【エッセイ】「シンプル」の良さと難しさの狭間で
はじめに
昨日は、またしても突然の休載、大変申し訳ありませんでした。
先週の突っ走り過ぎの余波がまだあるのかもわかりませんが、或いは、このところ気がつくと激しい眠気に襲われるという、夏バテか熱中症手前かという症状に悩まされており、そうなるともう、とにかく休養を取ること以外に術がありません。
作品を完成させたい気持ちや、職務上の心残り等から一旦すべて離れ、ひたすら体と心、そして頭を休ませる…すると翌日には意のままに全てが動き出す、という具合でございます。
猛暑日続きの中での眠気は、暑さからくる睡眠不足が原因の場合が多いとのことですが、私に関して言えば夜は自然とよく眠れておりますし、夜中に歯が突然痛み出したことはありましたが、一過性のものでしたので、あまり関連性はないでしょう。
それにしても、近年の異常気象による猛暑は油断してはならないことは身を以て体感しておりますので、今後も細心の注意を払ってゆこうと存じます。
また、今週から来週半ばにかけて、夏季休暇に入られる皆さまも多いことと存じますので、その期間中はこれまで通りの更新ペースを続け、その後はしばらく週休二日制を取らせて頂こうかと懸案中です。
詳細が決まりましたら、またこちらでお知ら致しますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
さぁ、本題に入りましょう。
シンプルイズベスト
それは、片仮名表記でも何ら違和感の無いほど、今や日本でも浸透した言い回しかと思われる。
シンプル、とは直訳すると単純な、装飾のない、付加物のない…といった意味になるようだが、その他に「誠実な」という意味も含むという。
シンプルさ=誠実さ、と考えると、なるほど、深く深く腑に落ちるものがある。
生きていると様々な出来事に遭遇し、物事をこなしてゆかねばならない中で、最終的にたどり着くことが多いのが、まさに前述の言い回しだったりすることを考えれば、誠実さ、それがモノをいうのは当然といえば当然かもしれない。
特に私は普段、物を作ったり売ったりという身の上であるが、それをしかと思い知らされる場合もあれば、またある時はやはりここなのだ、と、充足感を得られることもある。
具体的に言えば他との差別化のため、敢えて複雑さを求めてみたり、奇をてらってみたりするものの、そのようなやり方は上手くいく時は行くが、一方で飽きられてしまえば短命に終わり、嫌われれば二度とは見向きもされないというリスクを孕んでもおり、正直、危険な綱渡りである場合も少なくない。
一方で、シンプルなものややり方は、それこそ余計な装飾や複雑さを盛り込まない分、根幹からのレベルの高さが問われるともいえるため、誤魔化しがきかない、という難しさもある。
料理で言えば、主張の強い調味料が加えられたり、具材があれやこれやと多いものに比べ、味付けは塩とお出汁程度で具材も少ないようなものは、素材そのものの味や、調理の過程での細やかなワザが全体の味を決めるので、そのどれかひとつにでも難が生じると、たちまち全体のバランスが崩れ、結局アラが目立つことになってしまう。
たとえば風呂吹き大根や若竹煮、天ぷらあたりがそれにあたるだろうか。
それから、意外なところでは家庭の食卓にもよく並ぶお味噌汁、これも、昆布や鰹、煮干し等のお出汁にお味噌というシンプルな味付けゆえに、使う水の質で容易におかしな味にもなりえるのだ。
子供の頃の記憶だが、作ってくれた親の手前、口に出すことはできなかったものの、大雨が降った次の日の、カルキ強めの水で作られたネギとわかめの味噌汁は、味覚障害にでもなったのかと思うほど不味かった。
シンプルなものほど、ウソや誤魔化しが瞬時に顕になってしまう、まさに"シンプル=誠実"なのである。
大宮西口で佐野ラーメン
今から10年以上前に閉店してしまったが、大宮駅の西口に、佐野ラーメン専門店があった。
