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刀の目利きから人の目利きについて考えさせられた真田幸村の逸話

こんにちは、両兵衛です。
ここでは現代の私たちにも通じるなと感じた戦国逸話を取り上げています。

江戸時代以降に講談や小説に取り上げられ、猿飛佐助や霧隠才蔵といった真田十勇士を率いて徳川に挑む武将として広く知られるようになったのが真田幸村です。

最近では大河ドラマ「真田丸」の主人公として取り上げられましたが、幸村は実名を信繁といいました。「幸村」という名前は、実は本人が名乗ったという資料は残っていないようです。後世の講談などで語られたものが一般的になったといわれています。

幸村最大の見せ場といえば、豊臣と徳川の最終決戦である大坂冬の陣、夏の陣です。豊臣方として冬の陣では真田丸で見事に徳川軍を撃退し、夏の陣では徳川本陣に突撃し家康が窮地に追い込まれるほどの働きをしたことで知られます。

今回は、関ヶ原の戦いの際に信州上田城で徳川軍と戦った幸村が、紀州九度山へ流罪となった後、大阪の陣で豊臣方に味方するため九度山を脱出して大坂城へ駆けつけたときの逸話を取り上げます。

大坂冬の陣直前、大坂方の大野治長の屋敷に伝心月叟(でんしんげっそう)と名乗る山伏(山で修行する僧)が訪れた。

「大峯の山伏です。ご祈祷の巻数(かんじゅ:経文などを記した文書)を差し上げるために拝謁をお願いしたい」と案内を求めた。

あいにく治長は登城中だったので、番所の脇に通され、そこで待たせることになった。

そこには若侍十人ほどが集まっており、刀の目利き(鑑定)を始めた。そのうち一人が月叟に「貴殿の刀をお見せください」と言うと、

月叟は「山伏の刀はただ犬を脅かすためのもので、お目にかけるほどでもありませんが」と言いつつ差し出すと、

姿形はもとより、刃の匂いといい光りといい、何とも言えず、「さてさてまことに見事なもの」と誉めた。

さらに脇差も同様で、中子(なかご:刀身の柄に被われる部分。茎)の銘を見てみると、脇差は貞宗、刀は正宗であった。皆が「これはただ者ではない」と騒いでいるところに治長が帰ってきた。

治長は月叟を見るや両手をついて畏まり、丁重な挨拶をした上で使いを城へ走らせ、月叟を書院に招じてたいそう馳走した。

やがて速水甲斐守が使として訪れ、黄金三百枚、銀三十貫を秀頼公から賜る旨を告げた。

治長の家の者はこの時初めて、「この山伏は真田幸村公だ」と気付いたという。

その後、幸村が彼らに会ったとき、「刀の目利きの腕は上がったか」とたずねたので、皆赤面したという。

初対面の人に対して、この人はどんな人だろうという目利きというのは簡単じゃないです。

スーツを着て胸にバッチを付け弁護士と書いた名刺を差し出してお年寄りから、孫が起こした事故の示談金を預かりにやってきた男は詐欺師かもしれない。

金髪でやる気なさそうにレジ打ちするコンビニ店員のお兄さんが、携帯で話しながらATM操作で困っているお年寄りに声を掛けたのは、特殊詐欺に遭うのを未然に防ごうとしたからかもしれない。

人は見た目じゃないとわかっていても、最初は見た目からこの人はきっとこういう人なんじゃなかろうかという思い込みから入ります。

そこから話す内容や振る舞いを観察して軌道修正することになるんでしょうけど、若侍たちのように恥ずかしい目にあいながら経験して覚えていくことなんだろうなと。

幸村が若侍たちを試すような感じになっていますが、試されているということは期待されているってことだよ、と赤面している若侍たちに声を掛けてあげたくなった逸話です。


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