中井久夫著『徴候・記憶・外傷』を読む Ⅱ
中井先生の説く、徴候 予感 索引 余韻 とは対象を把握するときの人間の思考を論じて興味深い。
パースという人がイコン、インデックス、シンボルの三つ組みを論じたけれど、それよりも、細密で臨床的実感によくあう。
また、今起きていることの違いが未来に先のべされることと、過去を論じて「差延と痕跡」を論じたデリダという人もいるが、これも「今という現前」を批判する戦略的、哲学的なものであって、臨床の、繊細な、「こころのひだ」にとどくような議論ではない。
徴候について、さらに論じたいところではあるが、読み進めると、中井先生の論考が安永浩のファントム空間論に入り込んで、一見複雑にみえる図式をしめされたので、そちらにふれておきたい。
発症後のファントム空間。超覚醒に上限がなく、対象には上限があることは見て取れる。
では指数関数曲線はなにか。
この本を何度読んでもよくわからない箇所だ。
おそらく、中井版ファントム空間論は、徴候についての議論から飛躍して統合失調症の発症論になっている
ここに 「枝分かれ」を論じた、別の著者の単著からの図式をあげてみる。
この図は、x軸0を左端とする一直線が振動状態の分岐まで
ある平衡状態を示していて
その平衡の破れが生じると分岐が生じ2分される
x軸を横に移動すると、周期倍分岐として、4分割され、
すぐに8分割されるというものである。図では灰色になっているが、
理屈の上では16分割、32分割はありうるが、果たして計測可能かどうか。
人間の知覚、思考で起きることと考えてみると、それは
図でいうカオス的挙動に近い、ともいえる。
中井先生の図のうち、右肩上がりの曲線はこの図のカオス化で説明がつくかもしれない。また、もう一方の右肩下がりの曲線は、中井先生のご持論である「発症期の思考の無限分岐」論と関係してくると思う。
思考の無限分岐がもたらカオス化により、絶対的な恐怖と絶対的な快楽が「自極」ーおおまかに頭の中でおきることーで起きる、というのが、考えあぐねた、中井の統合失調症「ファントム空間」的理解の、私なりの説明である。
本著には統合失調症には絶対的な快楽が、統合失調症を回復から病のほうに誘惑してしまうということがやんわり記されている。その誘惑とは、思い上がりと、か、全能感のことをいうのであるが、なかなかそうは書かれない。本著で周到に言及を回避されているのはポール・ヴァレリーの詩集『魅惑』のなかの「セミラミスのアリア」だと思う。
誘惑と魅惑。
ずばりですみません。研究会の席で「セミラミスのアリア」にかかれていたことが発症過程に見られるのではと中井先生にじかに質して、みごとスルーされた。あんまりヴァレリーを精神医学化するのをお好みでなかったのはじゅうじゅう承知していたが、これも『脳髄の中の空中庭園』で論じられていたことをもとに、そう考えてみただけなのだが。