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家に対する思いって複雑だ

ネットで、海外のセレブや著名インテリアデザイナーの「お宅拝見」動画をときどき視聴する。ニューヨークやロンドン市街の豪華アパートメントもあるけど、大抵はカリフォルニアとかアリゾナとか、たまにバリとかのプール付き・おっきな庭付き豪邸だ。あまりに世界が違いすぎて憧れる気も起きない。インテリアの参考に、なんていうのすら憚られる。こんな豪邸維持するのにどんだけ電気使うんだよ、などと余計な腹を立てないよう気をつけつつ、芸術品鑑賞と同じく、いわゆる目の保養として観ている。

で、おもしろいなと思うのは、どれだけ立派なお家でも日本ではほぼデフォルトのシャワートイレが滅多にないこと。ごく稀に「これがジャパニーズトイレだ」といってフタまで自動開閉するTOTO製品を自慢するオーナーもいるが、海外セレブの間ではそういう趣味はあくまで例外的みたいだ。

もう一つ、いつも感心するのは、欧米のそうした豪邸が大抵、新築ではなく中古のリノベーションであることだ。1980年代築なんて新しい方で、70年代、60年代以前もザラ。19世紀の建物というお城のようなお宅も見たことがある。新築信仰の強い日本と違い、欧米では古い建物ほど価値があるというのは本当なんだな、と思わされる。

もっとも個別物件ごとに見れば、ただ古ければいいというものでもなく、ロケーションや管理状態などによって実際の価値は様々なんじゃないかと思う。なにより、新築並み以上の改修費用をかけなければ当然あんなゴージャスな空間にはならないはずだ。日本でも「ただの古い家」が「素敵な古民家」になるにはかなりの投資が必要だものね。

さて、我が実家は昭和52(1977)年築の「ただの古い家」である。これでも建てた当時はいろんなところにこだわりが詰まった、両親自慢の注文住宅だった。父も母もまだ40そこそこで、私は中1、弟は小4。父が営む診療所と奥でつながっており、存命だった祖母も合わせて一家5人のための理想の家だった。

以来、それなりに改築や修繕を繰り返しながら半世紀近く。今となっては広すぎるその家に、87歳になる要介護の母が一人で住む。昼は診療所を継いだ弟が通ってくるのでさほど心配しなくてよいのは有難いが、その息子たちはとうとう父親の仕事を継がないことが確定したようだ。私はといえば、月に一度様子を見に帰り、そのたびに母も家も順調に歳を重ねていくのを確認している。

この家に人が暮らすのはあとどれくらいだろうか。この家が私たち家族にとっての役目を終えるときが、いつかはやってくる。個人的には家を出てからの年月のほうがぜんぜん長いから大した思い入れはないつもりでいたが、最近は、この家が取り壊されて更地になったらどんな気分になるだろう・・・などと変な想像を巡らしたりする。

あるいは、取り壊さずに「素敵な古民家」に生まれ変わらせてくれる投資家がいるかしらん。正真正銘、いま流行りの昭和レトロ物件。古くても3か所あるトイレは全部ウォシュレット付いてますけどーー。

梨の果樹園と初夏の空

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