マゾとして生まれた因果【ハロー ザーメン編】
きちんと男の子ミルクを出したのは13歳の時だった。
その日はゴールデンウイークの真っただ中で、僕は家で一人留守番していた。家族が返ってくるのは夕方ごろだろう。僕は正午の日の光が差し込むリビングのソファーで、ぎこちない初めての手淫をしていた。
そういうものがある、という概念に触れたのがいつだったかは覚えていない。けれど、さすがに中学生になれば先輩や同級生の話の中で出てくるのは当たり前だし、何度かそういうことを聞くと不完全ながらも自然とそうしたものを理解するようになる。
一人なんだし、と僕は軽い気持ちで握った手を動かす。勃起については初めから知っていたが、そこから先はどんな感じなのか想像できなかった。実際、やり方がそれであっているのか自信はなかったし、そんなに気持ちいいとも思わなかった。その時はどうせ何も起きないだろうと考えていた。
ちょうどこの頃は、自分の性癖がだいぶ広くなっていったと思う。家庭用のタブレット端末が自宅にやってきて、サイトやら動画やら自由に観ることができた。オカズが豊富になったのである。ただ、さすがに深夜や一人のときなど、観る内容に合わせて使う時間帯には気をつけた。履歴の消去、についてはあまり理解していなかったので、今考えると恐ろしい。
ただ、実のところオカズの中でエロいものは、ごくわずかだった。観るのはもっぱらTV番組やアニメのくすぐりシーン。本当にそれだけだった。なんなら「手 女性」で画像検索しただけで満足していた。知識や経験がなかったからこそだと思う。
比較的メジャーなそういう系の映像も少し観たが、内容としては幼児プレイ系が多かったかもしれない。やはり保育園の時の体験がその基盤になっていたのだろう。だから観るのは、もっぱら最初の前戯部分だけ。先輩や同級生は、そこから先の展開を楽しんでいるらしかったが、当時の僕には刺さらなかった。繰り広げられることが、あまりにも僕の知っているものを逸脱するような行為だったため、いまいち現実感がないというか、うまくイメージと結びつけることができなかったのかもしれない。
そして、インターネットのおかげで新しい性癖も見つかった。
ちょうどあの頃は、某大阪のテーマパークの入場者数がV字回復したとしきりに話題になっていた。某魔法の城やクールジャパンのアトラクションなどがその理由である。
そしてもう一つあるのが、夜になると園内のいたるところからゾンビが出てくる例のイベントである。特殊メイクやゾンビの演技などがリアルさが話題となって、YouTube上ではカメラに襲い掛からんとする動画が次々とアップロードされるに至った。
血まみれ、傷だらけになって、服もボロボロ。唸りながらふらふらと歩き、誰かと目があったのなら突然走りだして、獣の如く人を襲う。
どこかからか悲鳴が聞こえる。大の大人を大勢で押さえつけ、虫のように群がり、その肌と血肉に歯を立てる。そこには理性がない、平常がない、ただ恐怖と痛みと、彼らの底のない殺人の欲求だけがこちらに向けられる—―—。
その動画を観て、勃起した。
襲われたいし、喰われたいと思った。素直に女ゾンビにはエロスやセクシーがあると感じた。
納得してくれるマゾはどのくらいいるのだろうか、と思う。普通ゾンビは恐怖の対象であるはずなのに、少し興奮どころか全力で興奮している。『進撃の巨人』のピクシス指令が「美人の巨人になら喰われても良い」みたいなことを言ったが、これに激しく同意する自分がいる。死因が選べるなら、僕は女ゾンビに襲われて死にたい、と思った。
それ以来、僕はそうした動画、例えば『バイオハザード』のゾンビのモーション集や、ホラー・パニック系の映画を観るようになった。
そしてその日、これでいいのかな、と思いながらしごいている日も、オカズはそれだった。しごいてさえいなければ、いつもと同じく満足してそれでおしまいのはずだった。
しばらくすると、亀頭の先がテラテラとしているのがわかった。これが例の汁なのだろうか、と思ったがよくわからず、そのまま続けた。タブレットの動画をもう一度再生する。
ふと、尿意が湧いた。気のせいかとも思ったが、どんどん大きくなっている。手を止めてみた。治まった気がした。もう一度動かす。また起こる。
間違いない、これだ。
用意しておいた束みたいなティッシュを傍に置いて、激しく動かしてみる。そこから先の展開は、予想よりもずっと速く進んでいった。
大きすぎる尿意に耐えられず、ティッシュに手が届く前に、ぶちまけた。気持ちいいというよりも、我慢していたものが発散される感覚。その白さを見た時、あまりにも話の通りだったので変に納得したことを覚えている。飛び散ったものを必死で拭き取りながら、新しい領域に踏み入ったことに、歯がゆい気持ちになった。
今思えば、せっかくの初めての時のオカズは選んでおいた方が良かった。けれど事実、今も僕はこの類が大好きなのである。貞〇と伽〇子なんて性の対象でしかない。だってそうでしょ? TVから紗倉〇なが出てきたり、布団の中に深田え〇みがいたら嬉しいでしょ? そういうことなんです。
一方で、やはり懸念や戸惑いもあった。血まみれの女性だとか、それに襲われるのとかに興奮するのは、客観的に見て普通でない。病的なほどに異常である。とてつもなく犯罪的な臭いがする。
俗に言う「シリアルキラー」と呼ばれる人々は、おそらくそれっぽい性癖があるのだと思う。僕は加虐で興奮したことがない。しかし、傍から見ればほとんど一緒だろうと言われても仕方がない。具体的に何をしでかす恐れがあるのかははっきりしない、が、将来的なリスクは一切ないと言い切ることは誰もできないだろう。自分の癖が人に危害を加えるとか以前に、少しでも脅威だと思われるのが辛い。
ただ世の中、加虐癖を持っている人は案外いる。そして話してみると、大体優しい。こういった方々は自分の癖をしっかりとコントロールできているのだと思う。
むしろ逆に、おそらくそんな性癖はないくせに、誰かを傷つける人も少なくはないだろうと思う。ドMであってもわがままを突き通したり、反抗的な態度を取ることもあるだろう。
やはり結局は人間性なのだろう、という考えで今は落ち着いている。性癖と社会性は、本人の意思さえあれば十分に併存可能だ。内面的な不安要素を抱えているのなら、せめて外見上の社会的な態度や行動でそれをカバーできる人間でありたいと常々思う。
ちな、大学のトイレでバキバキ勃起しながら書きました。
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