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愛はそんなにエロくない

 生まれてこの方、「愛」の混ざったもので抜いたことがない。

 大抵、スケベな作品では、好きだのかわいいだのと言いながら、男女がまぐわっている。
 友人と話していると、やはり愛している人間とするセックスが一番良いとのことである。
 世間を鑑みるに、これこそが恋愛であって、それと同時に性的なものだという。

 自分が愛についてどこまで理解しているのか、という点を念頭に置いたとしても疑問に思う。
 本当に愛が性的衝動を引き起こすのか。
 愛する、とはエロいことなのだろうか。
 どうにも、それは不気味なことだと感じてしまう自分がいる。

 愛とは、無条件である。便利な言葉だ。
 あらゆる引き寄せの術を内包した摂理であって、その良し悪しを分別する隙を与えない。愛は盲目とはよく言ったものである。

 この多義的な意味を持つ、便利な概念の中には、様々な関係を形作るだろうが、そこに僕にとっての性的衝動をもたらす形態が含まれているのかは、甚だ疑問である。
 だから、僕はそうした性が織り込まれた愛というものへの理解や共感に疎い。

 性と愛がほとんど一体になって考えられる、つまりは誰かを愛し、セックスをする「普通の人」について実直に言えば、素敵だな、と思う。羨ましいな、と思う。

 愛だとか愛するというものは、様々な価値あるものの中で、どこか至上のものと捉えられている。創作物の中では簡単に見つけられ、社会においても、誰もその価値を否定しない。
 だから、そこに性が混ざってしまえば、性的な観念が含んでいる、どこか穢れた部分を隠せてしまっているのだと思う。
 それは実際、なかなかに便利なことではないだろうか。

 僕が理解している愛というものは、もしかしたら、そうした不純物を許さないほどに、純粋な姿を理想としているのかもしれない。例えるなら、清らかな水と真っ黒な油だ。

 この清らかな水とは、愛なのか性なのか、それによって自分自身が揺らぎそうな気もするが、やはり自分の価値観に倒錯があることは確かだ。

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