今や空前のラーメンブームで、昔ながらのご当地ラーメンから、それに台頭するかの如きまったく新しいスタイルのラーメンが誕生したりとラーメン界は何かと忙しいが、佐野ラーメンは前者であり、かつ安定した人気を誇っている、と言えよう。
それは何も、私が栃木県出身である故の贔屓目ではない。
何故なら佐野ラーメン発祥の佐野市は、栃木県の南端に位置し、隣接する足利市とともに、生活圏や文化圏は群馬県桐生市や太田市あたりと一にしており、県西部である日光市や、県央部である育ちの地とは、縁がそこまで深いわけでもないのである。
実際に私が佐野市で佐野ラーメンを食べたことは、5回あるかないかではないだろうか。
と、そんな個人的な与太話は置いておいて、大宮西口にあった佐野ラーメン店に話を戻そう。
店名は「めんめん」さん。大宮駅西口は再再開発が何度も行なわれているため、今もその区画が残されているかは不明だが、まず、西口に広がるペデストリアンデッキのどこかの階段で、南方面、つまり駅を背にして左手方面の地平に降りる。
そして、新幹線線路の走る高架橋に沿って歩いて行くと、小さな飲食店がひしめき合う何とも趣きのある区画が現れるのだ。
まだ多店舗展開前の日高屋さんもあったその区画の一角に、めんめんさんはあった。
私は、学生時代、大宮駅を乗り換え駅として使っていたため、午後からの講義のみの日は、一旦改札を出て、その近辺の店で昼食を取ってから大学へ向かうことも多かった。
その際に何となく入り、後に卒業までお世話になることとなったのがめんめんさんだった。
恥ずかしながら、初めて入った際には佐野ラーメンの専門店だと気づかず、メニューを見て初めて「何と、佐野ラーメン店とは!」と気づいたが、ランチサービスの半チャーハンセット…確か¥580くらいだったか…それを注文した。
佐野ラーメンとは、基本は鶏ガラ出汁の醤油味、具材はメンマにチャーシュー、ナルト巻き等、まさに至って「シンプル」である。
味噌や塩も存在するが、やはり醤油がダントツである。
そして、ひとつだけ特徴を言えば、麺の太さにバラツキがある、という点である。
ダンゴのような塊が出てきたかと思えば、平打ち麺が出てきたり、或いは超極細麺が現れたり…そこで好みが分かれるといえばそうなのだが、めんめんさんの麺は、そこはあまり主張することなく、全体的に極太縮れ麺だった。
しかし、それでも十分に佐野ラーメンだと感じることができたのだから、出汁やカエシを作る段階で、かなり細かい仕事をしていたのだと思われる。
そして、ランチサービスの半チャーハンは、大きなお玉かお茶碗でギュッと固められた綺麗なドーム型で、崩しながら食べていくと、これで半チャーハンとはサービスが良すぎる!!と驚くほどのボリュームがあった。
このチャーハンがまた、シンプルなのである。卵とネギと刻みナルト巻きを具材とした塩ベースの味付けで、佐野ラーメンとは直接関係は無いが、やはりいくらでも食べられそうなほどに美味だった。
しかも、スタンプカードがあり、10回来店で大盛り無料または餃子一皿という嬉しいサービス、なるほど、私以外の客層は若いサラリーマンの方や作業服姿の若者が多かったわけだ。
私の大のお気に入りとなったそのお店には、友人を何人連れて行ったかわからない。
偶然にも弟も大宮にほど近い学校へ通っていたため、幾度か昼食を共にしたが、1番回数が多かったのは、めんめんさんだったかと思う。
友人の中には「シンプルさ」を「味気なさ」や「物足りなさ」と捉える者もいたが、そこは個人の好みであり感じ方であるから仕方がない。
私も、具沢山な野菜タンメンや、五目ラーメンも好きではあるが、飽きの来ない…という点ではやはりシンプルな方に軍配が上がる。
ちなみに、弟やその友人(やはり血は争えないものである、弟もめんめんさんをいたく気に入り、昼食の約束をした際に学友を連れてきたことがあった)は、やはり「ごく普通のラーメンなのに何杯でもいけそう」と言い、実際に弟は「午後の授業に障るからおやめなさいな」と私が嗜めるのも聞かずに2杯目のラーメンを注文したことがある。
