嘘が大嫌い
嘘つけないよね。
嘘ってなんだ?
嘘が嫌いになったきっかけは、小さい頃お母さんが、友達のお母さんとかに世間話として僕の話をした事。
「うちの子は人見知りで〜」
「りょうがは寿司が好きで〜」
っていうのを聞いた時。
僕の中には一つの言葉が込み上げてくる。
「違うんだけどな〜。」
話を盛るのも、嘘と一緒だと思っている。
僕のお母さんは事実とは違う事を話して、話を盛り上げようとしてる。
そんな事までして話を盛り上げたいのか?
僕のお母さんは優しいけど、こんなことするんだ。
って小さい頃ながらに絶望した。
と、同時に、事実とは違う事を話されて、話のダシにされることがこんなに嫌なんだと思って、自分は絶対にそうしないように気をつけようと思った。
それが僕が嘘が嫌いな理由であり、
人に話をするのが苦手な理由であり、
自分の考えを話すのが苦手な理由である。
もちろん、人に話をするときに正確に話すなんてできっこない。
自分の考えを話さないで生きていくはめっちゃムズイ。
そんなこと分かってる。
分かってるんだけど、正確を求めてしまうし、真実を求めてしまう。
人に対して
「嘘つくなよ」
「前と言ってること変わってるじゃねーか」
「裏切られた」
って思ってしまう。
いや、なんだろうな。
本当にそんなこと心の底から思っているのかな。
それすらも分からないや。
本当だらけの人生だと、人間の本性が見えすぎて、きったない世の中だなってとうの昔に見限ってるかも知れない。
嘘があるから、小説も映画も、君の名は。も存在したんだ。
そう考えたら、嘘って素晴らしい。
人の汚い部分を隠すことができる。
本能に反した考えと行動ができる。
解釈によって気分を変えることができる。
嘘があるから、人生に彩りが生まれる。
この感情は嘘なのか、ほんとなのか、
この言葉は心からのものなのか、嘘なのか、
それを判明させる事には意味はないのかも知れない。
嘘と思ったら嘘であり、ほんとだと思ったらほんとなんだから。
その言葉が嘘である理由って説明できる?
その言葉が本当である理由って説明できる?
多分できないよ。
僕らはそのグレーの中で日々生きているんだ。
黒か白かを決める事に、意味はない。
なんの話だって話だけど、
とりあえず僕は嘘が嫌いだった。
だけど嘘のおかけでアニメ等のフィクションが生まれたり、
言葉や気持ちの解釈に幅が生まれたり、
理性を持った行動ができるって思えたら、
ちょっとだけ嘘が好きになれた気がした。
ただ、それだけ。
嘘をつくのも人間ぽいね。