FIREはできなかったけど
私は7年前、53歳でサラリーマン生活を卒業し、フリーランスになったと同時にプチリタイア宣言した。宣言したところで誰も聞いてなかったが、自分で自分のシフトダウンを確認するため、そういうことにした。
といっても、あくまで「プチ」リタイア。もしその時点で一生かかっても使いきれないほどの資産が形成できていたならば、堂々とFIREを宣言できたのだが、残念ながらそこまでの蓄えはなかった。家のローンは終わっているし、扶養家族もいないので、もはやフルタイムでガシガシ働く必要はない(はず)。けど今いきなり無収入になったら老後破綻へまっしぐら。なので日々の食費と光熱費くらいはちゃんと稼ごうね、ワタシーー。プチという形容詞にはそんな中途半端な達成感と不安感を同時に込めた。
以来、現在まで私の生活は複数の収入源を組み合わせることで成り立っている。その内訳は、まず不労所得(不動産と配当)と労働所得。そして労働の内訳は、いちおう本業の受託仕事(ライティング・翻訳・広報支援)と週1〜2日あるいは短期間限定のアルバイト(いろいろ)だ。
どれか一つだけでは全然足りないし、全部合わせたって大した額ではない。が、さほど贅沢をしなければ年間で収支トントンくらいの合計額にはなる。
不労所得だけで生活できたらさぞや楽だろうし、ライター業だけで十分な収入があれば自己満足度は最高だろうとは思う。でも、今のこのバランスが私にはちょうどいい気がしている。卵を一つのカゴに盛るな、というのは投資の話だけどこれだって似たようなものだ。何事も「一つ」に頼りすぎるといろんな意味で安定が悪い。本業を通じてまだ少しは他人様の役に立ちたい半面、そこまで貪欲に営業しなくていいのは幸いだ。
かくいう私は東京から福島に移り住んで10年になる。地方暮らしにお金がかからないというのは必ずしも正しくないが、確かにお金のかかる遊び方はしなくなった(もちろん加齢もその一因)。東京に住んでいたらまた別の形のプチリタイアがあったろうなと思いつつ、今のところは現状に満足している。
ちなみに、1日単位の農業アルバイトの機会が豊富なのも地方の農業県ならではの特典だと思う。私のようなフリーランスは、といっても千差万別だけど少なくとも私の場合は、どうしても仕事の平準化が難しい。予定がズレて急に1日2日ヒマになったりすることはままある。レギュラーでやっているアルバイトは働く日があらかじめ決まっており、急にシフトに入れるわけではない。そういうとき専用マッチングサイトを使えば、農繁期なら今日の明日でも人手が欲しい農家さんに手伝いに行くことができるのだ。
農作業は目の前の植物にひたすら集中すればいい。文字通り無心になれる。終わって腕や腰や首が痛くなっても気分は爽快。一日中パソコンに向かっていた日より、一日中肉体労働した日のほうが確実にビールはおいしい。そうした肉体労働の経験が回りまわって本業仕事の肥やしになっている感覚も、確実にある。
ということで、プチリタイア以降、収入源にも仕事の種類にもダイバーシティは大切だとつくづく感じるところだ。って私はもしかして最近流行りの副業兼業を7年前から実践しているんじゃないかしらん?いや、これ副業じゃなく複業、いわゆるポートフォリオワーカーってやつじゃね?なんかカッコ良くね?
などと思ってここまで長々と呟いてみたが、、、誰も聞いてませんね。失礼しました。