「和賀英良」獄中からの手紙(8) 南無妙法蓮華経のちから
―南無妙法蓮華経はポリリズム―
「みなさまお集まりいただき誠にありがとうございます。普段はこういった講義形式ではなく打楽器のレッスンがほとんどですが、今回をもって定年退官ということでございますので、なにかしゃべるのがよかろう、とのことで壇上に立っております」
いつもはラフな格好の丸山だったが、今回ばかりはチャコールグレーのスーツに赤と紺色のレジメンタルストライプのネクタイ、足元はいつも学生に自慢しているオールデンの黒光りしたコードバン革のプレーントゥというアイビースタイルで固めていた。
「音楽は宗教にとって不可欠なものです。とりわけリズム・ビートは原始的な感覚を目覚めさせ人々を宗教的な陶酔感へと導くわけで、打楽器の演奏は宗教行為と一体であるといえるでしょう」
「私の演奏活動はともかくとして、在任中の研究対象は『ポリリズム』でありました。ポリリズムとは聞きなれない言葉かと思いますが、ポリとは『複合』ということ。リズムはそのまま『リズム』ですので、ようするにポリリズムとは『複合リズム』ということになります」
すでに教授の額には汗がにじみ、緊張のせいか顔は上気して少し赤い。薄くなった髪をカバーするように盛り上げたオールバックのヘアースタイルには半分ほど白いものが混じっている。そして弁士がよくやるように、用意された壇上の水を一口飲み、手を口に当て軽く咳払いをした。そして気を取り直して再び話し始めた。
「まずは皆さんが良くご存じの日蓮上人のことをお話しします。初めに申し上げておきますが、私自身は日蓮宗に帰依しているわけではなく、研究者としての分析を基にして説明をいたします」
そして丸山は客席の後ろまで通る声で言った。
「ちなみに私自身は……カトリックの敬虔な信者です」
会場が少しどよめき、隣に座っている学生から「え、知らなかったよ」「本当?」という声が漏れ聞こえた。それはこの場を借りた自身の信仰告白のようにも聞こえた。
丸山は少し間をおいてからこう切り出した。
「さてこのポリリズムを日蓮宗のお題目である【南無妙法蓮華経】を使って説明したいと思います」
第9話: https://note.com/ryohei_imanishi/n/n334f1fab4b5f
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