仕事を任せるのなら責任と権利は表裏一体だという柴田勝家の逸話
こんにちは、両兵衛です。
今回登場してもらう武将は柴田勝家です。
勝家は信長家臣団の中で筆頭家老といえる立場にあり、越前の北ノ庄城(福井市)を居城として北陸方面軍司令官として活躍しました。
その肖像画は髭もじゃで猛将という風貌です。
昔、私が福井市に住んでいたころ、たしかゴールデンウイーク頃だったと思いますが、時代行列のあるお祭りがありました。毎年いろんな俳優さんが柴田勝家に扮して馬で市街地を練り歩くのですが、今でもあるのでしょうか。
さて、今回取り上げる逸話は「名将言行録」という逸話集にある勝家と信長のやり取りです。
勝家はあるとき、信長から先陣の大将を命ぜられたが、一度はこれを辞退した。しかし、結局は受けざるをえず、浮かぬ顔をして退出した。
城下でたまたま信長直属の士が勝家にぶつかり、挨拶もせず通り過ぎようとした。勝家がその者の無礼を責めて切って捨ててしまった。
このことを聞いて非常に怒った信長に勝家は慎んで言った。
「先ほど役を強くご辞退したのは、理由もなくお断りしたのではありません。先陣の大将たる者は、無礼者を切り捨てるほどの威権がなければ務めることはできません。いかがでしょうか」
これを聞いた信長は返すことばもなかった。
勝家としては、相応の指揮命令権をくれないなら大将なんてやりませんよ。だから最初に断ったじゃないですかということでしょうね。ここまで信長にもの申せるのは勝家くらいではないでしょうか。
人に仕事を任せるときに、責任ばかりを負わせるのではなく、同時に権利を与えなければならないというのは今でも同じことがいえますね。
本能寺の変で信長が斃れた後、羽柴秀吉による織田家乗っ取りが進んでいきます。勝家は懸命にこれに抵抗しますが、賤ケ岳の戦いに敗れてしまいます。北ノ庄城ともに最期を迎えるまで織田家に尽くした武将でした。
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