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敢えて大きなことを言って自らを奮い立たせる長宗我部元親の逸話
こんにちは、両兵衛です。
ここでは戦国逸話から現代の私たちにも通じるなと感じたことを取り上げています。
今回は四国は土佐の長宗我部元親の逸話です。元親は幼少のころから長身だった一方で、色白で大人しく軟弱に見られており「姫若子(ひめわこ)」と周りから揶揄されていました。しかし初陣の活躍により「鬼若子」と称賛され、土佐一国の統一から阿波・讃岐・伊予へ侵攻し四国統一へと突き進んでいきます。
元親は讃岐平野を一望できる千手院雲辺寺という山寺を訪れた。
讃岐進出を目指す元親に住職はこう諭した。
「わずか七郡の小国(土佐)の軍勢で、十一郡の大国(讃岐)を攻略せんとするは、小さな鑵子(かんす:茶釜のこと)の蓋(ふた)で水桶を覆うようなもの」
それに対し元親はこう答えたという。
「我が鑵子の蓋は名人の鋳たるもの」
自分の茶釜の蓋は名人が作ったものだから、水桶でさえ覆うことができる。つまり自分なら小国土佐の軍勢で大国讃岐を平定することができると。
元親の言葉は傲慢ととることもできますが、自分ならできると、自らを叱咤激励し奮い立たせているのではないでしょうか。
仕事でもなんでも目標を決めてやろうとしたのに、自信がなくつい躊躇してしまうことがあります。であれば、仮に今は大言壮語であったとしても、元親のように敢えて大きなことを言うことで実行に移せることもあるのではないでしょうか。
この後、土佐の小領主であった元親の鑵子の蓋は、ほぼ四国全土を覆うほどに大きなものとなります。