震災時の対応(備忘録)
久しぶりのnote投稿が、震災時の対応とは、、、。
今日1日にあった、震災時の学校対応を忘れないうちに書き留めておこうと、地震でアドレナリンが出ているうちに記録します。(笑)
地震発生〜教職員の安否確認
さて、昨日発生した福島県沖地震(2021.2.13)では、私が住む地域も大きな被害に遭いました。
夕飯後、うたた寝していたところを襲った長くて強い揺れ。ドキッと跳ね起きましたが、娘も飛び起き私に抱きついてきました。震災から10年。また来たか〜、というのが正直な感想です。
しかし今回は大きな揺れはその一度のみ。津波もないとの報道があり、安堵しました。
家の中は本や鉢植えなど、落ちるものは大体落ちてしまいましたが、余震に備えてあまりせかせか動かないようにしました。
そうすると中学校の校長先生から電話連絡が。(勤務校は小中同じ校舎で仲良く生活しています。私は小学校の教頭)
「学校は○○先生(町内に住む先生)と用務員さんとで復旧対応しているから、来るのは朝になってからでいいよ。」
とのこと。(本当はもっといろいろ話しましたが)
私が学校から車で1時間弱のところに住んでいるため、気を遣ってくださったのです。
小学校も管理職間で連絡を取り合い、現状確認と今後の対応について先生方に連絡することになりましたので、私が自宅から2回(教職員の安否確認(23:58)と、翌日の学校集合について(1:34))一斉メールを配信しました。
ニュースでも大きな被害はなさそうだったし、先生方からの連絡もなかったので、安否は大丈夫だろうと判断しました。
教職員には翌朝10時に学校集合と連絡はしましたが、あくまでも家庭を優先してほしいとは思います。
お子さんや介護が必要な親御さんがいらっしゃる方は、そちらの方が大事です。
仕事は代わりがいるけれど、家族に代わりはいません。
通勤途上でまた災害に遭うことも考えると、学校としては無理せず、できるメンバーで対応しなければいないと考えます。
出勤〜学校到着まで
中学校長からは、来るのは朝になったらで良いとは言われましたが、こんな時に寝てはいられません。アドレナリンは出まくってるし!!なので2回目のメール配信後、身支度をし学校に向かいました。
道路は空いていて、コンビニも電気はついていました。世の中は思った以上に大丈夫なんだ、と考えながら運転しました。
町の避難所が2箇所開設されたと聞いたので、学校に行く前に児童生徒の避難者を確認するために訪問しました。子供の避難者はいないとの報告を受け、一安心。こういう時は(常にですが)、我々教員よりも町役場職員の方々の方が町民に寄り添った、迅速な行動をされます。役場前には職員の車が多数集結しており、本当に頭が下がりました。
学校到着〜現状確認
学校には中学校長、町内に住む先生が待機しておられ、非常扉などの復旧はされていました。私も校舎内を確認しましたが、ロッカーや本棚のものが落ちたくらいで、10年前ほどの大きな損害はありませんでした。
ここで先に駆けつけてくれていた先生と交代し、余震に対応することとなりました。
この町内に住む先生は、地震直後に自転車で駆けつけていただき、校舎内のメダカなどの救出、薬品庫のチェック、被害箇所の確認などほとんどをやってくれました。この行動力には感謝です。また、帰りには自転車で町内を回ってくださり、スクールバスの運行に支障がないかも調べてくれました。こういったリスク管理能力は、私以上にある方なのです。
町教委との連携
学校は市町村が設置しているものなので、教育委員会が管理することになっています。6時ごろに町教委の方々が、他にも体育施設の水漏れなど対応が大変な中、現状を確認しに来ていただきました。
この時には武道館の照明(落下寸前)や調理場屋上の水漏れなどを確認。水漏れは屋上に上がって復旧しました。
10年前の震災後から、学校と教育委員会との繋がりが強くなったと、私個人としては思います。10年前は当時勤務していた町が役場機能を埼玉県加須市に避難し、私も役場の方々と同じ避難所で生活したりもしましたから、それは必然かもしれません。
また、現在勤務しているのは私の生まれ育った町で、先輩後輩など知っている方も多いため、その時以上に繋がりは強まっていると感じます。
教育委員会と密接に連携することで、双方のベクトルが同じ向きになり、相互協力体制を取ることができます。私たちの最上位目標は「子供が幸せに生活できること」だと思っておりますので、そのためにお互いの立場でできることを最善を尽くせます。
もし教育委員会とうまくいかなかったら、学校だけではやりたいことができないと思います。この点については震災があったからと、怪我の功名と思うようになりました。
震災後の対応
さて、いよいよ備忘録です。(ここまでの前置きもとても大事でしたが)
震災翌日(2021.2.14)午前10時に教職員に召集をかけ、全員で復旧作業をしましたが、その前後に行ったことを書き留めます。
・児童の安否確認メール配信(被害があれば9時半までに学校に連絡くださいと)(小中教頭)
・町教委に被害報告(教頭)
・各教室の片付け(担当)
・小中共有スペース(体育館、ランチルームなど)の清掃(全員)
・遊具の安全確認(体育部)
・ガスの復旧確認(小教頭)
・エレベーターの確認→停止してしまったため、翌日に点検依頼(中教頭)
・家庭に、翌日からの通常学校生活について一斉メール配信(教頭)
・持久走記録会を開催する町陸上競技場の被害確認(教頭)
・打ち合わせで最終確認(全員)
振り返り
今回の地震は、休日中に発生したこともあり、前回の経験もあり、余裕を持って対応することができました。
同僚の先生方は10年前の震災を知っている方ばかり。前回の経験は至る所で生かされていました。しかし、20代の先生方にとっては、3.11の地震は学生時代のこと。災害時の対応については、経験した私たちが語り部のように普段から伝えていかなければならないと思いました。
昼過ぎまで学校で働き、帰り道に実家(震災まで住んでいた家)に寄って被害状況を確認したところ、瓦が落ちたり壁にヒビが入っていたり、震災の時には倒れなかった甲冑が倒れていたり(これが一番の衝撃でした笑)と、家に関しては前回よりも被害が大きかったです。
地震保険に加入していると、保険が使えます。我が家では、父が破損箇所を写真に記録していました。これから農協に連絡をし、保険の手続きを取るそうです。私も歳を取りましたが、まだまだ親に助けらています。
実家の本棚からも大量の本がなだれ落ちていたので整理していたところ、震災前に勤務していた学校の子供たちの写真や手紙が出てきました。大変な中でも心温まる写真や手紙に、まるで彼らに励まされたような気持ちに。
仕事をするのは大変ですが、そこで関わった人たちに時間を超えて励まされるってあるのですね。おかげで良い気分で帰路につくことができました。
ここまで長文を読んでいただき、ありがとうございました。
ただつらつらと書きましたが、あくまでも備忘録。何か思い出したら追記したいと思います。
そしてこれが少しでもどなたかの役に立てば、幸いです。
全部落ち着き、やっと食べれたカレーが美味しかった。
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