【オタク】渋谷事変エピソード21(TVアニメ呪術廻戦 45話)の感想【ネタバレ注意】

今日も一日お疲れ様です。見ていただき誠にありがとうございます。

本投稿は芥見下々先生の漫画「呪術廻戦」の単行本24巻までのネタバレを含みます。アニメ勢の方はブラウザバックを推奨します。

「コロナ禍シリーズ」(まだシリーズ化すると決まった訳では無い)は3日に1本くらいの頻度が理想的でしょうか。定期的に私の「オタク」もしっかりさらけ出したいので、今回はアニメの感想回とします。

…えぇ、なんでわざわざアニメの感想なんて特別需要もないしnoteにする意義も無いことをやっているのか。それは

個人的に不満8割満足2割の内容だったからです。

尚、アマプラからスクショ引っ張る〜等でアニメの画像を無断使用することは一切ありませんのでご了承ください。

満足その1 地味なアニオリ部分

東堂が改造人間を倒すシーン、原作だと「呪力を込めた小石を投擲する」ことでワープして仕留める

これが

吹っ飛ばされたときに服屋から取っておいたハンガーを投擲

に変化していました。「小石ってコントロール効かなくない?」とか思ってたので、軌道の作画的にも良かったです。

領域展開後、真人は握り拳を作ってただ突っ込むだけ

これも

無為転変のモーションから打撃に切り替えて攻撃

になっており、これも良かったです。

最終決戦(原作132話)

「狙って出している」とそう思わせるだけの凄みがある!

真人がブチャラティみたいなこと言い出して「ん?」となったシーンも

「だが今の虎杖は…黒閃を撃つと確信させるものがある…!」

こっちの方が良くないですか?どう感じましたかね

次は不満をいくつか、最後にまた満足ポイントを挙げます。

不満その1 東堂への黒閃地味すぎない?

0.2秒の領域展開!それは黒閃を経た覚醒状態が可能にした早業!
使用不可となっている無為転変ではなく打撃攻撃で東堂を仕留めに。真人2度目の、渾身の黒閃が発動する

本来、左腕へのダメージも込みで死んでもおかしくないレベルの攻撃を食らうのだが咄嗟の起点で腹部をガードしダメージを抑える←このシーン

黒閃なのに演出が地味すぎるんだけど…なんで?

ハンターハンターに例えると、多分このシーンはレイザーとのドッジボールでレイザーと14人の悪魔との恐るべきコンビネーションで瞬く間にツェズゲラ(垂直跳び自慢おじさん)が背中に豪速球を浴びせられ退場するシーンが相応しいと思います。
是非アニメで見て欲しいのですが目では追えてないもののしっかりオーラでガードしていた様子、物凄い威力の豪速球がそこそこの念能力者の身体をメキィッと破壊する臨場感が凄かったので

それと比べるとあまりにも地味。「お兄ちゃん」戦では「何これwゲーセンのサバイバルゲームかよw」みたいな穿血ビームを披露したりと「くどいくらいアニメチックな描写」が渋谷事変アニメの特徴だったのに、「あの東堂が死ぬかもしれない」という山場にめちゃくちゃ地味な演出をされたので困惑しました。

不満その2 東堂の脳内無双

東堂葵というキャラについて、「東堂がいなかったら読んでない」「彼こそ呪術廻戦を象徴するキャラ」と様々な(肯定)意見があると思います。みんな好きですよね(好きだよね?!)

ここでシリアスの中和をしたいからって最後の最後に「東堂葵ワールド」という領域展開するのはナシだろ…しかも高田ちゃんの歌まで流れてるし

百歩譲って、ロケット(合ってる?)が落ちて中身が見えたところで「花御戦」のように高田ちゃんから「こんなところで死んじゃうの?」みたいなセリフを受けて最善「手」を選ぶならわかるけど…

