適応障害を経験して もっと適当に生きる
先日にも書きましたが、この前の6月から適応障害になりました。現在は所属している大学院を休学し療養中の身です。
症状がほとんどなくなり、あとは薬をどう減らしていくか、という段階に幸いにもなりましたのでまた書いています。
何を書こうか迷ったのですが、いつものようにとりあえず思うがままに感じたことを書き連ねようと思います。後述しますが、今は「本能のまま生きる」、が人生のテーマなのもあり。笑
まず、現状です。
今はすっかり以前と変わらないような生活を送れるようになりました。休学で時間がある分気力や体力が有り余っているような状態です。素直に嬉しいです。何かをしたいという活力があること、そして実際にそれをしたときに楽しいと思えることが当たり前じゃないのだなと思い都度感動を覚えます。油断は禁物ですが、本当によくなってよかった。
正直最近はとっても小さなことでも嬉しくて仕方ありません。睡眠薬なしで眠れた、そして朝気分よく朝日で目覚めることができた。音楽なしで外を歩いて心地良いと思えた、雲の動きを見て綺麗だと感じた。本当に些細なことでも嬉しくて。当たり前なんてないこと、そして失って気が付くことは本当に失ってからでは遅いこと、なんて言いながらも意外となんでも失ってみないとありがたみに気が付けないこと。なんてことを感じながら生きています。あんなに辛かった空白の時間が今は楽しく過ごせているなぁ。書きながら、少し目頭が熱くなってきます。
せっかくなので辛かったことも残しておきます。自分の症状としては、3大欲求の低下、意欲の低下、何も楽しいと思えない、などでした。希死念慮などはなく、そう思うと比較的軽度ではあったのかもしれません。
辛かったこと。
食欲がなくて食べたいと思えないけど食べないと生きていけないから唯一受け入れられる甘いものばかり食べていたら太り、どんどん食べることが嫌になっていったこと。
休んでいるから1日が長く、何をしていたらいいのか分からなかったこと。そして試しに好きなことをしても何も楽しいと思えず毎日何で時間を経たせるかで頭を悩ませていたこと。
睡眠薬が自分に合うまではしっかりと眠れない日々が続き、それに伴って他人への攻撃性が増して、親に対してイライラして少し当たってしまい、自己嫌悪に陥っていたこと。
ついつい、時間があるがゆえにSNSを見てしまい、何も前に進んでいない自分を責め続けたこと。
とにかく、精神的にも「休む」状態に入るまでに時間がかかりました。休むことができてからは回復は早かったです。休みをとることと休むことは全く別物なのだなという気づきもありましたね。
今までの自分は、これが正解だとか、正しいことにこだわり続けていました。特に自分に対して。
例えば他人の悪口は言わない。何もいいことがないから。
マイナスなことは口にしない。言ったらそれが現実になるから。
自分が自分でいいなと思えるくらいの外見を保つ。それに伴って食事と運動にこだわる。
人が悪く言われているのなら自虐をして話題を変える。
お金は自分の本当に使いたいものだけに使う。
そしてもちろん、これを全て実行できていたわけはありません。ただその都度できない自分に対し、「反省」という言葉を使った自己嫌悪をしていました。まあ、終わったことは仕方ないから次からはこうしよう、と。そしてそれも新たな「正しい」縛りとなり自分を苦しめていたのかもしれません。
なので、もっと適当に生きることにしました。本能のまま生きることにしました。別に自分が常に正しくある必要はないし、成長だってしなくていい、ちょっとくらい後退してたっていい。なんならし続けてもいい。それくらいの気持ちで生きます。
つい、「ああ、今のは自分にとってよくないことした」なんていう思考が浮かんできますが、それを抑圧するわけでもなく、うまく受け流せるようなそんな生き方を目指せればと思います。そしてこれも、達成できなくてもいい目標です。笑
適当に、なんとなく生きよう。
何にでも正解はあるようで、人生には正解はなくて、それを考えることは楽しいことなのかもしれないけれど、一旦お休み。
流されるまま、楽しく生きようと思います。
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