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「BANANA FISHなるもの」を解毒する人
BANANA FISH とベトナム戦争
「先生」。
尊敬できるその道の専門家の方はたくさんいるけれど、そう呼んでしっくりくる職業は、ぼくの中では漫画家だけなのであーる。
吉田秋生 先生〜っといえば。
BANANA FISH にハートを鷲掴みされ
ど肝を抜かれた高校時代。
どわ〜、ゾワゾワ、うわー、ううう・・な作品でした。
実は、アニメ版はまだ見れてないのです。。
ちなみに漫画 BANANA FISH では、ベトナム戦争による負の側面が物語の重要な鍵になる。そしてスリリングなストーリーが展開していくのだ。読破した高校生時代も願ったのだが、ぜひ実写版で映画化もしてほしい。
実際のベトナム戦争では、当時の米軍は785万トンの爆弾を使った。物量の規模でいえば第2次世界大戦より多い。
米北ベトナムに落とした爆砲弾は病院や学校などの各施設を壊滅させた。そして大量の枯葉剤の影響は言葉にするにはあまりにも。。。今も後遺障害・病気に苦しんでいる人は世代を跨いで100万人に及ぶという。
1955年から続いた20年続いたベトナム戦争。300万人近くのベトナム人が犠牲に400万人のベトナム人が負傷。そしてアメリカ兵も58,000人が命を落とした。
同じ頃、日本は戦後復興から高度経済成長へとどどーと駆け上がったが、それはベトナム戦争特需によるところも大きかった。
1975年に終わったこと。1975年から広がったもの。
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私が生まれる2年前。1975年。
ベトナム戦争は終結。
日本では、お給料が手渡しだけでなく銀行振り込みが解禁された年だ。そして、景気はさらに上向いていく。
かの大きな国は
自らの手は出さない代理戦争へとせっせと軸足を移し。
どこかの小さな国は
戦争のおこぼれに預かることすらじぶんたちの力だと慢心した。
かつて焼け野原だった街の夜空はどんどん明るくなり、その一方、多くの人の心の裏側に「BANANA FISHなるもの」がじわじわと入り込んでいったのかもしれない。
30年前。私は、ただただ田園風景が広がるなかにポツンと一軒家×ならぬ「ポツンと校舎」が立っていた田舎町の高校に通っていた。朴訥で刺激のない美しい田園風景を毎日見ながら、毎日BANANA FISHを読んでいた。
物語の中で、知ってはいけない恐ろしい世界を垣間見たような気がした。と同時に、リアルで残酷な世界の営みの中に国境を越えた美しい友情があるという希望も描かれていた。
だからこそ、ぼくにとってはやはり 吉田秋生 「先生」なのだ。
あれから50年経った今。
スマホの中で、知ってはいけない恐ろしい世界以上の代理戦争リアリティショーを子どもたちが見てしまっている。
そして「BANANA FISHなるもの」があらゆる人のSNSの中にまで蔓延してしまったように思える。
あれから50年経った今こそ。
熱狂ではなく、静かに解毒剤をつくり
社会のトラウマを癒すことができる人こそ
きっと「先生」と呼ぶのにふさわしいのだろうー。
どんな職業であっても。
「BANANA FISHなるもの」とはもちろんこのコラムの中での比喩であり、作品で意味するものとは関係ありません。(何よりBANANA FISHを読んでない人には???かもしれません。。念のため。)
※「ピーコック噴水」は49年間、喧騒の中に静かな癒しの場を提供してくれました。2024年3月末で稼働を終了。岡山市東区の環太平洋大学に移設されました。