大したことが「ある」とか「ない」とか

先日、あるドラマを見ていたらこんなシーンがあった。

男性:そんなの大したないよ!気にしなくていい!
女性:私にとっては、大したことだったんだけどなぁ…。

僕は、このやり取りが心に引っかかった。なぜなら、これまでの生活の中で、同じようなやり取りを何度か経験したことがあるからだ。大抵は「ごめん」の一言で済むかもしれないが、場合によっては、こんな些細なやり取りがきっかけで関係が悪化し、最悪の場合、縁が切れてしまうこともあるかもしれない。

そして、悩ましいのは、「大したことないよ!」の一言は、必ずしも悪気があって発せられた言葉ではないということ。言った本人は、本気で「大したことない」と思っているかもしれないし、相手を勇気づけたり、励まそうとして言ったのかもしれない。

今日はこの、【大したことが「ある」とか「ない」とか】という言葉、コミュニケーションについて考えたいと思う。

考える前に、僕の人とコミュ二ケーションを取る際の基本的なスタンスを明らかにしておきたい。僕は、人とはできるだけわかり合いたいと思っている。何かの縁があって出会ったなら、できるだけいい関係を築きたいと思っている。それ故に、些細なコミュニケーションのズレで、わかり合えなかったり、いい関係が築けなかったりすると、結構落ち込んでしまう。これからの自分を救うためにも、また、同じように悩む誰かのためにも、この現象について考えてみたいと思った。(ここからは、ですます調で書きます)

▼僕自身の実体験

まずは、これまで僕の周りで起こった、「大したことないよ」と言ったり言わなかったりしたエピソードについて書きたいと思います。

①子どもが転んでケガをし、泣き出してしまった
自分の子どもであれ、街で見かけた子どもであれ、誰もが1度は遭遇したことはあるでしょう。この時に、「痛かったねー」と、子どもの痛みに共感を示し、泣き止むのをゆっくりと待つ人もいれば、「大したケガじゃないでしょ」「泣かないの!」と声をかける人もいます。後者の対応をする理由は、子どもケガなんて、大人の目から見れば大したことではないから。なのだと思います。ただこの場合は、別の理由も考えられます。それは、子どもが泣いた場所が、人が多い所だった場合。保護者の中に「周りの人に迷惑をかけたくない」「恥ずかしい思いをしたくない」という心理が働き、その場を早く落ち着かせたいがための対応だったりもします。

②プロジェクトのマネジメント
僕がリーダーとして率いているプロジェクトのメンバーが、自身の能力不足や、メンバーとの人間関係などで悩んでしまった時、僕は大抵「そんなの大したことない」と思ってしまいます。その理由は、僕自身の過去の経験と照らし合わせてみた時に、大した悩みじゃないなと思えることが多いからです。一方で、別の理由もあります。それはプロジェクトの納期など、何かしらの期限が迫っている時に「今悩んでいる場合じゃないよー」と思ってしまう場合です。この時に出る「大したことない」という言葉には、「早く先に進みたい。今進まないと、後々面倒くさくなるからやめてー」という気持ちが裏に隠れています。相手の状況を待つことと、プロジェクトを先に進めることとの間での葛藤には、いつも悩まされています。

③受験に失敗した生徒へのフォロー
これは、学生時代の塾講師や、今の仕事を通して、何度も経験してきました。この場合、僕は生徒の悩みを「大したことない」と思ったことは一切ありません。なぜなら、僕自身が過去に大学受験に失敗した経験があるからです。その時の苦しさは、あまり思い出したくありません。だからこそ、悩みに共感できる。「そんなの大したことないよ」なんて発想には、到底なりません。就職活動で悩む学生に対してだって、同じような経験があるので、対応も自然と同じになります。

④サプライズの失敗
これは、過去の僕の誕生日の話です。友人がサプライズでケーキを用意しようとしてくれていたのだけど、その日はたまたまケーキ屋さんが定休日。とても落ち込んだ表情で「ごめんねー」と言われました。僕は励ます意味で「大したことないから!」「全然大丈夫、気にしないでー!」と伝えたけど、浮かない表情でした。友人は「サプライズ」というのをとても大切にしている子で、その子にとってはとても「大したこと」だったんだと、後になって気が付きました。

ここまで挙げた4つのエピソードから、「大したことないよ!」と言ってしまう人の状況を考察していきたいと思います。

▼考察

それぞれのエピソードを見ていくと、「大したことないよ!」と言ってしまうか、言わないかには

・経験への共感ができるかできないか

・経験への共感とは別の理由(外的要因)があるかないか

の2つが関係してくるのではないかと思いました。

・経験への共感ができるかできないか
→これは、特に上記③に関係します。生徒の経験と、僕の過去の経験が重なるために、強く共感することができています。そのため「大したことないよ!」とは絶対に言いません。一方で②の場合だと、僕の過去の経験から見て共感することができないので、「大したことないよ!」と思ってしまいます。

