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当時から世間に注意喚起していた医師たち ④(内海聡さん前半)

前回の投稿からおよそ7ヶ月が経過しました。もし更新を楽しみにされている方がおられるようでしたら、申し訳ありません。

以前にもお伝えした通り、この問題、私でしか書けないこともあり、最後まで書き切らなければ死ぬに死ねないとまで思うことしばしばなのですが、いかんせん、その気力が湧きません。

noteのことを思い出さない日は決してないし、一日の中でも「書かなければ」という思いが思考の中にない時間帯というのも余りなく、日々苦しいというのが正直なところ。言いたいことを整理して、読み物として出せない自分に対する苛立ちもつのるものの、記事を更新しようとすると呼吸が荒くなり、心臓がバクバクするような感覚がしんどくて、ついついnote以外のことに逃げてしまいます。

では、今回は7人目として、誰もが知るあのお方、、そう、あのお方、、

7、内海聡さん

暴走する精神医療問題やそれに抗うべく様々な形で自然発生的に湧き起こった市民レベルの運動について語るとき、内海聡さん抜きに話をすることは不可能。それくらい、内海さんの行動力や覚悟は他のプレーヤー(この問題をどうにかしたいと願う医師やジャーナリストや一般人)たちのものとは比較にならないレベルで圧倒的でした。

ブログやSNSでの発信、掲示板での対応、各地での講演、テレビ出演、本の出版、断薬専門クリニックの立ち上げ、裁判協力、、、すぐに思いつくだけでもこんな感じですが、他にも色々と活動されていたことでしょう。とにかく精力的でした。

精神医学なるものを否定し、更には向精神薬もほぼ全否定、果てには精神科医の撲滅までをも謳う内海さんは、精神科医の皆さんからすると嫌悪の対象でしかなく、敵そのものなのかもしれない。

前回の投稿で名前を出した精神科医、佐々木幸哉さんのこのツイートを見ても、内海さんに対するそんな憎悪や侮蔑の感情が濃く滲み出て見えます。

しかしながら、アシュトンマニュアル日本語版が公開される前後に、コントロール不能なまま暴走する精神科医たちの不勉強、無関心、不作為、傲慢な態度にうなだれ憤り、本能的、自然発生的、必然的に湧き起こった抵抗運動に関わった当事者たちの間で、より頼りになったのは、佐々木幸哉さんではなくて内海聡さんではないでしょうか?そう答える当事者が多いように思えてなりません。

もちろん、佐々木さんも当時から薬害問題をなんとかしようと情報発信を含めて幾つかの手段で尽力されていましたから、そんな佐々木さんに救われた患者さん、薬害当事者たちも多数いることでしょう。そこはしっかりと認めます。かくいう私も佐々木さんのブログをコピーしていました。

それでもしかし、精神科医たちが「白衣を着た売人」とまで呼ばれた当時、暴走する精神医療問題を世間に告発し注意喚起するという社会活動において、より存在価値を示したのは、佐々木さんではなく内海さん。この“世直し”ともいうべき社会活動に市民側のプレーヤーとして加わった私としては、そう評価せざるを得ないのです。

では、そう考える理由はなんなのでしょうか?

それは、実名顔出し・勤務先公開での活動と、ハンドルネーム・勤務先非公開での活動の違い。つまりは覚悟の差。この差が決定的だと感じます。

言うまでもなく、内海さんは当時から実名顔出し・勤務先公開で様々なメディアで発信し、テレビ取材も受けていました。

方や、今では実名を公開し内海さんを嬉々として(?)名指し批判(名指し侮蔑?)する佐々木さんですが、当時のネット上での活動はどうだったのでしょうか?実名は明かさず「猫山司」というハンドルネーム。勤務先や出身大学も積極的には明かさない。違いますか?

もしかしたら、佐々木さんも、たとえば当時流行り始めていたFacebookなどでも発信していたのかもしれません。私の気付かないところで、実名顔出し勤務先公開での活動がネット上でも部分的にあったのかもしれない。しかし、ネット媒体の大半或いは殆ど全てにおいては、匿名・勤務先非公開だったというのが当時の佐々木幸哉さんの実情ではないのでしょうか?

(この辺り、私の認識に間違いがあるなら訂正します。しかし佐々木さん、今でもSNS上では勤務先や出身大学病院を積極的には明かしたがってはいない気がしないでもない。。)

当時の私は、薬物療法問題、特にベンゾジアゼピンにまつわる情報なら、医学文献や新聞記事、そしてネット上の書き込みに至るまで、どんな些細なものでも手当たり次第にかき集めていましたし、多くの薬害当事者たちや全国的に取材する複数のジャーナリストとの交流がありました。そんな私ですら、佐々木幸哉という名前を目にしたことも耳にしたこともなかったのです。

佐々木さんに限らず、ネット上で発信する医師たちが、現実問題として、実名や勤務先を明かしたがらない理由は理解できます。たとえば、精神医療問題についてたとえ正論を展開していたとしても、それを良く思わない一般人或いは場合によると同業者たちからの嫌がらせで、勤務先に迷惑をかけてしまうリスクがありますから。

こういったリスクを考えると、実名・勤務先を明かす勇気が持てない。あるいは上司から禁じられる。本当は自分の名前や勤務先も公開したいのだけど、現実問題として、出来ない。

医師の匿名発信には何らかの事情があろうことは理解できます。しかし、リスクを抱えながらも、実名顔出し勤務先公開で精神医療問題、薬物療法問題について発信していた医師たちがいたのはこのシリーズで紹介したとおり。そして内海さんもそのひとりであり、その筆頭。

