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アート鑑賞に感性は不要だ

私は感性が無いからアートが分からない。

アートを理解するのには、センスが必要だ。

あなたはそう思っていないだろうか?

感性というよく実態の分からないもののせいにして、アートを理解する道をシャットアウトしてしまうのはあまりにもったいなさすぎる。

アート鑑賞に必要なもの、

それは感性では無く、論理である。

アートというのは長い歴史があり、その繋がりの中で評価される。

そして、その評価をするのは「言葉」であり、言葉で評価されるということは、再現性のある論理的な展開が不可欠なのだ。

逆に論理的で再現性があるということは、思考のフォーマットをインプットしてしまえば、アートは誰でも理解できる。

アートは自由なものと思われがちだが、その表現をする理由があり、評価される型が存在している

それゆえ、歴史上有名なアーティストがなぜ素晴らしいか、ほぼ100%言葉で説明可能である。

アートというゴールのわからない旅に、地図を持たずに旅立てば迷子になるのは当然だ。

アートに関心を持った人が迷子にならないような地図を授けたい。

5W1H

まず1つ目は5W1H。

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このフレームワークを使うと、モネがなぜ印象派と呼ばれる筆跡を残した絵画を描くようになったかの必然性を説明できる。

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誰でも一度は目にしたことがあるモネの睡蓮。

モネはなぜこのような絵を書いたのだろう。

WHENー1872年 

WHEREーフランス

WHOークロード・モネ

WHATー睡蓮の花

HOWー筆跡の荒いタッチ

WHYーカメラの普及

モネが筆跡の残ったタッチで絵を書くようになった裏には、19世紀中頃にカメラが普及し、現実をそのまま写したリアルなことを書くことの需要がカメラによって奪われたことが見えてくる。

これは言わば、アーティストとして生き残る手段としての選択が印象派と呼ばれる独特なモネのタッチを生み出しているのだ。

19世紀にこの画風を打ち立てるのと、今日この描き方をするのでは意味が大きく異なる。

アートはその時代の政治・経済・宗教、その国や地域の文化・生活・風習を映し出す鏡である。

なぜその表現をする必要があったのか、背景に目を向けよう。

歴史の繋がりの中で紡がれるアートは、生まれた時代背景とは切っても切り離すことが出来ない関係にある。

対比構造

2つ目は対比構造。

アートは西洋で生まれ育ったもので、第二次世界対戦後に中心がニューヨークに移ってもなお、ヨーロッパで作られたルールの元で評価される。

宗教画、風俗画、肖像画、静物画、、と長い歴史の中でアーティストは多くの物を描く対象としてきたが、評価される為の主題(テーマ)はある程度決まっている。

アーティストはこの西洋のアートの歴史を自分は知っている。ということを表明する必要がある。

ゆえに、評価される作品というのは、アートの歴史を汲んだ上で、重要なテーマに触れ、新しい表現がされているかということに終始される。

そのテーマの多くは裏表のある対比構造を持って作品の中に現れる。

その一部を紹介したい。

生ー死 西洋ー東洋 聖ー俗 人口ー自然 デジタルーアナログ 永遠ー刹那 自分ー他人

この対比を実際の作品に当てはめてみる。

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これは先日まで森美術館で開催されていたSTARS展でも展示された宮島達男による作品である。

0のないデジタルカウンターがそれぞれのスピードで時間を刻むという作品。

0のない永遠に循環するイメージは東洋仏教の輪廻転生を彷彿とさせ(生ー死、西洋ー東洋)、刻々と変化し数字を刻み続ける(永遠ー刹那)。それぞれ違ったスピードで変化する数字は人の人生の歩みにも見える(自分ー他人)。

このようにざっと上で紹介した重要なテーマを、1つの作品とコンセプトで4つも拾っている。

この評価されやすいテーマは目に見える形では説明されておらず、それを連想させる抽象的なイメージが作品の中に隠されている。

これはいわばアーティストが作品に隠したヒントを探す謎解きゲームだ。

どれだけ絶妙なヒントを出すか。

これがいいアーティストと悪いアーティストの分岐点になる。

それに気づくか気づかないか。

これがアートを分かる人、分からない人の差を分けている。

まとめ

今回はアートをみるフレームワークの初級編として2つの要素を紹介した。

1.5W1Hに注目する
2.対比構造を見つける

アーティストがその表現をした時代背景に目を向けることと、どんなテーマが作品の中に隠されているのか、代表的なものをなんとなく覚えておく。

この2つを意識するだけで、作品を見るレベルがグッと上がる。

なんかすごかったという感想で美術館から出るか、なぜすごかったのか言語化できるかではアートを見るレイヤーが全く異なる。

感性なんか持っている人はいない。

僕だって最初草間彌生の展覧会に行ったとき正直意味がわからなかった。

でもそれから4年間で800くらいの展示会に行って、100冊以上のアート本を読み漁った。

そして今こうしてアートについてnoteをかけるレベルまで理解できるようになった。

アートに感性が必要なんてのは嘘だ。

いい作品は、論理的に理解できるようになっている。

論理は誰でも身につけられる。

気になる作品があったら調べて見る。

その少しの努力で、見る目は養われる。

さあ、もう感性を言い訳にするのはやめよう。



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