苦界を浄土にする
辛き憂き世を渡るにも、ただひたすらにこの天を杖と頼みてゆく身には、心にかかる雲もなし。
(『歓喜天和讃』)
ここ数年も厳しかったですが、これからの数年も日本は厳しい社会状況にあるとする向きは、社会・経済学者だけでなく占星術などの占いの世界からも出ています。最末世の世界は苦界の最たるものなので、いかに足掻こうとも苦に直面するのは仕方ないのかも。そんな不確かな世の中で支えになるのは信仰といえるのではないでしょうか。信じる心は誰にも犯されることなく、内心というのは自由であることは、身心の救いともいえるかも知れません。
中でも最末世の苦界の内で、善悪の両方に強い聖天様はトップレベルで頼り甲斐のある御尊格です。苦界を浄土に化する信心は聖天信心に如くはなく、荒海も無事にクリアでき、無上菩提の彼岸に達することができます。『和讃』が示すように、聖天様を進むための必須の杖として信頼して進めば、心の暗雲もはれて進んでいけます。他の信心でも救済は得られますが、物心両面の必要を網羅する点において、餘尊に勝れています。
聖天様は基本、清浄をとても尊ばれるのですが、濁った世の中に住んでいる衆生への大慈大悲も優れており、和光同塵の技を以て敢えて清濁を併せ呑むことも厭われません。御眷属の鬼神衆も聖天様の御聖心を受けて、六道のどこでも苦しむ中で、聖天様に救いを求める者のところへ赴きます。通常の他の天部尊などが忌避するところでも、聖天様の大慈大悲の救いの手は伸ばされるのです。『和讃』にもあるように「ただひたすらに」聖天様を信じて仰ぎ前進してまいりましょう。合掌