誰一人取り残さない、というならば
徒歩5分で行けた最寄りのスーパーが閉店してしまったので、徒歩15分の別のスーパーに行く。
そこは少し前から有人レジにセルフ精算機が導入されていたのだが、今日久しぶりに行ってみたら半分以上が無人のセルフレジに変更されていた。前と同じ有人レジも2つくらい残っていたが、なぜかそこに店員の姿はない。すべての客がセルフレジに誘導されていた。導入からまだ間もないらしく、セルフコーナーのほうには店員が2人ほど張り付いている。でも、それもそのうち1人以下に減るのだろう。私の目の前で、カートを押したおじいちゃんが「年寄にはつらいなあ」と呟いてよろよろとセルフレジに向かっていった。
世の流れには高齢者だって慣れるしかない、とはいえ年齢とともに新しいことの習得はどんどん難しくなっていく。おじいちゃん、これを嫌がって買い物の頻度が減り、ますます足が弱ってしまわないかしらん…… などと思ってるうちに、私もセルフに誘導された。
私は幸いセルフレジ自体に戸惑うことはないけれど、ある商品のバーコードを誤って2回読み込んでしまい、1つを削除してもらうのに店員を呼ばなければならなかった(客が自分では削除できない仕様)。これ、呼んでも来る人がいなくなったらどうするんだろうねえ。他のサービス業ではすでに有人と無人で料金が違うものもあるが、ついにスーパーでも人間に対応してもらうには別料金を払う日も近いのかもしれない。
少し前、近所の診療所を受診したときは、待合室で杖をついたおじいちゃんが「こんど保険証がなくなるんだってなあ、困ったなあ……」と独り言を繰り返していた。そりゃ不安だろう。マイナカードはなんとか作れたとしても、スマホからマイナポータルを開いて……などと言われてもおじいちゃんはきっとスマホもパソコンも触ったことがない。薬局やコンビニでも登録できるそうだが、ガイドする人がいなければたぶん無理だ。サポートしてくれるご家族はいるのかしらん…
世界中でヒトは増え続けるが、日本という局所ではヒトがいなくなる。ヒトとではなく機械やコンピュータとうまくコミュニケーションできない日本人は、早晩、事実上の二級市民扱いになっていくのだろう。私がこのおじいちゃんたちの歳になる頃には、どんなテクノロジーを使いこなすのが一級市民の条件になっているのか。今の彼らはきっと20年後の自分の姿だ。
SDGsの謳い文句は「誰一人取り残さない」。だけど、ときどきなんだかとってもむなしく響く。