普通力:サラリーマンが幸せになる方法 その50
これは、サラリーマンが幸せになるために「ありたい自分( being )を軸に持ち、ありたい自分を良好な状態( well-being )にし続けること」について書かれた note です。
「私なんか全然普通です」
こんなセリフよく聞きますよね。これ、全然謙遜になってないと思っています。なぜなら普通って実は凄いんですよ。普通は well-being のど真ん中だと考えています。
そこで今回は「凄い普通」について。
そもそも well-being とは
当コラムでは well-being について49回書いてきました。しかし、そもそもとらえどころのない well-being とは何か。50回目にして振り返ってみます。
まずとらえどころのない概念を理解するためには、反対の概念をイメージすると分かりやすいと思います。そこで well-being ではない状態とはにかを考えてみましょう。
■ well-being ではない状態5項目
1.身体が良好ではない。病気や怪我、障碍を不幸に感じている。
2.精神が良好ではない。躁鬱または極度のストレス下にいる。
3.社会から孤立している。疎外感を感じている。
4.経済的に困窮している。または維持するのに奔走し余裕がない。
5.望まぬ他者支援のために自分の人生を生きられない。
こんな感じでしょうか。
時々 well-being =幸福・福祉、などの訳をみますが、上記の状態を考えるとそれだけでは表現できないですよね。
次に上記5つの反対の well-being な状態を考えてみます。
■ well-being な状態5項目
1.身体が良好。または病気・怪我・障碍を不幸に感じていない。
2.精神が良好。おだやか、またはいきいきしている。
3.孤立、疎外感を感じていない。
4.経済的に困っていない。またその維持に疲れ切っていない。
5.自分の人生を生きられている。過度に依存されていない。
こうした状態は well-being と言って問題なさそうです。この5つの状態をどう感じるでしょうか。
「普通」ですよね?
そう普通なんです。
バリバリ働いて社会的に名声を得て、大金を稼ぎだし、異性にもてて、健康維持にサプリを大量投与し、自分勝手に思うがまま生きている、とかのアッパーサイドのことではないんです。こうした価値観を否定しませんが、well-being とはその状態ではないと思っています。
ウェルネス( wellness )と似ていると感じた人もいるかも知れません。well-being とは心身および社会的に満たされた状態であり、wellness はより心身の健康側に寄った概念で、well-beig を目指している状態と言われています。
wellness であり続けることのゴールが well-being という訳です。
普通である奇跡
さて well-being な状態5項目を見て「こんなの普通じゃない」と感じた方もいるかも知れません。身体が超絶健康でもなく、鋼の精神でもなく、大金持ちでもなく、立派な名声を得ている訳でもない。でもその状態でいることが難しいと感じたのではないでしょうか。
私も「普通」とは普通じゃないと思うのです。
奇跡的な幸運のもとに成り立っていると私は考えています。「サラリーマンが幸せになる方法 その5」にも普通の奇跡について書きました。
普通で良かった。
普通って幸せだなと心の底から感じています。
出世すること。
大金を稼ぐこと。
人脈を数千人〜数万人と広げていくこと。
これらと普通は両立できます。
しかし、普通を犠牲にして無理をしているのだとしたらお勧めしません。出世のために無理して健康を壊す。大金を稼ぐために人間関係を犠牲にする。人脈を重視するあまり身内や家族を蔑ろにする。こうした生き方をしていると、いずれ気づく事になると思います。いつの間にか失った大切なものに。
当たり前に感謝
健康の大切さは失ってから思い知る。
よく言われる言葉です。
直近、私の身のまわりでも健康を害してしまった人が続出しました。両親、兄、上司(3人も同時期に!)、友人、妻の友人。病気、怪我、心の病と様々ですが、本人たちの大変さを思うと残念でしかたありません。
こうした状況を見ると、私が今、当たり前の健康でいられることに感謝せざるを得ません。
そして当たり前に住む家があり、当たり前に毎日ご飯が食べられて、当たり前に家族や友人がそばに居てくれて、当たり前に仕事があることに感謝です。
普通がコンテンツとなった体験
当コラムのトップ画像。
白米とお味噌汁と鯵の開き。
私の子供の頃には普通すぎてうんざりする朝食メニューでした。えーまたこれ?パンにして!なんて憎まれ口を叩いて。
今やこんな素敵な朝食が出てくるご家庭はどのくらいあるのでしょう。ホテルくらいじゃないでしょうか。
失って分かる普通の価値です。
母には感謝しかありません。
先日、well-being 研究会の有志と共に「 JUAS アカデミー」というウェビナーにパネラーとして参加してきました。
そこではいつも研究会で行っているように wellーbeing について語り合い、well-being な状態について意見を出し合い、いつものように対話をしてきました。本当に拍子抜けするくらいいつも通りの対話だったのです。
しかしアンケートを書いてくださったほとんどの方が「wellーbeing がよくわかった」「普通や自分を見直すことの大切さを知った」などと、ポジティブなフィードバックを寄せてくれたのでした。
私の普通は、他の人の普通とは限らないんだ。
私はアカデミーでも「普通」について語ったのですが、改めて普通の価値を再認識させてもらえました。
凄い普通
当たり前は「当たり前」でしょうか?
あなたの普通は「普通」でしょうか?
普通とは、あるパラメーターにおいて一般的なスコアであること、と言い換えられると思います。つまり数が多いから珍しくないという判断が無意識にされているのでしょう。
しかし人の持つパラメーターは多種多様です。身長、体重、性別、職業、収入、家族構成、健康状態、交友関係、宗教宗派、人種やイデオロギーなどなど。全てにおいて平均値・中央値の人なんているのでしょうか?居たとすれば、それはそれでとても希少な方ではないでしょうか。
あなたの普通は、必ずしも誰かの普通ではありません。
あなたの普通は、そうでない人にとって凄い価値なんです。
優しい家族がいるなんて凄い。
歩けるなんて羨ましい。
普通でいられたらこんなに苦しまないのに。
普通の凄さが伝わったでしょうか。
普通って幸せですよね。
普通でいられる「普通力」
これぞ well-being の正体だと思うのです。
まとめ
1.well-being とは普通であること
2.普通にはすごい価値がある
3.普通力を見直して幸せになる
約1年間50回のコラムを書いてきて、この回のテーマがたどり着いた答えだと感じています。何者でもなくていい。あなたらしく。ありのままに。これら全てが「普通」に内包されているのではないでしょうか。
だからといって普通じゃないとダメと言いたい訳じゃないんです。普通じゃないってことは、それはそれで凄いことなんです。だから次回は普通じゃないってことを掘り下げてみます。
普通のコラムが、あなたのヒントになれば幸いです。