・経験への共感とは別の理由(外的要因)があるかないか
→これは上記①、②の「別の理由」に関連します。保護者として「恥ずかしい思いをしたくない」だったり、「プロジェクトが遅れると面倒くさくなる」だったり、経験への共感とは別の外的要因によって、「大したことないから早く(泣きやめ)(前に進むぞ)」という思いが引き起こされます。④も、「サプライズ」という行為を、友人がどれくらい大切にしているかよりも、「落ち込んでいる友人を励ましたい」といういう、自分側の事情が絡んでいるの、ここに当てはまるでしょう。

図にするとこんな感じです。笑

もちろんこの図は、僕の主観でしかないので、完全体だとは思っていません。そこはお手柔らかに。

「大したことないよ!」と言ってしまう側の状況

・第一象限(経験への共感:できる 外的要因:ない)
ここは、もっとも分かりあえる可能性が高く、安心できる領域です。もし、この領域から「大したことないよ」という言葉が出てくるとしたら、相手のことを丸ごと受け入れた上での、愛情のこもったものになるので、問題はありません。

・第二象限(経験への共感:できない 外的要因:ない)
ここは、過去の経験からどうしても共感することができず「大したことないよ」と言ってしまう領域です。たとえ、じっくりと話を聴くことができたとしても、完全に分かり合うことはできません。

・第三象限(経験への共感:できない 外的要因:ある)
ここは、「大したことないよ!」という言葉が、1番出やすい領域です。この領域の人とは完全にわかり合えないですね。

・第四象限(経験への共感:できる 外的要因:ある)
ここは、「大したことないよ!」と言ってしまう側の人が、「理解はできるけど、そうは言ってられない状況があるんだよ…」「なんであの時、大したことないなんて言っちゃんたんだろう」と、葛藤したり、後から後悔しやすい領域ではないでしょうか。

▼ベクトルの向きが自分か相手か

ここまで、「大したことないよ!」と言ってしまう状況を、エピソードとマトリックスを見ながら考察してきました。

まとめると、相手との関係性に悪い影響を及ぼす「大したことないよ!」は、自分にベクトルが向いている時に出てしまうということが分かります。相手の経験よりも自分の過去の経験を優先してしまうことや、「恥ずかしい思いをしたくない」「困りたくない」「自分がいい思いをしたい」などという気持ちも全部、ベクトルが自分を向いている状態です。そのため、相手と良好な関係を築きたい場合は、いかにベクトルを相手に向けて考えるか、そして、考えるための余裕をつくれるかということが大切になってきます。これらをちょっと意識するだけでも、優しい関係を築けるのではないでしょうか。とはいえ、経験や状況によっては、つい、間違ってしまうこともあるかもしれません。だからこそ、

▼せめて、自覚をする努力をする

僕も、これまで何度も失敗をしてきました。その度に、自分を振り返り、原因を言葉にし、次同じ失敗をしないように務めてきました。

ここでいう、自覚をするとは、「自分の何が悪かったのか、その時の自分がどんな状況だったのかを、正しく理解すること」だと思います。そうすれば、次同じような状況に立った時に、冷静に対処できます。たとえ間違ってしまっても、謝ることができます。後戻りできなくなる前に、最悪の状況は防ぐことはできると思います。

さて、ここまでは、「大したことない!」と言ってしまう側に視点を当てて考えてきましたが、最後に書きたいことがあります。

▼コミュニケーションはお互いの問題である

ベクトルを相手に向けるという意識は、「大したことがない!」と言ってしまう側だけでなく、そのコミュニケーションの当事者である両者が持てたら、1番理想なのだと思います。もし相手に、無自覚な「大したことない!」を言われてしまった場合、ひと呼吸おいてからでいいので、「どうしてあの人は、大したことないよ!って言ったんだろう?」と考えられたらいいと思います。その人の、過去の経験が言わせているのか?それとも、今の状況が言わせているのか?ここに視点が行けば、すぐに分かりあえなくても、分かり合えるまで、丁寧に対話を重ねることができると思います。また、上記の「自覚する」という行為は、いずれ「相手の状況にも気付ける」ということに繋がってきます。自分の中に相手を見出し、相手の中に自分を見い出すという感覚が分かってくると、コミュニケーションが変わってくると思います。

今日は、これからの自分のために、そして、今どこかで、些細なコミュニケーションのズレで悩んでいる誰かのために。書かせてもらいました。

ありがとうございました。

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