このように、当時も実名顔出し勤務先公開で活動していた医師たちも現に存在していたにもかかわらず、事情はあるにせよ、そこを積極的に明かすことをしなかった佐々木さんが、今頃になって一方的に内海さんをディスる様子を目にすると、もの凄い違和感を覚えてしまうというのが、当時の頼りにならない精神科医たちの惨状を身をもって知る当事者である私の率直な感想なのです。

いやいや、今頃になってそこまで内海さんを侮蔑するのなら、当時から、カウンターとして“堂々と”内海さんを全力で否定しておけば良かったのに。たとえば、ベンゾの一気断薬がなぜいけないのかを、実名顔出し勤務先公開で科学的エビデンスに基づいて解説しつつ、堂々と内海さんの名指し批判を展開してくれていたなら、私個人としても、佐々木さんの存在を実に心強く思えたことに違いはありません。

これが今の佐々木さんによる内海評に対する率直な思い。今頃になって佐々木幸哉の名前で侮蔑を込めて当時の内海批判を展開しても、私の目には負け犬の遠吠えのように映ってしまうのです。佐々木さんだけではなく、精神医療の主流にいる医師たちは、内海さんの覚悟や行動力に負けた。完敗した。

佐々木さんは、当時の内海さんの活動全般について、その存在価値を全否定しているのでしょうか?貼り付けたXでの佐々木さんの反応を見るとそう感じとってしまいます。違うのかな?

佐々木さんの反応は、ちょっと単純過ぎだし、内海さんへの負の感情が強過ぎて冷静さを欠いているように見えます。

内海さんの活動には是は存在せず、非ばかりなのでしょうか?

たとえば、脳が成長過程にある子供への向精神薬投与の問題について、当時最も熱心に注意喚起していたのは内海さんではないですか?確か、内海さんがマスコミに繋いだ症例の中に、向精神薬の多剤投与で眼球が上転し、姿勢までおかしくなり、まるでホラー映画「エクソシスト」にでも登場してきそうな姿に変わり果てた子供がいたような記憶があります。

(あの子供はその後、薬の害から回復したのだろうか、、)

今ではあちこちの方面に暴走し尽くしてしまった感のある内海さん。いつからか、やばい医師と見做され、もう大手マスコミから取材依頼などさすがに来るはずもないでしょうが、当時は、精神医療問題を取り上げる全国放送のメジャーな番組にも登場していました。

次々と、内海さんのクリニックに辿り着く、向精神薬ジャブジャブの薬漬けにされた子供たち。マスコミを使い、その惨状を白日のもとに晒す内海さん。

これは内海さんの功績のひとつではないですか?

このように当時から実名顔出し勤務先公開でテレビ取材にも対応して堂々と活動したことでこそ熱狂的に支持され頼りにされた内海さんに対して、もしかしたら「猫山司さん」はある種の嫉妬心すら抱いたのかもしれない。佐々木さんの内海批判、更に言うとアシュトンマニュアル批判には嫉妬心があるような気がしてならないのです。

私は、内海さんを批判するな、アシュトンマニュアル批判をするなと言っているのでは決してありません。批判はあって然るべき。

言いたいのは、当時の内海さんの活動にも存在価値はあったということ。間違いなく価値や意味があった。

意図して患者の命を奪いにきているのかとも疑いたくなるような多剤大量処方があちこちで横行していた当時の暴走する精神医療。繰り返しになりますが、精神科医たちは「白衣を着た売人」とまで呼ばれました。

本来は業界をリードして正常化を図らなければならない大学病院の偉い教授たちまでもが製薬会社に籠絡されタチの悪い疾患喧伝の片棒を担いでしまうケースも珍しくありませんでした。

そんな、自浄作用が働かず、機能不全を起こした精神科医たちが患う重い病には、内海さんのような劇薬が必要だったのではないでしょうか?更には、暴走する精神医療や製薬企業が掲げる善意の看板にいとも容易くなびいてしまう市民や社会にとっても劇薬が必要だったとも言えるでしょう。

副作用も激しいが、権威者たち権力者たち製薬会社たちに忖度などしない破壊力、突破力がある劇薬。そんな劇薬を投与するほかないほど、当時の精神医療や製薬企業はやりたい放題やっていた。

精神科医の皆さんには、屈辱的で難しい作業かもしれませんが、内海さんを是々非々で語っていただきたい。たとえその是は僅かであっても、是は是として素直に評価してみてはどうでしょうか?

(私は、精神医療問題にまつわる活動に限っていうと、内海さんの是が僅かとは思いません。)

内海さんの是とは、精神科医の非の裏返しであることが殆どでしょう。そして、その精神科医の非の多くが、「不作為、行動力の欠如」だと私は感じています。

***

内海聡さんについて、前半はこのあたりで終わりにして、次回後半では、内海さんによるクソマニュアル評について思うことを中心に書いてみます笑

また佐々木幸哉さんへの反論はまだ続きますが、佐々木さんの評価すべきことはきちんと評価する記事も書きます。佐々木さんがきっと優秀で正義感ある精神科医であることは間違いないことでしょうから。

大切なのは、内海さんであろうが佐々木さんであろうが松本俊彦さんであろうがその他の権威者であろうが、どんな人や文献などに対しても是々非々で語ること。アシュトンマニュアルについても、自分自身の言動に対しても。

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