東堂葵=呪術イチカッコいい漢

として見るのは間違いなのでしょうか。シリアスな空気のバランサーとして見るのが正解なのでしょうか。

私的にはカッコいい、強い、頼れるというイメージが「死にかけの虎杖の救出」で完成されたので気分を害されました。

余談ですが、芥見先生なりの「更木剣八」らしいです。確かに主人公がヤバいピンチの時に駆けつけるのはノイトラ戦で部下(声は中村悠一さん)にボコられてる時に剣八が来たシーンに通じるものがありますね。
アニメでリアタイした時は震えたなあ(世代バレる)

不満その3 ナレーションの頻度

渋谷事変から本格的に「ハンターハンターのようなナレーション」を導入するようになりました。
同期?(一時期、未来のジャンプは鬼滅呪術チェンソーが背負うみたいな事言われてましたよね?)の鬼滅のアニメでは原作ナレーションは一切使わない方針をとっていますね。
ナレーションについては「渋谷事変からじゃ遅いだろ…一期からやってよ」というのが素直な感想です。

で、今回の話における問題点ですが

「領域展開のところは入れるのに二重の打撃(正式名の変換が出ない)は説明しないの?」

となりました。原作では「お兄ちゃん」戦での再発からモノにしていた、という注釈が入っているのですがアニメだと「都合良く発動した」「運を味方につけた」ように見えませんか?そもそも何があったのかも分からなくないですか?

不満その4 真人の敗北後

順平の仇、幸吉の仇、七海の仇、野薔薇の仇、(ほぼほぼ)東堂の仇…

改めてとんでもないですねコイツ。そんな作中一(当初)のヘイトキャラをとうとう祓す直前まで追い詰めました。ウサギと捕食者の比喩?は原作とアニメでは大差ないでしょう。ただ…

ヘイトキャラだとしても見苦しい姿は見たくない

もう自分に出来ることは何もないと悟った真人…「あぁぅ…あああああぁぅぁあ」と言葉にならない言葉で抵抗するしか無くなる。

ちょっと脱線しますが虎杖の「ーーー(色々)でも殺す」を聞いている間の真人の作画とその流れもうーん…となりました。

まず真人の表情とその作画の「アメリカ系アニメ(PPGみたいな)のネタ混じりの怯え顔感」が凄い(これ私だけでしょうか?)

なんか海外の人らが好きそうなgifにありそうな顔の動きというか公式が(違法アップロード×無断転載の)MADネタ提供してるの?と感じてしまいました。(少数派の意見でしたらごめんなさい)

そんな訳で私は「死に怯えたキャラが完全に理性を無くす」描写が凄く嫌いなんです。同じ呪術廻戦の呪胎戴天では虎杖が泣いていましたがそれとは訳が違います。「これまで形成したキャラクターイメージから逸脱して発狂や幼児退行する」のが嫌いなのです。
またハンターハンターで例えるならば「ノヴがプフの円で心を折られたシーン」
進撃の巨人で言うところの「ミケが獣の巨人+無垢の巨人達相手に為す術なく蹂躙され泣き喚くシーン」

今回のも含めたこれらのシーンは「演技めっちゃ凄いし良いシーン」と評する人もいるでしょうし、真人に関しては「スカッとした」という人もいるでしょう。

ですがなまじ演技が素晴らしいだけに、発狂状態の生々しさが気持ち悪くて受け入れられないのです。

満足その2 虎杖最高ー!

私が「今」(含みがありますねぇー、「前」は誰だったんでしょうねぇー)一番好きなキャラが虎杖なので少々ひいきが入ってしまっています。

黒閃中の作画、理非〜変身の(榎木淳弥さんの)演技、術式ナシの打撃オンリーの戦法と作画の相性

どれを取っても最高でした。演技の部分は特に良かったですね

何年後になるか分からないですがこの先虎杖が発するセリフ

「お前も噛み潰してみろ…不幸(おれ)をよ」


この本気の怒りの演技を聴くのが凄く楽しみです

以上、毎日投稿用のネタに困り中の私によるアニメ呪術廻戦の感想でした。ここまで見ていただき誠にありがとうございました。

いつか気が向いたら単行本24巻の愚痴(発狂)を綴るかもしれません。

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