掌編小説「チェキビンボ」


結婚してる男はその財布の権限を奥さまに握られているので、質素だが限りある範囲のなかで、限界を超えることなく有効に生活することができる。対して、おれのような適齢期を超えた独身男は権限が自分にあるのだから、度を超えた散財をしたとて誰にも咎められはしないのだが、だからこそ自分でしっかりしなくては、月々のやり繰りを黒字で終えることができないのだ。そう、とん太は考えていた。この1週間のとん太が給与から使用できる金額は計算して2万円弱。食費を限りなく抑えたいものだが、とん太はこう考えていた。

「安く買って、大量に栄養を摂る。この体循環商売の原則を貫くことがいかに難しいことか。逆算して、睡眠時間をしっかり確保するには0時には俺は寝る。しかし、食事は3時間前には済まさないとならないと9時には終えないとならない。だが9時に食事を家に帰ってするには、この2時間の通勤時間で考えると7時にはオフィスから引き上げないとならない。でもこの頃の電車は結構混んでいるから、時間をずらした方が気楽に帰れる。だから家じゃなく外食で食べて帰ろうかと思うが、下手したら千円前後の夕飯を食べてしまう。それじゃあ近くのスーパーで惣菜を買ってオフィスで食べようとすると当然容器が食べ終わると出る訳でごみが増える。外食に尽きる。ただ1日の食費が高くなる、、ああ」

こう逡巡してしまうとん太には、そうやって色々考えないとならない理由があった。

この週の金曜日のことである。

「お疲れ様でーす。どうですか、とん太さん。このあと一杯。今週も終わりですし」

「わりぃ。俺、この後アイドルのライブ行くんだよね」

「へえ、そうなんですか!そんな趣味とん太さん持ってたんですね」

「趣味なのかな。習慣に近いと思うけど」

「でもなんでまたアイドルに。ただライブだけを観ていて楽しいんですか」

「元々はアイドルのライブって1回も行ったことないからなあで行ったのが最初。ただ不思議なもので、当時このアイドルの楽曲いいなあと思って聴いてたところに行くのではなくて、タイミングだったんだよね。行ってみたいなあと思った日にライブがあったグループに俺は観に行ったのがきっかけなんだよね。パフォーマンスを予測できるのはつまらないと思ったからかなあ」

「そうなんですか」

「俺がライブ行く理由って結構複雑だよ。当初、アイドルグループの楽曲がテレビで流行ってても俺はぜんぜん良さがわからなかったんだよね。受け入れられないやという疎外感があったのだけど、それは俺がアイドルグループをまだ沢山は知らないんじゃないかと思ってさ、自分の好きな楽曲を作るグループもあるんじゃないかと思って、探してみたら色々見つけた訳でね。動機って多岐に渡るって報道で聞いたりしないか。これは自分においても当てはまるなと思って、動機は一つではないのだけど、沸点ていうのかな。幾つかの動機が重なってある水準を超えると人は行動に移すんじゃないかって思うんだよね」

とん太は時計を見てはライブに遅れないかと焦り、仕事机の上を片付け、帰る準備をしていた。

「なんかでも俺だったら恥ずかしいから予定あるで隠しちゃうなー」

「それはきっと、アイドルグループを観に行くということが自慢にはできないからなのだろうね。ほら、数吉君の家族とごはんなんですよーと言うのと訳が違うのだろうね。残念だけどさ、俺も他の同僚や後輩社員に話せたかというと誤魔化したかもしれない。数吉くんだからさ」

「そうっすか。なんか嬉しいっすね。あ、じゃあこの日なんかはどうですかね」

「この日ねえ、考えてみるよ」

それじゃあと、声をかけてとん太はオフィスをあとにした。この日、とん太が財布に入れている紙幣は六千円。正直にとん太は思った。

「数吉くんと飲みに行った方が安く済ませるな」

この六千円というお金はなにに換算されるのだろうというと、アイドルとのチェキ代になるのであった。一枚千五百円。つまり四枚で限界になる。とん太が観ているアイドルグループ、タツノオトシゴーズは9人組のグループだった。ライブが終わると、とん太は誰と撮影をして話に行くのか考えるのであった。この代金の1部が各アイドルの収入に繋がるのである。きっちり丸々千五百円とはならず、そのうちの何割かである。だからとん太としては、もっと撮りに行きたいと思ってしまうのだが、そうやって膨れ上がる費用に今度は稼ぎが追いついていかない。結局、毎日、毎度支えるということもまた難しくこれもサラリーマンの悲哀の一種だと、とん太は、思うのであった。この一連の構造そのものが、アイドルグループのライブに行く者とそうでない者に隔たりを置くものでもあると、とん太は思うのだったが、とん太自身はこの構造を知ってしまった以上はこの習慣を変える気にはならなかった。

ライブを終えたあと、とん太はタツノオトシゴーズの、リーダーかなめと撮影をしていた。

「わあ、とん太さん。ありがとう、来てくれたのね」

「やあ、かなめさん。来たよ。あの新曲すごくよかった。かなめさんの歌声とても印象深かったよ」

「ほんとに!あそこの歌パートとても難しいから、まだ練習中なんだけど、もっと上手くなるからまた観に来てね」

「うん、また来るね」

そして撮影スタッフから声がかかった。

「はい、お時間でーす」

とん太は手を振り、会場をあとにする。この日のチェキは他に3名、きっちり財布を空にしてきた。こういうシーンが何度も繰り返されていく。けれども、そこにいるのは映像ではなく、実在する人達の現在の会話である。その場にいるというのは当たり前ではないのだ。特に令和という時代はそれを痛感することが多かった。行動そのものは必ず悔いを伴うのかもしれない。伴うのであれば、悔いなく行動するというのはどういうことなのだろうか。日々悩んでいくとん太にはわからなかったが、悩んでいるから、俺は、存在している。そうだ。人間には存在か死か、これ以外にはないのだ。何れ忘れ去られゆく存在でも、嘗てそこにいたことが知らされない存在でも、存在の向こうで存在することは烏滸がましいことなのである。とん太はライブの帰り道に、アイドルグループのライブ映像を流しながら歩くのだった。映像では、かなめが楽曲を披露する前に名前を言っていた。

「それでは聴いてください。私達タツノオトシゴーズの新曲です。水深ヘクトパスカル」


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