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もっとも偉大な科学者は誰だとおもいますか?

「もっとも偉大な科学者は誰だとおもいますか?」

ふだん職業として自然科学の研究をしているためか、この質問はいろんな人から何度も聞かれたことがあります。僕の中でこの答えはひとつに決まっていて、「ニコラス・コペルニクス」です。

もちろんこれには明確な理由があるのですが、
ただ名前を聞いて、『コペルニクス、何をしたひと……?』という感想を持つ人もそう少なくないと思います。パッと顔の浮かぶ学者じゃないですよね。どんな学者か分からなくても大丈夫です。(気になるひとは後でWikipediaをみてください)
また別の感想として、『アインシュタインやニュートンじゃないの?』『通な人が選ぶ研究者ってこと?あえての逆張り?』なんて思う人もいるかもしれません。


僕が「コペルニクス」を選ぶ理由は、業績や生涯もありますが、なにより『僕自身の小学生の頃の思い出』にあります。なぜ、小学生だった僕がコペルニクスを尊敬するようになったのか?すこし短い思い出話に、おつきあいいただけると嬉しいです。

なぜ、小学生だった僕がコペルニクスを尊敬するようになったのか?

多分小学校3-4年生の頃だったと思います。実家が関西だった僕は、ある土日に親に連れられて大阪市立科学館に行きました。いわゆる情操教育じゃないですが、親なりに教育のつもりで連れてったんだと思います。

その科学館には、フーコの振り子や錯覚を利用した虚像がうかぶ鏡の箱など、様々な展示物が置いてあったのですが、そのどれもを差し置いて、当時の僕の興味を惹きつけたのは壁掛けの「科学史年表・偉人科学者の紹介パネル」でした。

そして当時小学生だった僕でも名前くらいは聞いたことのある「ガリレオ・ガリレイ」「マリー・キュリー」などに並んで紹介されていたのが、「ニコラス・コペルニクス」。彼の業績を読むと、当時主流だった地球中心説(天動説)を覆す、太陽中心説(地動説)を”ガリレオ・ガリレイよりも前から”唱えていた人物だと。

「え、地動説ってガリレオより先にみつけていた人いたの?この人のほうがめちゃくちゃすごいんじゃないか??」

当時の僕のなかに衝撃が走りました。そんなすごい人がいたなんて。紹介パネルを隅々まで読んで、気づけばもうコペルニクスという偉人のファンになっていました。なんならその日の科学館からの帰り道、「なんの展示が面白かった?」と尋ねる母に、僕は「コペルニクス!」とその時感動をだらだら語っていたことすら覚えています。

家に帰ってからもその熱は冷めやらず。ただ僕が小学生だったころは、いまほどネットも発達しておらず、けれども紹介パネルよりもっともっとコペルニクスのことを知りたい。そこで僕は、国語辞典に手を伸ばしました。かつて小学生にとって国語辞典はすべてのことが書いてある魔法の本でしたから。

「コペルニクス、コペルニクス……」とページをめくり見つけたその場所には、紹介パネルほど詳しくはないコペルニクスの説明が載っていました。情報の少なさにガッカリしたのもつかの間、その隣にあった【コペルニクス転回】の項目に僕の目は奪われました。

コペルニクス的転回
物事の見方が180度変わってしまう事を比喩した言葉。あるいは、既存の物事を根本的に転換させた視点で考察する際の表現。 コペルニクスが天動説を捨てて地動説を唱えたことにたとえている

Wikipedia より

「ほらやっぱり!世界の見方を変えたのはコペルニクスだったんだ!こんな言葉に残るほどの天才だったんだ!」

小学生のぼんやりとした知識で格好いいとおもっていた学者が、「間違いなく天才だった」ことを自分の中で確信した瞬間でした。とても明確に覚えています。いま思い返せば、歴史に名が残っている時点で天才に違いないだろうに、でもそれが小学生にまで響くと思えば本当にコペルニクスって偉大なんでしょうね。

そんなわけで、こうして今現在、宇宙の研究をしてお給料をいただく職業につき、様々な研究者やその成果を学んでなお、原風景として当時の衝撃は忘れられないものであり、僕の中のオールタイムベストはずっと変わらないです。

「もっとも偉大な科学者は誰だとおもいますか?」

と聞かれると、僕の中でこの答えはひとつに決まっています。「ニコラス・コペルニクス」です。


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