朝のメッセージ
私は毎朝、教室のホワイトボードに生徒向けのメッセージを書いています。あるきっかけで始まったこの習慣は、もう足掛け8年になります。
今回は、これまでの歴史を簡単に振り返ってみようと思います。
第1ステージ(埼玉県騎西中学校時代2012年〜2013年)
これが、一番最初に書いたメッセージです。
私は東日本大震災まで、福島県双葉中学校に勤務していました。震災後、双葉町が埼玉県加須市に避難したため、私も加須市立騎西中学校で勤務することになりました。この時は併任制度という、震災後にできた日本初の雇用制度の第1号として働いておりました。普通は一つの都道府県教育委員会にしか所属できませんが、私は避難の身のため、埼玉県教育委員会にも採用していただき、福島県&埼玉県のダブル採用となったのです!(しかし、お給料は福島からしか出ません、、、)
この学校の2年目に1年生を持つこととなり、10月から朝のメッセージを書き始めました。毎朝7時に教室に行き、前日のエピソードや子どもたちの成長などをイラストと共に書きました。
第2ステージ(福島県双葉中学校時代2014年〜2018年)
騎西中学校転出後、母校でもある楢葉中学校仮設校舎勤務を経て、本籍校である双葉中へと戻ってきました。1学期中は仮校舎という名の、いわき市錦町にある東邦銀行の建物で学校生活を送りました。私の担任する3年生(生徒は一人)の教室は元々支店長の部屋だったところで、神棚が置いてあり、そのためか厳かに授業を執り行っておりました。笑
2学期になり、本格的に建てられた仮設校舎にて学校が再スタート。
この時から朝のメッセージ第2ステージが始まりました。
三日坊主を恐れて書いたのが、よくわかります。
騎西中時代は黒板でしたが、黒板に書くと朝のうちに生徒が消さなければならないので、ホワイトボードを用意し、そこに書くようになりました。
山が好きなので、アウトドア系のイラストをよく描いてました。(YAとはヤングアメリカンズのことです)
我が家のことも書いたりしました。
これは双葉中学校最後のメッセージです。2年生を置いての異動が決まってましたので、こんな言葉にしてみました。
第3ステージ(福島県楢葉中学校時代2018年〜現在)
そして現在に至ります。
最近は私のメッセージに余白を見つけると、生徒が書き(描き)足すこともしばしばとなりました。
これは運動会前日のボード。
なぜ毎朝書き続けるのか
私は毎朝、書いたものをiPhoneで撮ってFacebookに投稿します。もうこれは習慣になっていて、出張の時以外は毎日ほとんど欠かしません。最初は学校や身の回りのエピソードだった朝のメッセージは、次第に禅の言葉や世界の格言、漫画などの名言になってきました。
なぜ継続できるのか。そして何のために書いているのか。
はじめは目の前の生徒向けに書いていたメッセージ。
Facebookで投稿するうちに、震災でバラバラになってしまった教え子や同僚と繋がる手段となっていることに気づきました。
投稿を読んで「いいね」を押してくれたり、コメントを記入してくれたり。
「これって、離れてしまった生徒や先生たちへのメッセージにもなってるんだ」
と思うようになってから、誰かのことを思っては、それに合うような名言を探して書いたりもするようになりました。
昨年の卒業式には、実力もわきまえず黒板アートにもチャレンジしました。
いまいちですけどね、、、(笑)
何気なく書いてる朝のメッセージ。いろいろと紆余曲折があったことを知っていただきたく、今回は書いてみました。
これからも、担任を持ってる限りは続けるでしょう。
いつも投稿を読んでくださる方々、ありがとうございます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?