他人の幸せは蜜の味:サラリーマンが幸せになる方法 その38
これは、サラリーマンが幸せになるために「ありたい自分( being )を軸に持ち、ありたい自分を良好な状態( well-being )にし続けること」について書かれた note です。
他人の不幸は蜜の味。
良く言われますが、個人的にはすごく違和感があります。おそらく自分自身が幸せなら他人の不幸は喜べないと私は思うのです。だから「幸せだけど他人の不幸は蜜の味」という人はどんな状態なのか?そして「他人の幸せが蜜の味」となる生き方こそが幸せの本質だということについて考えてみます。
well-being の条件
well-being とは良い状態が長く続くことと定義されています。古くはWHOが「身体的、精神的、社会的に良好な状態にあること」を健康と呼び、それが長く続くことを well-being と呼びました。
その後の研究により well-being も主観的( subjective )と心理的( phycological )の2つに分けられるようになりました。
さらに心理的 well-being は6つの要素からなります。
① 人格的成長
② 人生における目的
③ 自律性
④ 環境制御力
⑤ 自己受容
⑥ 積極的な他者関係
WHOのいう「社会的に良好」とは他者との関係性において成り立ちます。つまり人の幸せは、他者との関係性抜きには実現しない、ということです。
ではどんな関係性が大切なのでしょうか。
積極的な他者との関係
人間は社会的動物です。
簡単に言うと、群れを作って集団で生きるように進化した生き物です。他者との関係性の中でしか生きられません。つまり幸せも他者との関係性抜きには語れないってことですね。
そんな他者との関係を心理的 well-being では
「温かく、信頼できる他者関係を築いているという感覚」
が必要としています。
これ分かりますよね。
他者との対立や軋轢から well-being が得られるという感覚はないと思います。温かい、すなわち親密で共感し合い心安らぐ関係性。信頼、すなわち互いに持ちつ持たれつの人間関係。こうした人間関係の質と量が、well-being である秘訣の一つなんです。
そして積極的という要素。
これは何もお節介を焼くという意味ではなく、能動的に温かく信頼できる関係を築くと言うことだと思います。幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだよ。ですね。
さらに積極的な他者との関係の中で私が最も好きな要素。
他者の幸せに関心がある
これが本稿の本題です。
他人の不幸 not equal 自分の幸せ
さて冒頭の「他人の不幸は蜜の味」。
これがなぜ成り立つのか考えてみます。
他人の不幸で、愉快な気分になる、または気が晴れる、という感覚だと思います。これって自分の幸せを味わっている状態とは言えないですよね。自分の現状に不平不満があるから、他人がその自分の状態と同等、またはもっと残念な事態になっているとことで自身の惨めさを慰めているのだと私は思います。
しかし不幸じゃないと自覚しているのに、同様に他人の不幸を喜ぶ人もいると思います。これはどんな心理なのでしょうか。
おそらく勝ち負けで幸福を測っているのだと思います。
あいつより稼いでいる。
あいつより自慢できるパートナーがいる。
あいつよりランクのいい大学出身だ。
あいつより名の知れた会社に就職した。
他人とのパラメーターの比較で自分の価値を測っていると言い換えてもいいでしょう。つまり基準が自分の外にあるってことです。常に相対的なランキングのポジショニングを意識し、そのポジションがすなわち自分の価値だと考えているのではないでしょうか。
だからランキングが優位になる他人の不幸を喜び、ポジションを維持できている事で愉悦に浸れるのではないか、と思うのです。これはもしかしたら快楽なのかも知れませんが、幸福とは対極にある心理です。
先に書いたように well-being では他者との関係が温かく信頼できることを要素としています。他人の不幸を喜んでいる限り、幸福な状態とは言い難いのだと私は考えています。
「そこ」に幸せはない
では、他人の幸福を喜ぶ、という生き方。
既に実践している、むしろ自然とそうなっている人の方が多いと思います。しかし中々そうしたくてもできない。いつもは喜べるのに今はダメ。そんな人もいると思います。私だって時々そうです。
そんな人、そんな時に、「ポジティブな人間関係は大切だよ」と伝えても響かないと思います。わかってるよと。でもできないんだよと。
もしそうなら思い出してほしいのです。
先に書いたように、あなたは他人との比較による相対的な価値観で自分を評価していると気付いてください。
「そこ」に幸せはありません。
だからもし、あなたがやっかみや嫉妬心にかられ他人の幸せを喜べなくなっていたら「かつて他人の幸せに関心をもってていた頃の自分」を思い出してみましょう。ジャーナリングとか感情日記などで、日々、どのような時に他人の幸せを願ったか、嬉しく感じたかを書いておくといいですね。その際は振り返れるようにタグ付けしておくと便利です。
もし仮に、本当に他人の幸せに関心がなく喜べない、という人がいたら少し考えてみて下さい。本当にそうでしょうか?
子供時代に大切だった人はいませんか?
ご両親。兄弟姉妹。おじいちゃん、おばあちゃん。親友。等々。
その人達は、あなたの幸せをどう感じるでしょうか?あなたはその人達の幸せをどう感じるでしょうか?きっと想像は難しくないですよね。
その感覚を広げていけばいいのです。
積極的に。
心から喜ぼう
私が人の幸福を心から喜ぶ、ということを明確に意識したのは子どもをもってからでした。40歳のときなので凄く遅いですね。子どもを授かったとたん、他人の幸せが気になりだしました。
何故かというと、その時の自分自身が幸せと不幸せを併せ持つ、とても不思議な感覚だったからだと思います。子どもは可愛く凄く幸せでした。しかし反面、その子の世話(と妻のケア)に昼夜を問わず時間と気力体力が費やされ、自分自身を失いかけていました。他の人は大丈夫か?と思ったのです。
だから直ぐに自社で働き方改革の活動を始めました。
同僚や後輩に、子どもが産まれる前から備えないと(制度やマインド)、子どもが産まれてから始めようとしても遅いよ!というメッセージを伝えたかったからです。その活動の仲間であり上司の人が、自社で最初の男性育休を取得した時、我が事のように嬉しくなったことを覚えています。
働き方改革の活動の影響でこんなメリットがあった。こうしたポジティブな心持になった。こうしたフィードバックは、仕事を含むそれまでのどんな活動でも得られなかった喜びを得られたのです。
ああこれが well-being だなと今になって感じるのでした。
まとめ
1.積極的な他者関係が well-being に不可欠
2.他者の不幸を喜ぶ時は他人軸で生きている時
3.他者との比較には幸福はない
と言っても、他人の不幸を喜ぶ人には、この文章は届かないだろうなという感覚はあります。だから喜べているけど、そうやじゃない時もある、という人のヒントになればと考えています。
最後に、2021年年初に健康社会学者の河合薫さんがTVでご紹介された、心理的 well-being を確立したキャロル・リフさんの言葉で締めます。
不安なときにこそ、『こういう人生でありたい』『こういう自分でいたい』という崇高な問いを何度も繰り返す。具体的には、『人生における目的』や『自分が大切に思う人』を明確にして、『自分の気持ち』や『決断』を信じた人ほど、充足感のある人生を送れる
ベクトルは自分から大切に思う人。
受け身じゃなくて積極的。
幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだよ。です。
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