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読める……私にも読めるぞ!

昨日のつぶやきで知っている人は知っていると思うんですが、私、春琴抄を読めるようになりました😊

なに言ってんだコイツ……小説ぐらい普通に読めるだろ!

と思いの方は青空文庫で一度読んでみてください。きっとページを開いただけで挫折するか、ブラウザバッグすることでしょう。


そもそも、『春琴抄』とは、谷崎潤一郎が書いた作品で、春琴という盲目の三味線奏者と奉公人の佐助の物語です。
谷崎文学を語るうえでは外せない『春琴抄』。他の作品と同じく、ドSな春琴とドMな佐助のマゾヒズム的なやりとりがまあ面白い。三味線の師匠と弟子という関係もあり、佐助が泣くまで稽古する場面なんかすごく大好き。

私は文庫本で読んでいるのですが、『春琴抄』の本文をページで換算すると約100ページほどしかありません。その他は用語解説だったり本文解説だったり。なので内容自体はとても少ないんです。でも読んだことのある方、青空文庫開いた方ならわかると思うんですが、

とっっっってもボリュームがあります。

まず何といっても文章が長い!
頁の右上から左下まで、もう文字がびっっっっっっっっしり詰まってます。改行? 何それおいしいの? っていう状態です。おまけに台詞も全くありません。というより「」←これを着けないで地の文に組み込んできたりもするので、なおわかりにくい。極めつけは句読点がほとんどありません。文章を読むと途中から何をいっているのかがわからなくなる。

上記の文を『春琴抄』風に直すとこんな感じ。

まず何といっても文章が長い頁の右上から左下までもう文字がびっっっっっっっっしり詰まってます改行何それおいしいのっていう状態ですおまけに台詞も全くありませんというより「」←これを着けないで地の文に組み込んできたりもするのでなおわかりにくい極めつけは句読点がほとんどありません文章を読むと途中から何をいっているのかがわからなくなる。

もう本当に、古文とか漢文を読んでいる気分でした。

私も「谷崎潤一郎が好き!」とか前にほざいてましたが、これにはマジで挫折しました。日本文学なのに外国文学読んでる気分でした。多分トータルで2、3回は挫折しました。

だって読めないんだもん! 

って毎回挫折するたびに言い訳してました。
日本文学って本当に恐ろしいですね。

でも最近、久々に『春琴抄』を開いたらあら不思議。

『天空の城ラピュタ』より ムスカ大佐

「よ、読める。私にも読めるぞ!」

ってなりました。

いやー、マジムスカでした。
本当にラピュタ動かせるって思いました。
それぐらい読めた時の衝撃と云ったら、もう言葉では言い表せません。

とまあ茶番はこの辺にしておいて、なぜ読めるようになったのかは正直私にもわかりません。読書量が増えたわけでもなければ古文漢文の勉強をしたわけでもありません。挫折前と後で変わったことも特にありません。強いて言えば小説執筆の時間が伸びたぐらい。恐らくですが、その延びた執筆時間で相対的に校正時間も増えたので、句読点の使い方とかどこに打つとか、改行はどこでするとか、そういうことを以前よりたくさん考えたからかな、なんて思っているぐらい。

でも読めなかったものが読めるようになった。これは紛れもない事実。
そこで思ったんですが、これって完全な成長なんですよね。
正直、成人してから成長を身近に感じれることって、私あまりなかったんですよ。なので今回余計にすごく嬉しくて、人って何歳からでも成長できるんだなって、改めて思いました。

それに挫折した時はページを開くことさえ億劫だったのに、今は楽しみで仕方ありません。これも成長です。文章で使われている単語はやはり難しいものが多々ありますが、それを差し引いても楽しく読めています。

だから諦めずに読んでよかった~って、今はすごく思います。きっとこれと同じで、小説執筆の方も成長しているんだろうなーって、モチベーションアップにもつながりました。
ここ最近は官能のない小説ばかり書いてやる気もいまいちでしたが、いまはなんだか救われた気分です。

この調子でドンドン成長してバンバン書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!


ここから茶番

「ぐはははは~。『春琴抄』がやられたか」
「だが奴は我ら四天王の中でも最弱」
「人間ごときに読まれるとは、文学の風上にも置けぬ」

な、お前らは!?

「我は挫折四天王の一人。『罪と罰』!」
「同じく『レ・ミゼラブル』!」
「同じく『ドグラ・マグラ』!」

「「「我らを読破するなど百年早いわ!」」」 ドカ~ン!

ぐわ~! やられた~!


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