『書く』ことに夢のようなものを抱いていた話
私は自身が文章を書くことについて、上手くないと思っているし、今の自分が書いたものに価値が生まれるとは思っていない。
にも関わらずなぜこの『書く』を始めようと思ったのか。
一番のきっかけは自身の環境変化からくる心境の変化だ。
3月末から職場の環境が変わり、一日の終わりまでに自由な時間が増えた。すると将来のためにその時間を使って好きなことと自身の成長を絡めていきたい、と何かをしようという前向きな気持ちが徐々に湧いてくるようになった。
だがしかし好きなこと、と考えてみても悲しいかな趣味のことしか頭には浮かばない。
趣味の合間に人生をします!と常日頃宣言している自分だとしても、せめてこれは違う何かなんじゃないかとなかなかに頭を悩ませたのが先週のこと。
さて、多くの人は高校生くらいの頃に進路希望という形で自身の将来を一度は考える機会があったはずだ。
当時、某遊べる本屋で購入したフォトエッセイ、国井律子著《アタシはバイクで旅に出る》に夢中だった私は「文章を書く仕事に就きたい」と進路希望面談で答えたことを覚えている。
スポーツスターが格好良かったのか、風景や人に惹かれたのか、あの頃どこに惹かれて食い入るように《アタバイ》を読んでいたのか今はもう定かではないが、ただ漠然と何者かになりたいと考えていた当時の私には自由・気ままさを持ち合わせた『文章を書く仕事に就いている何者か』に大きな魅力を感じたのだと思う。
それを思い出し30を半ばに迎える今、ズブの素人ながらも文章や言葉にヘタなりのこだわりや自負を抱いていた私はやはり趣味以外ならこれしかないと『書く』ことを選んだわけだ。
自分自身でも書き始めてみるとこれがなかなか難しく、先の自負は一瞬で霧散してしまった。そりゃこれでご飯食べている人が世の中にゴマンといるのだから素人の私なら当たり前だ。
ツイッターの140文字ならすぐに埋まってしまうのだが、どれ一丁毎日1000文字程度を書いてやろうと構えてパソコンを前にすると文章が出てこない、おまけにアレやコレや言いたいことも行ったり来たりする。
初日なぞ加筆修正に寝る間を惜しまないギリギリのところまで時間を使うことになり、本末転倒とまでは言わないが何となく今の自分にとってそれは違うのではないかといきなり考えさせられることになった。
もちろん文字数が全てではない。
だがしかしあまりにも短い文章の羅列で終わってしまうとせっかくの自己研鑽の場を充分に活かせていないのではと貧乏性の自分には勿体なく思えてしまうのだ。
やはり後々推敲するにもある程度の文字数があればこそ並べ直しや言い換え等文章力を培っている実感ができるもの。ならば思いついたまま書き連ねてみたらどうかとも思ったが、だからといって書けば書くほど良いかと言えばどうやらそうでもなさそうだ。またアレやコレやで文章がとっ散らかっていき、せっかく書いた文章を泣く泣く削ることを繰り返している。
また簡潔な言い回しや端的な単語など自身の語彙力不足もなかなか深刻な問題のようで、常に何か他に言い換えがあった気がする、とウンウン言っている。
果たして私が書いた文章を読んで、他人もスムーズに、齟齬なく内容が頭に入ってくるように出来ているだろうか。
大まかな構成から細かい文末の切り方まで、過不足なく読みやすい文章を目指すというのは思っていたよりずっと難しいようだ。
純粋に考えていることを心地よく読めるように『書く』ことの難しさはやってみないとわからないものだ。
きっと根本的な解決はインプットとアウトプットを意識して増やすことなのだろう。今日も起承転結や接続詞など文章を書くうえで基礎的なことを調べ、また人が書いたnoteを読み、なんとか自分なりに読めるところまで落ち着いたように思う。インプットアウトプットをずいぶん長い間サボっていた背景もあるが、アウトプットを3日続けただけで自分でも0から比べれば今後の継続に向けて充分光明が見えてきた。
具体的にはなるほど書き上げたものを別端末で見ること客観視できていい、とか仕事の休憩時間に下書き段階500文字程が出来ていればあとは文章に肉付けして自分に無理なく楽しめるものになる、などやりようはありそうだ。
同時にアレは別の時に書こう、コレは削った方が良い、と捨てるものが沢山あり、存外書きたいことには困らなくなってくることにも気づく。
なんだかんだ言っても難しさを工夫しつつ楽しめている。
意外と昔の夢も捨てたものじゃない。
今はまだ多くの人に見てほしいわけでも、これが直接お金になることを目指すわけでもない。
しいて言えば文章を書くことに慣れ、それが徐々に上達していくことを自分が楽しく実感できれば何より。いつか将来的には「述べる」とか誰かのためになる記事を堂々と書けるようになりたいものだ。
だからこそなるべく、少しずつ進歩を実感できる今、文章を書くことに時間を費やしていこう。
願わくば、これが自身の人生において一つの芯になり、15年前の自分が憧れていた何者かに近づけるように。