンズが、ワークウェアとしてついに東部へ広がり、作業着として普遍的なものへなっていきました。
ファッションアイテムとしてのジーンズへ
現代ではもはやジーンズを作業着として着てる人の方が少ないかもしれません。
世界中で当たり前のようにファッションアイテムとして浸透していて、今日も周りを見渡せばジーンズ姿の人で溢れています。
その立役者として1番に挙げられるのがマーロン・ブランドです。
1947年ブロードウェイで公開された戯曲『欲望という名の電車』でスタンリー役でデビューし、たちまち人気俳優へ駆け上がります。
この劇中でジーンズ姿のマーロンが確認できます。この作品に出演する前からバイクに乗る時などですでに日常的にジーンズを愛用していたようです。1940年代はまだ普段着としてジーンズを着用する人は少なく、マイノリティなスタイルでした。今でいう寅壱姿でバイクに乗っているような感覚だったのかもしれませんね。
そして、ジーンズのみならずメンズファッションに多大な影響を与えた、マーロンの代表作"乱暴者(The Wild One)が1954年に上映されます。
カリフォルニアの小さな田舎町を恐怖に陥れた暴走族(BRMC)の実話による物語。
劇中の彼らのライダースにTシャツ、そしてジーンズにエンジニアブーツという装いはアメリカ中の若者に鮮烈な衝撃を与え、突如反抗のシンボルとなりました。今でもバイカースタイルといえばこのスタイルを皆さんイメージされるのではないでしょうか?僕らで言うクローズのようなアウトロー映画を見た時の感覚だったのかもしれません。
1950年代、好景気に沸く黄金期のアメリカ。
水面下では、戦争などで抑圧されていた若者の鬱憤が渦巻いていたのかもしれません。
マーロンに憧れた若者はこぞってTシャツとジーンズを買い求め、日常着として着用するようになります。
こうしてやっと誕生してから約80年の時間を経て、若者のファッションアイテムとして徐々に定着していきました。
その後、時代時代の著名人がジーンズを着用したことで、世代を越えて着用されるアイテムになっていきます。
いかがでしたか?
毎日何気なく履いていたジーンズ。
実はこんなストーリーが隠れていたのですね。
明日からちょっとジーンズを履くのが楽しくなるかも。
ここまでご覧頂きありがとうございました。
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