尚、私の台詞は敢えて昭和初期風に訳したが、実際はどんな言葉遣いだったかは秘密である。笑
時は流れ、私が20代半ばくらいの頃、近くまで行く用があったので、まだあるかな、と調べてみたところ、既に閉店しており、何とも寂しい気持ちになったのは忘れられない。
あれほど"シンプルに美味しい"ラーメン屋さんには、以後まだ出会っていない。
結局、シンプルの良さの訳とは
シンプルであり続ける、ということは実はとても難しいのかもしれない。
ぶれることも、誤魔化すことも許されず、ただひたすらに飾らない誠実さを以て伝えたり、作り続ける…これは単純なようで、いや単純だからこそ続けていくことは簡単なことではないのだろう。
今回はたまたま例としてシンプルであるからこそ気に入ったラーメン屋さんの話になったが、それは飲食業界に限ったことではなく、世の中のすべてのものに言えることなのかもしれない。
私の書く文章ひとつ取ってもそうだ。
一文でサラッと書けば良いところを、味を出すために敢えてもう少し膨らませてみたり、この文言は無くても伝わるけれど、意味ありげな雰囲気を匂わすために入れておこう、等、気がつけば、ごった煮状態になっていることもしばしばである。
シンプルに書ければ、と思っても、ついついあれも書きたいこれも書きたい…となってきてしまい、整理する段階になって、余計だと思われる部分を削いだら削いだで、それこそ全体の整合性が取れなくなることに気づき、ああ、また書き直しか、となった事が幾度あるか。
シンプルイズベスト、バット、ザッツベリーベリーハード、である。
と、変なカタカナ英文まで使ってシンプルなものやことを褒め称えておいてなんだが、ラーメン屋さんのくだりで少しだけ触れたとおり、私はシンプルな醤油ラーメンが大好きだが、具沢山な野菜タンメンや五目ラーメンもまた好きなのである。
毎回食べたら飽きるかもしれない、ただ、時々無性に食べたくなる…。
それが変わり種や華やかなものの良さであり、ある意味、それらが存在していることで、シンプルなものの良さが引き立つのだ。
引き立て役、というと悪く言っているかのようにも聞こえかねないが、ある意味、それぞれがそれぞれを引き立て合っているともいえるのだから、そこまで悪い話でもない気もする。
シンプルなものがあるから、冒険したくなる。
冒険した後は、シンプルに立ち返り、ホッとする。
つまり、シンプルイズベスト、といえども、ノットシンプルであるものがあってこそのベストなのであろう。
何だか身も蓋もない着地点になってしまった気がしないでもないが、今回はここまで辿り着くまでが、正直なところかなりしんどかった。
何故なら、シンプルであることの良さの訳、という点では、どうにもひとつに絞りきるには無理があるからである。
シンプルであることの良さを突き詰めていくとシンプルにはいかないとは、何とも不思議で皮肉な話ではあるが、とりあえず私は、この文を書き終わったら、この、どシンプルなチョコソフトを食べることにする。
チョコすぎず、ミルクすぎず、ベタベタに甘すぎず、ちょうどよくシンプルに美味しい。
シンプル好きならバニラだろう、とお思いの方もいらっしゃるであろうが、私はアイス
クリームといったらチョコ派なのである。
そして、この状態の写真が載っているということは、もう食べてるじゃん、と思ったそこのあなた、正解。笑
しかし、ひとつ謎を残したままだったことにあなたはお気づきだろうか…私も今しがた気づいのだが。
シンプル=誠実、とすると、ノットシンプルは不誠実、ということになってしまいそうなものである。
果たして本当にそうなのだろうか…否、強ちそういうわけでもないと、私は考える。
そして、そこは「答えがひとつに決まっていないから国語は嫌いだ!」という、数学好きの友人の言葉を借りて、謎解きに代えさせて頂く。
完
※口絵写真は佐野ラーメンではありません。よく行く中華屋さんのランチについてくるミニラーメンです。笑